あなたは彼を・・・
戦いの準備を始めてから、数か月が経過した。
モルドドゥーロ大公国の海岸にほど近い場所にある、森と荒野の境目に横たわる城塞都市ヴェルロードスでは、鉄壁の要塞にすべくその修復工事が順調に進められていた。ダルアバス王国とモルドドゥーロ大公国の部隊で守られる要塞である。しかし都市は無人。よって陥落させないというより、時間稼ぎのための拠点だ。他へ回らせず、ここで足止めすることが目的である。
その城壁と連結している城館は本部となり、清掃等を済ませたこの内部には、医療設備や貯蔵庫、武器庫なども完備され、その他必要物資も充分にそろえられた。さらに、これから迎える、およそ十万の兵士が集う二大大国の連合軍のために、町の使えそうな廃屋の片付けや、城壁沿いの空き地に天幕を張るなどして野営地を作った。張り巡らされている二重の城壁は強風を遮断し、夜間の冷え込みを和らげてくれる。
本部を置いた城館は、主に救命救急センターの役割を担う。本部であるから、当然、会議などにも使われる。それに必要な者、また、そこで活動する者が不自由なく過ごせるようにも配慮されている。
そこに一つ、薄暗い特別室が設けられた。時には強く、時には弱く、生き物のように変化する怪しい輝きを宿らせている水晶が安置してあるそこは、それらが並ぶ神秘的な空間。
テオ専用の占い部屋である。
テオは、占いをするためだけに造られたそこからほとんど出てくることはなく、常に闇の動きを監視していた。
すでに到着しているエミリオとギル、そしてディオマルクに加え、先日には、シャナイアも一足先にたどり着いていた。現状報告や手伝いをするために、守備につくことになった女戦士たちだけを連れて、ダルアバス王国から物資を運ぶ船に一緒に乗せてもらったとのこと。一方のレッドは、競技場に集まった血気盛んなその他大勢を引き連れて、徒歩で移動中である。
食料や燃料などの消耗品は、ダルアバス王国と、モルドドゥーロ大公国の豊かに生まれ変わった町から、船で定期的に運び込まれている。大公代理の椅子を不在のままにはしておけないアランも、その時だけは必ず同行してギルやエミリオたちと会い、一晩は滞在して会議に参加した。
手際よく食料や日用品の整理整頓をしているシャナイアに、それをそばで手伝っているセシリアが不意に声をかけた。
シャナイアは何かと思い、手を止める。
セシリアは、シャナイアに言われるままに物資を手渡しているあいだも何やら呆然と考え込んでいたようだったが、シャナイアがそれに気付いたのは今になってのことだった。
シャナイアが棚と向かい合ったまま首だけを向けると、セシリアは困ったような顔で、途切れ途切れにこう言いだしたのである。
「わたくし・・・最近・・・いえ、前から少し・・・何て言うのかしら・・・変ですの。」
「はい?」
シャナイアは首をかしげ、セシリアに向き直った。
「そんなつもりもないのに・・・なぜかしら。気付くといつも・・・視線が・・・彼の顔にいってしまいますの。そして・・・とても不思議な気持ちになりますの。切ないような・・・苦しいような・・・不思議な・・・。無性にそばにいたいという気持ちにも・・・」
「あのねセシリア、教えてあげる。それはね、エミリオのことが好きなのよ。あなたは彼を愛しているの。」
シャナイアは、これほど分かりやすいことはないと言わんばかりに、さらりと答えた。そして、目を丸くしたセシリアを見ながら、その胸の内を察して続けた。
「誰って言われなくても分かるわ。彼は、あなたにとっては命の恩人。紳士的で優しくて頼もしくて・・・惹かれるのも当然のことよね。私も、別の人にだけど、あなたと同じ気持ちになったことがあるから分かるの。それに、エミリオのあなたを見る目も・・・。」
あとの部分を言った時、シャナイアのその声は囁くような小さなものに。
「ねえ、もしもよ、もしも彼もあなたのことが好きだとしたら・・・その・・・一緒になれないの?彼にはじゅうぶんすぎる才能もあるし、王族になるにも申し分ないでしょ?だって・・・だって、命の恩人なのよ。」
真剣な顔で思わず言い迫るシャナイアに、セシリアはうろたえた。それを認めて自分の気持ちに気付くのも怖かったし、彼の気持ちも知らないのでは、どう返事をしたらよいのか分からなかった。
「え・・・でも・・・わたくしには・・・。」
戸惑ってはっきりしないセシリアを見たシャナイアは、ひと息おいて、それから深々とため息をついてみせた。
「そうね・・・。才能以外に何も持たない今の彼は、お国に戻ったあなたとは吊り合わないかもしれないわね。でもね、今のあなた達は対等だと思うの。だから、もしその可能性が見えたら・・・諦めないで。あなたには何もできないなんてこと、ないはずよ。これまで彼がしてくれたこと、覚えているでしょう?」
シャナイアの言う可能性とは、エミリオにもセシリアを想う気持ちが見えたらという意味だったが、それをセシリアが理解できたかどうかは分からない。
だがセシリアは、それにはっきりとうなずいてみせることはなかったものの、何か心を突き動かされた様子で、じっとシャナイアを見つめ返していた。