サンヴェルリーニ宮殿前
やがて、糸杉がまばらに生えている小高い草原の道の先に、圧倒的な規模で佇むその豪奢な皇宮は見えてきた。
一行は、あまり近寄り過ぎず正門の近くへ行ってみたが、門の前にいかめしい面構えの衛兵が数人立っているのは、よく見える位置にいた。
皇宮を取り囲む塀は壁ではなく、高い鉄のフェンスだったので、百以上ある大小様々な噴水と、幾何学模様に刈り込まれた芝生や、様々な形の植え込みによって整えられた大庭園まで、よく見ることができた。何よりやはり、真正面の奥に堂々と横たわる、青緑色の屋根を架けた白壁の美しい宮殿に息を呑んだ。くすみのない鮮やかな外観。それが、高く昇った太陽の光をいっぱいに浴びて、目も眩むばかりに輝いている。
これまで一人悩んでいたシャナイアも、気付けば、思わず呆けたように見惚れていた。
「これがサンヴェルリーニ宮殿。ダルアバス(王国)の王宮もすごいと思ったけど、この豪華 絢爛さは普通じゃないわ。」
「ねえ、入りたい。」
ミーアが無邪気にはしゃいだ。
「バカ、無理。」と、レッドが一言。
「でも、ここでエミリオは生活してたんだよね・・・。」
カイルが言った。
「皇子様としてな。」
リューイが付け足した。
「この国の皇族のものは、全てにおいてこうなんだろうな。帝都アルバドルではこんな華麗な宮殿は見かけなかったし、皇帝一族も、森の緑に囲まれた趣深い城に住んでいた。」
レッドが言った。
「普通に一緒にいたあのエミリオが、この煌びやかな大国の実は皇帝となるべき人だったなんて、よくよく考えると何だか急に怖くなってきちゃったわ。」
イヴは恐れ多いと言わんばかり。
「私は、ずっと皇子様にしか見えないけれど・・・。」と、メイリン。
そうして一行は、しばらくその場に呆然と突っ立ったままでいた。
そこへ、背後から響いてきたのは蹄の音。
耳のいいリューイが、誰よりも先に気づいて振り返った。それにつられるようにして、一緒にいる者たちも次々と体の向きを変えた。道は緩い下りになっている。
間もなく姿を現した人物に、一行は少し驚いた。白馬にまたがった年若い皇子だ。そうであるのはすぐに分かった。見るからに上等そうな服を着ているし、後ろに数名の兵士を従えている。
その皇子は、実に端麗な容姿をしていた。エミリオとはまた違った美しさだったが、系統は似ている。ブロンドの髪に灰青色の瞳で、繊細なつくりの中にも、どこか意志の強さを感じさせる容貌だ。
それが噂のランセル皇太子であることは、一目瞭然である。
郷に入りては郷に従え。この大陸の者なら言語もだいたい同じであるし、極端に外見が違うということもない。つまり、その国の者でない旅人などは、問題を起こさない行動をとるようにするもの。そのため、一行は素早く道を空けて、わきに並んだ。
真っ先にうつむいたイヴは、うやうやしく頭を垂れているふりをした。
それに倣って、ミーア以外はみなすぐに頭を下げた。
ブロンド髪の若い皇太子は、一人だけ堂々と見つめてくる――顔を仰け反らせてポカンと口を開けたままの――少女に気づくと、すれ違う瞬間、笑顔を向けた。
ただそれだけで、皇太子は一行の目の前を普通に通り過ぎて行った。
ミーアの頭を無理に押さえつけることもなかったレッドは、とっさに顔を隠したようなイヴの反応を妙だと思った。
レッドは、皇太子とその近衛兵が正門をくぐり抜けて行ったのを確認した。
「どうかしたのか。」
顔を上げたイヴは、宮殿の方を見てから答えた。
「あの皇子様、ヴェネッサの町に来たことがあるのよ。偶然だったけれど。その時に、エミリオと一緒のところを見られているの。エミリオが気づかれてしまって・・・。」
そんなことは誰もが初耳だ。
ミーア以外は一様に目を大きくし、唖然と口を開ける。
「それって・・・ひょっとして、とんでもなくマズい状況じゃないのか。」
レッドが言った。
「何とか誤魔化したつもりだけど・・・見抜かれちゃったかも。兄上って、エミリオのことを呼んだわ。」
「でも、母親は違うって。ニルスで同じ部屋になった時に、エミリオから聞いた。」
カイルが補足した。
「なるほど、エミリオが国を逃れた経緯が、何となく読めてきたぞ。」
レッドは、先ほどのパン屋の話も踏まえてひとり推測した。
「でも、あの皇子様はいい人だって。とても慕ってくれたとも言ってたよ。」
「あの時も、そんな感じだったわ。」
レッドの頭の中で、これまでのそれに関わる出来事と、知り得た情報が絡み合った。
「・・・てことは、あの若い皇太子は、もの凄く辛い立場にあったわけか。」
さらに考えを巡らしてレッドはそう呟いたが、それ以上は深刻になるのを止めた。なぜなら、今のこの帝都エルファラムが、見聞してきた限り幸福と平和で満たされているからだ。