野獣軍団
城塞にいて守備に就いた者たちは、この世のものとは思えない殺戮の地獄絵図を、おののきながら見下ろしていた。
それはもはや人間同士の戦いではなかった。まるで悪魔や野獣が行う狩りだ。赤い血の通う生き物と分かれば手当たり次第に飛びかかり、肩や腕に噛みついて、まるで野生の獣と化している者もそこらじゅうにいる。その手にかかって倒れた兵士は、まるで呪詛の儀式に捧げられる生贄さながらだった。敵は武器を使って相手を斬りつけたり、刺し殺すばかりではなく、恐ろしいことには死者の胸や腹の傷口に手を突っ込んで、遺体を引っ掻き回しているのである。
しかし、そんな許し難い死者への冒涜も、それらは目的のためにやっている。そう、その妖魔と成り果てた者たちが欲しているのは、もはや勝利でも栄光でもなく・・・血。流血を好む戦の神、争いの神々に捧げるための、妖術の儀式で、そして今は封印を解くために必要なおびただしい量の血液なのである。
城壁の上にいる防衛部隊は、正視に堪えない惨殺が行われているその血生臭い光景を、ただ背筋が凍る思いで見つめていた。
ところが、突如として騒ぎが起こった。
一人がふと気付いて叫んだのをきっかけに、誰も彼もが、うろたえたように喚きだしたのである。眼下では味方の兵士が命の限り戦っているというのに、一様に北の方を向いて。
このため、ただ固唾を呑んで見守っていたディオマルクやジェラールも、その凄惨な場から思わず目を放して、いったい何が・・・と、そちらへ首を向けた。
そして・・・そのまま釘付けにならずにはいられないものを見た。
猛獣の大群 !?
北の方角、そこに、まさしく獣の群れがいる・・・!
「これは・・・。」と、ジェラールが目を大きくした。
心当たりがあるカイルやシャナイアでさえも、さすがに、たまげずにはいられなかった。しかも望遠鏡をのぞいて見てみれば、先頭をきってやってくるリューイは、なんと大きな虎の背中にまたがっているではないか。そして隣には、キースもきちんと付き従っている。
リューイ率いるその野獣軍団は、南に広がる海沿いの樹海を進んできたものの大河カデシアに阻まれ、そのため静かな山間に架けられた石橋まで北上し、北から回り込んでやってきたのだった。
「うそっ、どうしよう!」
焦ったはずみで、カイルは望遠鏡を落としそうに。
「やだ、あの子ほんとに連れて来ちゃったわ !? 」
「あの子・・・ああ、リューイか。そういえば、彼をずっと見かけなかったな。」
驚いているわりには落ち着いた声でディオマルクは言ったが、ジェラールの方は明らかに気が動転している。
「信じられん・・・。彼はまさか !? 」
「はあ・・・あの野獣軍団を戦わせるつもりで連れてきたみたい。」
カイルは肩をすくめて大真面目に答えた。
「この戦争の中へあれらを投入するということか !? 冗談だろう !? 」
「ちょっと・・・考えます。」と、カイル。
そんなやりとりのあいだも一人動じず戦いに目を向け続けているテオは、視線を上げて城壁の手摺りから離れると、腰の曲がった高齢の老人とは思えない速やかさで歩きだした。
「カイルよ、治療室へ戻らねば。これから次々と負傷兵が運び込まれてくるじゃろう。」
「はい!」
東側の小門から城塞の中へ入り、カイルのもとへとやってきたリューイのそばには、大量の植物を背負った虎やら豹などの猛獣が数匹控えて、おとなしくしていた。
リューイは、握り締めている長い棒を壁面に立て掛けた。2メートルほどある真っ直ぐなそれは、ただの棒ではなく攻撃のため使えるように仕上げられたもの。これまで槍などで代用してきたリューイだが、それは棒術の訓練で使っていた、手に最も馴染んでいる唯一の武器である。
「悪い、遅くなった。それとこれ。」
リューイがそう言って獣の背中から下ろした積荷は、リーヴェのジャングルから慎重に運んできた薬草の束だ。
「俺が知ってるのだけだけど・・・だいたい傷薬とか痛み止めになるやつだよ。」
「やった、ありがとう!」
「じゃあ、俺たちも行ってくるな。」
「あ、ちょっと待って!」
再び長棒をつかんで背中を返しかけたリューイを、カイルはあわてて呼び止めた。そして、ここへ来る前に用意してきたあるものを、リューイに差し出す。それは鉄製の長い棒と、部位に装備する防具。
「はい、これ。職人さんに頼んで作ってもらったんだ。鉄棒と、それに腕と足を守ってくれる防具。それ木製でしょ。その棒もリューイの骨も折られちゃったらどうするの。」
「コレけっこう丈夫なんだぞ、俺もな。」
「知ってるけど、いつもの調子でいったら、さすがに無謀の場違いだからっ。見ればわかるでしょ、大戦争なんだよ。」
「ああ…まあ、せっかくだからもらっとくか。」
「ちゃんとリューイの戦法に合わせて邪魔にならないように考えてもらったし、攻撃にも有効な軽くて丈夫な特注だよ。」
「へえ、ありがとう。」
リューイはその一つ、前腕にあてる防具を装着してみながら満足そうな顔。
「それで、何頭くらいいるの?」
「使えそうな奴らしか連れて来なかったから・・・三百くらいかな。」
「あのさ、じゃあ野獣たちには負傷者を運ぶ馬車を護衛してもらいたいんだけど・・・できる?」
「その馬車どこだよ。」
「北の塔のところ。まだ待機してるのもいると思う。」
「分かった。」
いともあっさりと請け合ったリューイは、外で待たせていた友獣のところへ走って行った。
馬車を認識させることさえできれば、あとは身振り手振りの指示でも理解ができるはず。その自信のもとに何の心配も無かったリューイは、それらを引き連れて北の塔へ向かった。
そこには、三台の馬車がまだ残っていた。人命救助のためだけに走るそれは、応戦はしても自ら仕掛けることはない。とはいえ、異常なほど道徳観念など存在しないこの戦争のただ中では、当然、特別扱いなどしてもらえない。ましてや敵は、心身ともに正常な感覚が完全に麻痺している化け物なのである。
出番を待って出て行く機会を見計らっていた看護兵たちは、いきなりそばに現れた猛獣の群れを見るなり悲鳴を上げた。が、その中から進み出て来た金髪の青年に気付くと、何とか落ち着きを取り戻して説明を受けた。
そこへ、一台の馬車が数名の負傷兵を乗せて無事帰還。
さあ出発と手綱を波打たせた救命馬車の周りに、虎やジャガーといった野獣が数頭ついていった。それに続いて、すでに戦場を駆け回っているはずの他の馬車を探しに、十数頭を残して一斉に放たれた。
そしてリューイは、キースだけを連れて塔の螺旋階段を駆け上がった。
本当にできるのだろうか……と心配になり、バルコニーに出てきたカイル。戦場へと放たれるはずの野獣たちを待っていると、やがて人間とは明らかに違うモノが視界に入ってきた。そして、それらが敵だけを踏み倒しながら、看護兵が走らせている馬車の横や後ろに次々とつくのを確認できた。
それらが確かに救い手だということに、傷ついた兵士たちもすぐに気付くことができるだろう・・・と、カイルは信じて治療室へ戻った。