大陸屈指の強国
ほかに類を見ない精巧な金銀 細工で栄え、壮麗さと富、軍事力、都市 基盤などの充実さ、全てにおいて長年大陸 屈指を誇ってきたヴルノーラ地方の大国、エルファラム帝国。今や戦場となることがほとんどなくなった東の地で、その地位を不動のものとしているこの国では、行くところどこでも、人々の表情は生き生きとした明るい笑顔に満ちていた。
一行は、不足した旅の必要物資をほぼ買いそろえ終えて、今は、繁華街から郊外へと抜けていく通りにいた。道沿いに並んでいる商店の、その一つ一つに意匠の凝らされた看板の列などを眺めながら、観光気分で歩いていた。
その中に、エミリオとギルの二人はいない。
ここはエミリオの母国、つまり、彼が皇子として暮らしていた国だからだ。そのため二人は、都心から遠く離れた森の中で、仲間たちが用を済ませて帰ってくるのを待っている。
円形広場の鐘楼や憩いの泉を飾る神々の彫像、また、公衆浴場などの公共施設や聖堂などのデザインには目をみはるセンスが光っているし、何より高層のアパートがよく目についた。新築らしいものが多いからである。それに、暗い路地裏などで目にする悲しい光景は、不思議なほど見かけられない。
あとは、エミリオとギルの二人のために、昼食代わりのお土産を買って戻るだけとなった一行には、エミリオには内緒でしたいことがあった。それは、規模と豪華 絢爛さにおいて有名なサンヴェルリーニ宮殿を拝みに行くことと、エミリオの存在が、今この国でどうなっているかを確かめることである。
「ほんとに素敵な街ね。話に聞いたことはあったけど、ここまで見事だとは想像もつかなかったわ。」
うっとりとその景観を眺めながら、メイリンが言った。メイリンは、生まれ育った緑豊かな土地から、ほとんど出たことがない。
一行はそのまま、前方に見える一軒のパン屋へ入って行った。そこはデリカテッセンでもあり、自由に具材を選べるサンドイッチをメイン商品としている。
ショーケースの前に立ったレッドは、向かいにいる、にこにこと愛想のいい小太りの店主に、ハムやチーズなどを適当に注文。そして後ろを振り返った。
「じゃあ・・・きくぞ。」という視線を投げかけるレッド。
仲間たちは頷いた。
慣れた手つきでトングを扱う店主は、注文通りの品を見た目美しく仕上げてくれている。
「ここはいい町だな。さすがに大陸屈指を誇る国だけのことはある。」
素知らぬふりを続けようと、気を引き締めたレッドは澄ました顔で問うた。
すると、偶然にも好都合な反応が。
「ここは最高の国だよ。なんたって、皇子様はお二人共素晴らしいお方で、エミリオ皇子のお母様であらせられるフェルミス先代皇后様も、それはそれはお優しいお方だったからね。」
店主は誇らしげに声を弾ませて答えた。
平民が口にするには不自然なほどめい一杯の尊敬語で語ってもらえるエミリオの母親は、国民から女神のように崇め愛される人気者のようだ・・・と、レッドは悟った。
「そのおかげで・・・大きな声では言えないが、皇帝陛下もずいぶんと変わられたと囁かれている。シャロン皇妃様のことはよくは知らないが、フェルミス様と幼いエミリオ様のお姿は、昔しょっちゅう見かけたものさ。あんたさんら、旅のお人かね。」
「ああ。」と、レッドは頷いて、この都合の良い返事を利用し会話を続けた。「じゃあ、そのエミリオ皇子が皇帝となる将来、ここはますます良い国になるだろうな。」
「あんたさんら、知らないのかね。エミリオ様は病でお亡くなりになったよ。フェルミス様も病でご逝去されたから、恐らく何か関わりがあったんじゃないかと、みな嘆いたものさ。あの時はひどいものだった。国中みんな深い悲しみに突き落とされて、立ち直るのに大変だった。」
そう答える店主の声に湿りが帯びたように、レッドには聞こえた。真実を知るレッドは呆気にとられると共に、エミリオがどれほど帝国民に愛されていた良き皇子だったかを改めて知って、ただただ感心するばかりである。
レッドは、〝うまく亡くなったことになっているようだ。〟という顔を、そこでまた仲間たちに向けた。
店主の話は続いている。
「けど、一時はどうなることかと誰もが不安だったが、代わって次期帝位継承者となったランセル皇太子様が、見事に応えてくださった。シャロン皇妃様まで亡くなられた今、陛下はすっかり気力を無くされて、そのために、実質的には譲位された形になっているというわけさ。エミリオ様の遺志を継いだ国政をと宣言なされて、フェルミス様のように、自ら街を見て回るお姿を目にした時はさすがに驚いたね。さらには、気になることがあれば側近に調べさせているんだろう、政府の人が、直接話を聞きに片田舎まで足を運ぶこともあるそうだ。恐れ多くて、遠慮なく意見できる者なんていないらしいが。それでも、いろいろとより良く改善してくださった。」
遺志を継いだ国政を・・・とは言っても、この大陸の多くの国でそうであるように、実際には王権が絶対であるわけではない。その下にいる政府の代表たちが統治に協力することで、国家や国政は成り立っている。この点、今現在のエルファラム帝国は実は大変で、喜んでばかりいる国民たちの知らないところでは、尊敬する兄エミリオの期待に応えようと気合充分なランセル皇太子に従うべく、宰相や各大臣、さらには多くの政府関係者が毎日振り回されている。あれはこれはと次々と繰り出される皇太子の意見や提案に、可能かどうかをとことん調べ、考えぬき、プランを立てて予算を組み形にするのは彼ら。エミリオと違うのは、内情をよく分かっていないから、ランセルは思ったことを全て口にしてしまう。その度に(遠慮がちな)説明が必要になる。悪気なくある意味 身内に厳しい若君に、大臣たちは緊張の連続だ・・・が、それを億劫に思う者など一人もいなかった。国を背負う者を育てるには必要なことだからである。
店主の自慢話はまだ続く。
「中でも、失業者に対する仕事の紹介や支援には、特に積極性を感じたね。ほら、うちも一人受け入れたところさ。」
そう言って店主は、サンドイッチとはまた別の商品棚に、焼き立てのパンを補充している、肩幅の広い男性の背中を指差した。まだ慣れていないようで、トングを持つ手つきが危なっかしい。
一行が目を向けると、彼は視線に気付いたようで会釈した。振り向いたその顔は、ほんわかイメージのパン屋には似合わないイカツさがあったが、笑顔に見られた瞳は優しく、年齢は三十を過ぎた頃だろうというくらい。若いといえば若い。
まず「いらっしゃいませ。」が無かったのは残念だが、余裕が出れば自ら覚えるだろう。そう大目に見てやった店主は、少々声を小さくした。
「実は店のイメージから独身女性を雇いたくて、募集の条件にはそう書いて出したんだけど、彼、おまけに子連れなんだよ。でも職員の方がわざわざ付き添いで一緒にきて、子供は只で手伝ってくれるって熱心に言うものだから、根負けして受け入れたんだ。そしたらどうだい。力仕事も頼めるし、子供もまだ五歳だってのにしっかり掃除してくれるしで、大助かりさ。」
「なるほど、じゃあその職員のおかげ。さらには皇太子殿下のおかげってわけか。」
「彼、以前は、幼くても子供一人で留守番させてたらしいんだが、父子家庭だから子供の病気で仕事を休んだり、長時間労働が難しかったりでクビになり、そのうち家も失って、路上生活三日目に、なんと通りかかった皇太子様に直接声を掛けられたらしい。」
いい話に心が温まったレッドだったが、「そうか素晴らしいな。でも・・・」と言って、嬉しそうに語り続けてくる店主の手元を指差した。「ごめん、手が止まってるよ。」
「ああ、すみません。つい自慢したくなってね。」
「だろうな。大陸中を歩き回ってきたが、これほど輝かしい国はちょっとない。」
「そうでしょう?今はずっと緊張状態が続いていたアルバドル帝国とも、ようやく確固たる平和条約が結ばれたし、万々歳さ。それもランセル皇太子様が、向こうのアドルバート侯爵と直接交されたことだし、本当にいい時代になってくれた。」
一瞬、レッドは耳を疑った。不意に、思わぬ名前を聞いたからだ。
「え・・・アドルバート侯爵って?アルバドルの皇帝でも、皇太子でもなく?」
「ああ。アルバドル帝国のアナリス皇女の婚約者だそうだ。何でも、あのギルベルト皇太子が不慮の事故で亡くなられたために、次期皇帝の座にはアナリス皇女が即位するらしいが、女帝になるとはいえ、実質的に政権を握るのは、その皇配となる彼だろうって話さ。実際こうして、かの国でも皇帝の存命中にもうその動きがあるわけだし。そら、お待ちどおさま。二つで・・・」
店主が出来上がったサンドイッチを袋に詰めて差し出した時、レッドは思わずシャナイアを振り返ったままでいた。どういう心境か、シャナイアの目にはあからさまな動揺の色が浮かんでいる。ギルとの関係を知っているイヴも横目にそっと見つめていたが、シャナイアは、そのどちらの視線にも気付いてはいないほどだった。
「お客さん、できたよ。そら、二つで五百四十だが、おまけして五百でいいよ。」
向き直ったレッドは、あわてて代金を支払った。
「ああ、ありがとう。じゃあ、五百ちょうどで。」
「まいどあり。」
店を出ると、一行は次にサンヴェルリーニ宮殿へ向かった。
その間、何かずっと考え込んでいる様子のシャナイアには、レッドもイヴも下手に声をかけなかった。