時空の歪み
馬の背から大剣をすくい上げるようにぐおんと回して、ギルは敵の頭を二体続けて跳ね飛ばした。
狙いをつけられたその新米兵士は竦み上がって、今にも餌食にされかけていたのである。ギルはそれを助けたのだ。
「敵を、それ以外のものだと思うな!」
そう叫びながら、ギルはなおも力強い動きで駆け抜けていき、愛馬のリアフォースと一心同体となって戦うあいだも、サッと辺りを見渡して状況把握に努めた。
黒ずんだ紫色の皮膚に、白目の部分がほとんど真っ赤に燃えている血走った双眸。敵の誰も彼もが、もはやおどろおどろしい魑魅魍魎でありながら、胸当てなどの防具を正しく装着し、武器をも扱う兵士。それらが血を求めて無我夢中で駆け回り、一人に対して何体もが気の向くままに寄ってたかろうとする。そして喉を噛みきり、体のどこでも容赦なく喰いちぎろうと・・・まさに残忍で凶暴、ジェラールが言っていた通りの残酷極まりない殺戮が一面で起こっていた。
それでも、さすがは最強の連合軍兵士たち。対抗しようと力の限り剣を振るっている者もまだ多くいる。しかし、それを上回る傷ついた同胞の絶叫が耳をつんざき、闘志を萎えさせてしまう。そうして、痛みや苦痛を正常に感じ、数の上でも不利な味方の軍勢の方が、今や明らかに押されているのである。
「くそ、でたらめな戦法でも奴らの方が上か!」
そう舌打ちするギルの目に、エミリオがひときわ鮮やかに敵を斬り捨て、なぎ倒しながら馬を馳せてやってくるのが見えた。
軍馬フレイザーとリアフォースは、戦い方を心得ている身のこなしで、その場をくるくると動き回った。エミリオとギルが、八方からの襲撃に連携で応戦しながら言葉を交わしているからである。
「ギル、大門が破られる。セシリアたちの身も危ない。」
「敵の死角に置いた兵は。」
「今、ようやく見張りの塔から合図が出た。間もなく動き出すだろう。」
「よし、ならばとにかく行こう。」
勢いよく馬を回してその猛襲から抜け出した二人は、初め敵が殺到している正門の状況を見に向かったが、外からはもはや手の打ちようがないとすぐに諦め、次に北側にある別の門へ急いだ。
「ギル!」
エミリオは、まさに通過しようとしている場所の上から、敵が無数に絡まる巨大な梯子が倒れてくるのを見て叫んだ。
「行ける!」
いっさい迷うことなくギルが促し、潔く従ったエミリオも馬腹を蹴りつけた。
間一髪、敵が一人二人と落ちてくるそばを、二人は風のように走り抜けた。
一体何が・・・そう問いたそうな顔でちらと振り返ったエミリオに、ギルは言った。
「リューイだ。こんなことができるのは、奴しかいない。あそこはもはや敵に占領され、あの中に味方はいないだろうが・・・あいつめ、俺たちは危うく潰されるところだったぞ。」
そのあとギルは、エミリオが城塞の上の空をハッと見上げたことに気付いた。
エミリオは眉根を寄せている。
エミリオは、海の方の空の一箇所に雲が渦巻いているのを、険しいが不安そうな顔で見つめていた。
共に馬を駆け戻らせているギルも、思わずそれを凝視する。
「雲が・・・。」
それは、明らかに不自然な光景だった。さらには、上空を覆っている雲の層は不気味にうねりだし、その至るところから赤黒い何かが滲み出してきたのである。まるで戦士たちの流した血で染め上げられていくように、それは滴り落ちてきそうな生々しい色合いでどんどん広がりゆき、一面に群がる灰色の雲をみる間に塗り替えていく。
時空の歪み・・・それは恐らく、いよいよ目に見えて壊れだした下界との壁 —— 。
そして、強い風が吹き始めた・・・。
「ギル・・・行かねば。」
「エミリオ・・・。」
二人は目を見合った。そして、この男でもさすがに恐ろしさと緊張を隠せないでいるその声に、ギルの方は引き締まった表情でうなずきかけた。大丈夫、お前ならやれる・・・と。
二人は愛馬を疾駆させ、砦に群がる敵を協力して排除しながら、信じられない手際のよさで血路を開いていった。
やがてたどり着いた北の出入口前には、幸い敵の姿はほとんどなかった。味方の兵士もあえて外には置いていない場所である。中央突破しか頭にない敵の隙をついたここは、救命馬車が往来する北の塔の下だ。確かに、その姿に気づかれれば敵がやってくるが、その時は 中から守っているダルアバスの防衛部隊が出て来て活躍する。
そして、みるみる近づいてくる皇子たちの姿に気づいた兵士は、タイミングを合わせて速やかに門を開け、その機会を逃すことなく、エミリオとギルも素早く中へと滑り込んだ。
ギルはリアフォースから降りて塔の螺旋階段を駆け上がり、エミリオは、そのまま町を突っ切って裏門を目指した。
ヴェルロードスを抜けて行く先は、森の向こうにある海である。
フレイザーは強風に逆らい、木立のあいだを力強く駆け抜けて行く。
その背に揺られながら、エミリオはとてつもない戦慄を覚えていた。
恐怖が舞い降りてくる・・・。