落ちたノースエドリース
ついに、祖父であるテオの言いつけ通りに、仲間全員を見つけだしてヴェネッサの町へと戻ったカイルは、早速丘の上の自宅へ帰ってきた。
するとテーブルの上に置き手紙があり、それには、戻ったら神殿へ来るようにと指示がされていた。
イヴが、修道女の長であるエマカトラ(称号)に旅を終えて戻ったことを報告しに行かなければならないこともあって、彼らはすぐに従った。
石塀に囲まれたその敷地内には、神を祀る神殿と修道女達が生活をする修道院、それに一般の者が祈りを捧げる場である大聖堂や小さな礼拝堂がある。その大聖堂などの一つ一つにも名前が付けられていたが、周りに張り巡らされている塀によってひと纏まりとなったそれらは、《ミナルシア神殿》と、一言で呼ばれるのが通称となっている。
一行が神殿へとやってくると、ちょうど門のそばの庭掃除をしていたアンリが迎えてくれた。アンリはイヴに、エマカトラとテオは同じ部屋にいると伝え、彼らをそこへ案内した。そして、二人がなぜ同じ部屋にいるかという説明として、こうも言った。
夕べテオが、ひどい傷と熱でぐったりとした戦士を一人連れてやってきたと・・・。
修道院の中でも人通りの少ない場所にあるその部屋は、何か異様な空気に満ちていた。一つの寝台を、テオと、エマカトラの称号を持つ女性セリーヌが、一緒に見守っているのである。
そこに横たわっている人物の顔は、彼女の背中に隠れていて一行には見えないが、上掛けの毛布は腰から掛けられてあったので、その逞しい体つきから誰か男性だというのは分かった。
この深刻な雰囲気の中にあるため、イヴはセリーヌと目を見合い、うなずき合うだけで挨拶を終えた。
一行は寝台のそばへ寄って行った。
そこで、まさか・・・と気付いたレッド。ひとり前に出てその男性を確認するなり、愕然と目を疑う。
そこに眠っているのは、ガザンベルク帝国の候爵であり、そして騎兵正規軍の大将・・・ジェラールだったのである。
ジェラール・ダグラス・リストリデン。エトラーダで別れる時に、バルデロス王国を止めねばならぬと意気込んでいた、そしてレッドに向かって、次も変わらぬその瞳に会えることを楽しみにしていると言った・・・その男だった。
だが、レッドが目を疑ったのは、その男性がジェラールだったということにではない。彼の左腕が、無残にも肩の付け根からすっぱりと無くなっていることにである。
「ジェラール・・・!? 」
「安心せい、峠は越えた。熱もエマカトラ様のおかげでだいぶ引いたわい。恐らく傷がまだ癒えぬままやってきたのじゃろう・・・その場凌ぎの応急処置を繰り返した無理がたたってか、体そのものがボロボロじゃった。そのような状態で寝る間も惜しみ、とにかく馬を飛ばして来たらしいが・・・。エドリースは、もはや一刻の猶予もならないということじゃろう。」
テオが静かな声で言った。
「エドリースが一刻の猶予もならないとは、どういうことです。」
そう問うたのはエミリオだが、ギルやレッドも嫌な予感と共にすぐに思ったことだ。
「じきに分かる。ほれ、彼も気がついたようじゃぞ。」
ジェラールが、うっすらと目を覚ました。
ジェラールは朦朧とする意識のまま徐に横を向き、心配して眉をひそめたままじっと見つめていたレッドを確認した。
「レッド・・・か。」
「ああ。」
「よかった・・・また、その瞳に会うことができた・・・。」
「ジェラール、一体何が・・・。」
「レッド・・・我々はバルデロスと戦い・・・負けたのだ。」
それを聞いたエミリオやギルは驚いて目をみはり、リューイは唖然と口を開け、シャナイアやイヴ、そしてカイルがサッと青ざめた。
「そんな・・・。」
レッドも絶句。
「だが、我々が戦った相手は人間ではない。いや、もはや人間ではないと言うべきか・・・。あの悪夢が、更に恐ろしいものとなって甦ったのだ。」
ジェラールの言うあの悪夢というのが、サガの町の奴隷が反乱を起こした時に ※ カーネル総督が引き起こした事件であることは、レッドにもたちどころに分かった。そうすると、ジェラールの言っていることは、俄かには信じがたい想像を超えたものとなる。
「つまり・・・。」と、レッドは低い声できく。
「かの国は、やはりノースまで進軍してきた。」ジェラールは苦い口調で答えた。「だがその目的は、もはや資源を奪うことや支配ではなくなっていたのだ。奴らは流血を好み、行くところ全てを戦場ではなく、地獄に変えようとしている。」
一同は驚愕し、凍りついた。
「人間じゃないって・・・相手は、軍隊だよな?」
レッドは恐る恐る追及する。
「ああだが、誰も彼もが、血走った真っ赤な眼と黒ずんだ紫色の体で滅茶苦茶に剣を振るい、鋭い剣先でも躊躇いもなく掴みかかってくる。体のどこでも容赦なく素手で抉り取ろうとし、引きちぎろうとする。もはや人間の心を完全に失ったケダモノ。奴らは、それが組織化された、極めて残忍なただの殺人兵団に過ぎん。」
これまでそのようなモノと何度も関わってきた男たちは、その恐怖体験から同時にゾッとするような想像を掻き立てられ、戦慄が走った。
レッドはカイルを振り返り、同じくカイルもレッドを見た。以前、カイルが仮定した最悪のシナリオが、今、現実のものとして幕を開け始めた・・・そのことに動揺を隠し切れない同じ心境で、二人は目を見合ったのである。
この時、一人異様に震えながら目を大きくしている少女がいた・・・メイリン・モア。
そんな中、ジェラールは熱からくるだるそうな声で、なおも話を続ける。
「おかげで、私もこの通り無様に左腕をもがれた。辛うじて命からがら生き延びた我々の軍は・・・そうして、あえなく敗れた。今頃は、もうノースエドリースのほとんどが地獄と化しているだろう。我が国について言えば、奴らを阻止せんと戦った大勢の兵士が命を落とし、無残な重傷を負わされ、今も傷の痛みに呻いている。動ける民はみな避難して身を潜め、命だけはどうにか無事な者も大勢いるが、その日その日を凌ぐのがやっとという生活に苦しんでいる。このままでは他の地方も危ない。我が軍や国民同様の事態となるのは、時間の問題だ。それゆえ、私はこれをテオ殿に報告するために、一人また馬を馳せてやってきたというわけだ。各地の情報局では、この事実を曖昧な報道にするだろう。それによって大陸の東では、我々が戦った相手が悪魔やケダモノだとは、誰も思うまい。」
「ジェラールさん、そのお話の続きはまたあとにしましょう。テオ殿も彼らも、もうお分かりのはず。彼らに任せて、あなたはもう少し休まねばなりません。」
声が高揚してきたジェラールを落ち着かせようと、ここでセリーヌがやっと声をかけた。
「ジェラール、俺たちに任せてくれ。必ず何とかする。」
ジェラールはレッドの真剣な眼差しにうなずき返して、辛そうにひとつ深呼吸をしてから目を閉じた。
その顔をしばらく見つめているレッドの顔は、険しかった。
さきほどかけてやった言葉は、何の気休めにもならなかっただろう。レッドは内心、いったい自分たちに何ができるというのだ・・・と途方に暮れていた。
レッドは、これまでそういう魔物を相手に、数々の死闘を共にくぐり抜けてきた仲間たちを、また肩越しに振り返った。
エミリオとギルが、同じ眼差しで見つめ返してきた。
これは、戦いの規模がまるで違う・・・。
※ ダルレイ・カーネル・サルマン 一一
外伝 「天命の瞳の少年」 第8章「ガザンベルクの妖術師」参照