皇(王)子たちの心情
城壁の上から見渡せる荒野は、ほのかに赤く染まった霞の中で煙っていた。
城塞都市ヴェルロードスの最も外側にある壁は、ほかと比べてもかなり広い通路をわたした堅牢な城壁である。各塔には、ダルアバス王国が持ち込んできた大砲が据え付けられた。火砲の認知度はまだ低く、これを持ち扱える国は少ないが、財力と技術力を誇るダルアバス王国はこれを所有し、迎撃のために保管していた。だが、今使わずにいつ使うのかということで、ダルアバス王国は出し惜しみせず、数々の武器と共に船で持ち込んできたのである。
ギルとディオマルクは、敵に攻め込まれた場合を想定しながら不備はないかと、塔から塔をつないでいるその城壁の上の通路を渡っていた。そして、ギルがそのまま自然に壁際へ寄っていき、そこに両手をついて立ち止まると、ディオマルクも肩を並べた。
「ギルベルト・・・そなたの旅はこれで終わるのか。」
ディオマルクは、沈み行く陽の光に照らされたその横顔に話しかけた。
「そういうことになるな。」
ギルの方は、ぼんやりとした荒野の夕映えを見つめながら答えた。
「そのあと、どうするつもりだ。」
「ディオマルク・・・この旅の中で、俺には夢ができたんだ。牧場を営むというな。」
「牧場を・・・そなたが?」
ギルはディオマルクの方へ顔を向けた。
「ああ。立派な馬を次々と育て上げ、世に送り出したい。正直・・・その夢を掴むまではどれほど遠い道のりか、どれほどの苦労が必要かは分からない。叶わぬ夢かもしれない。だが、その夢を追い続ける気持ちだけは、いつまでも持っているつもりだ。」
「気持ちだけは・・・か。そなたの口から、そのような気弱な言葉を聞くことがあろうとは。そなたは子供の頃から、こうと決めたら、必ずやり遂げてみせるという頑固者であったはずだが。」
その嫌味ともとれる言葉を受けて、ギルは苦笑した。
「皇子という身分が、人間性を培う上でどれほど恵まれぬものかを俺は思い知った。そして、皇帝や王という立場が、どれほど過酷であるかも。」
「余の前で、よくもそのようなことが言えたものだな。」と、今度は逆に、ディオマルクが苦笑いを返した。
「ああ、そなたの前でこんなことを言うのは無神経なんだが、己の愚かさや浅はかさに気付いた俺は・・・逃げ出したんだ。皇帝の責務から。」
ディオマルクは、羞恥心から目を逸らしてうつむいたこの親友を、言葉もなく見つめた。
「俺は、戦争とは・・・無論、認められるものではないが、その戦いは気高く勇敢で正当なものだと思っていた。だが、とんだ勘違いをしていた。それは実際に命だけでなく、感情までも抜き取る悪魔だった。攻める側と攻められる側の、どちらのをも。そして壊れていく理性。無知で愚かだった。」
「そなたやはり、エドリースでよほど耐えられぬものを見てきたのだな。」
ディオマルクは過去を思い出して、そう言った。
少し長い沈黙が続いたあとで、ギルは、どこか思い切ったようにこう問いかけた。
「そなたは助けを求められて、迷わず切り捨てることが、見捨てることができるか。」
「立場と状況によるであろうな。」
「無理な立場と状況なら、すぐに割り切ることができるか。」
「守るべきものを守るためなら・・・できる。余にとってそれは、我が国だ。」
この返事がディオマルクの口から滑らかに出てくると、改めて思い知らされた気がしたギルは、下を向いてまた苦笑した。
「そなたは・・・立派だ。」
「立派か薄情かは微妙だがな。それが上に立つ者の務めだ。そなたを、そこまで参らせたものは、何だ。」
そんなディオマルクに、ギルは、今になってやっとその時の心境を語ることができそうな気がした。
ギルは息を吸い込むと、その衝撃的な記憶の残像から目を逸らすことなく、しっかりと話し始めた。
「俺は、エドリースでの戦場から帰還する際に、敵国の襲撃にあって滅ぼされた小さな村を目の当たりにした。そして、そこから逃げ出してきた者たちを。すでに息絶えた屍が横たわる瓦礫の中で、あとは死を待つばかりの者たちだ。訳も分からず成す術のないまま命を取られ、取られゆく幼い子供たちの姿・・・。血生臭い戦場よりも、残酷で悲惨な光景だった。そこで助けを求められた俺は、たちまち冷静を欠いて慌てた。その国の問題であるし、余裕もないためきっぱりと見捨てるよう将軍に言われても、割り切れなかった。いずれ皇帝になろうかって男がだ。あの時は、この話を口にすることができなかった。何しろ俺は・・・その哀れな村を前にして、かつてないほど泣きじゃくったのだからな。」
目を覆うような光景が浮かび上がり、痛切感にかられてディオマルクは思わず目を閉じた。
ディオマルクはそのまま、束の間言葉もなく黙り込んだ。
「子供の頃・・・そなたと空中庭園で喧嘩をした時のことを思い出した。相も変わらず、熱い男だな。あの頃のそなたは、確か偉大な皇帝となるために意気込んでいろいろと努力を続けていたようだが、あの頃のままでは、いずれこうなるのは当然といえば当然。熱い男に、帝王は向かぬ。だが、そなたが己を小さな人間だと自嘲した意味がようやく理解できたわけだが、その表現は適当ではない。そなたは慈悲深いだけだ。それに今のそなたは・・・富も権力も、そして名誉までも失った何も持たぬただの男となったわけだが・・・余の双眸には、以前よりもずっと大きくなったように見える。」
「何も持たぬ・・・か。だが、仲間を持った。何にも勝る宝だ。俺は現実を、世の中の真の姿を見に行かなければと思った。そして、身勝手にも自分の気持ちに素直に生きたいと、助けてやれなかったあの子たちへの勝手な罪滅ぼしのつもりで、城を出てきた。だが、あいつらと出会えてほんとに良かった。実際、一人ではやり遂げられなかっただろうことばかりだったからな。それだけじゃない。あいつらと旅をする中で、人間らしさを感じることもできた。一緒に考えたり悩んだり、笑い合ったり、誰かが辛い時には共に涙を流し、励まし慰めることのできる、そんな仲間に、俺はいろいろと教えてもらった。」
「仲間・・・余には違和感のある響きだ。だがそれは、そなたの話からすると、己の力となり薬となれるものであろう。何にも勝る宝を手に入れたそなたを、羨ましく思う。」
ディオマルクは、しみじみとそんな言葉をかけた。
ギルはそのあと、急に明るい声で続けた。
「それともう一つ・・・その夢を叶えるのは、願わくは彼女とだ。」
その初々(ういうい)しい声に、ディオマルクはそっと笑みを浮かべた。そして、多くの美女に愛され、望めばどんな女性の愛でも手に入れることができるディオマルク王太子であっても、本気で夢中になれるただ一人の恋人を見つけることができたこの親友を、また羨ましく思った。
ギルは、持ち出してきた望遠鏡を目に押し当てた。そして西の彼方から見渡していき、それから東の方を向くや・・・目を凝らして歓声を上げた。
「間に合ったぞ、ディオマルク。」
ギルは、望遠鏡をディオマルクに押し付けて言った。
「最強の連合軍だ。」
ディオマルクも望遠鏡をのぞきこむと、エルファラム帝国とアルバドル帝国の二つの軍旗が、視界の悪い霞の中でも、気高く威風堂々と風にたなびいているのが目に入ってきた。