すすき野原の墓地
その道はまた九十九折の上り坂になっていた。そこを道なりに歩き続けて行くと、やがて密集して生えている木々はいきなり切れて、視界いっぱいに風が吹き渡るすすき野原が広がる。
彼らは、森を抜けたところにある、黄金色に覆われた丘の上の墓地にいた。
陽は低く西に傾き、空一面が茜色に移ろいゆく中、そこでは身に沁みる切ない風が吹きそよいでいた。
一行の先に立って案内してきた夫人は、やがていくつかある白い墓石のうちの一つを前にして、立ち止まった。
「これが・・・主人のお墓です。」
エミリオは、その墓石に刻まれた名前を見つめた。
《ウィル・ロイド》と、書かれていた。
あの時は、その名前を聞くこともできずに終わってしまった。
エミリオ自身が名乗るわけにはいかなかったので、あえてきかなかったのである。そして、きかれもしなかったそのわけを、後になって知った。
この名を、生涯しかと胸に刻んで生きていかねばならない・・・。
また涙がこみ上げるのを感じて瞳を閉じたエミリオは、そのまま静かに黙祷を捧げた。
正体を知りながら見事なまでに自然な態度で接し、絶望と不安で情緒不安定だった自分に、絶えず優しくほほ笑みかけてくれた。そして・・・最後は、己の命と引き換えに生かしてくれた、彼の記憶がありありとよみがえってくる・・・。今にも嗚咽を漏らしそうになって、エミリオはぐっと唇を噛み締めた。
「なぜ・・・戻って来られたのですか。」
エミリオが瞼を上げ始めたのを見ると、夫人は静かな声で問うた。
「一目・・・様子が知りたくて。あのようなひどい別れ方をしてしまったから。そっと窺うつもりだったのだが・・・すまない。」
「いえ、そういう意味ではありませんわ。むしろ皇子様が・・・」
夫人はあわてて言葉を切り、子供たちや周りの者に目を向ける。
気を利かせたレッドがいち早くそこから離れて、二人の少女を手招いた。
「ほら、あそこに大きな黒猫がいるぞ。一緒に遊ぼう。」
レッドがそう言いながら指差したのは、墓地の空き地でおとなしく伏せているキース(黒ヒョウ)である。
「猫 ⁉ レッド、キースをバカにしてんのかぁ!」と、リューイがわめきながらそれについて行った。
ナディアとパティは躊躇い、顔を見合っていたが、年の頃が同じであるミーアに促されると、喜んでうなずいた。
ほかの者たちも気を使って、エミリオのそばから次々と離れていった。
その様子を見届けたあとで、夫人は言葉を続けた。
「むしろ皇子様がご無事だとはっきりして、これでやっと主人もホッとすることができたと思いますわ。ですが・・・よろしいのですか。エミリオ様は、今はこの国では・・・亡くなられたことになっています。」
「知っています。だから、戻って来られたのです。ですが、あなた方の前に、この顔を晒すなど恥知らずなことをするつもりはなかった。本当に・・・申し訳ない。」
「お止めください、皇子様。とんでもございませんわ。エミリオ様のお命をこうしてお救いすることができたのなら、主人に悔いはないどころか、満足しているに違いありません。私も、そんなあの人をとても誇りに思っているのです。本当に、生きていらしてよかった。」
夫人が心の籠った声でそう伝えても、エミリオの暗く沈んだ心が宥められることはなかった。
「ナディアとパティには、あの日や私のことは何て・・・。」
「主人のことはきかれました。パパはどうして・・・死んじゃったのと。」
「・・・私のせいだ。」
「いいえ、主人は自らの意思で行動したのです。正しい判断のうえで。」
彼女は凛とした声で答えた。
「あの子たちには、こう言いました・・・。間違ったことをしている人たちに、それはいけないことなんだって教えるためよ。パパは、あの人たちと立派に戦ったの。だから、あの日のパパのことを忘れないで・・・と。そんな言葉でも、あの子たちなりに、ちゃんと理解してくれたようです。ですからあの日のことは、子供たちには悲しい記憶ではなく、尊いものとして残るでしょう。」
「なぜ・・・。あの時分かったはずです。私はもはや皇子でも、帝位を継ぐ者でもないと。愛する家族がいながら、そんな私のために彼は命を擲った。なのに、なぜあなたは・・・。私は恨まれて当然の・・・」
「主人が間違っていたというのですか。」
ハッと顔を上げた彼と目が合うと、夫人はゆっくりと大きく首を振ってみせた。
「エミリオ様、あえて言わせていただきます。あなたは分からなくても、みな分かっています。主人も、ここヘ突然やってきたあの方々も、そして・・・あなたを消そうとした人も。実際、主人もそう言っていたではありませんか。」
辛い記憶をたどらなくとも、それは一言一句 違わずすぐに頭に浮かんだ。
〝あなた方がもしそうなら、分かっているはずです。この御方は、死なせてはならないと。〟
それはあの時、逃げ出そうとしたエミリオを立ち止らせ、刺客たちをも制した言葉だったからだ。
「皇子や皇太子でなくても、あなたには生かされる確かな理由があるのです。ですからお願いです。もう振り返らないで、前を向いてください。あの人のためにも。」
わざと対等に、少々厳しい声で力強い言葉をかけた夫人の顔に、精いっぱいの労わりの笑みが浮かんだ。夫人はそれから、どういうわけでか、エミリオ皇子と共にいる不思議な連中に視線を移した。
「あの方々は・・・。」
そうきかれて、エミリオも振り向いて見た。
キースを遊具代わりにしている子供たちは、その背中の上ですっかりはしゃいでいる。そしてそばには、いつもの優しい笑顔で見守る仲間たちの姿。
「旅路で知り合った仲間たちです。ご主人に救われたおかげで、私は多くの良い出会いに恵まれました。みな、私の素性を知りながら、同じ仲間として普通に接してくれます。あの日の、ご主人やあなたのように。」
弱々しかった声は、いくらかしっかりしたように聞こえた。
その言葉も嬉しくて、夫人は、今度はにっこりと笑った。
「よければ皆さん、今夜は我が家で休んで行ってくださいな。ちょうど今日は、あの子たちを連れて、街へ数日分の食料を買い込みに行ってきたところですから。野菜ならいくらでもありますし。私の手料理でよければ、腕を振るいますわ。」
「いや、しかし人数も多いし、それでは・・・。」
エミリオはあわてて拒もうとした。この家族の生活苦を知っているからだ。
「私たちの暮らしなら大丈夫です。と言いましても、残念ながら寝床も食事も満足にはご用意できませんが、野宿よりはいいでしょう。」
エミリオが街には泊まれないことを分かっている夫人は、いわくありげにそう答えた。