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【新装版】アルタクティス ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~   作者: 月河未羽
第14章  凍える森 〈 Ⅺ〉【R15】
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衝撃の訳


 そして重い口を開き始める。


「そこのご主人は・・・私のせいで亡くなった。」


 せい・・・という言い方に絶句する仲間たち。


「私を逃がすほんのわずかな隙を作るためだけに、自ら命を絶ったのだ。妻と、まだ幼い娘たちの目の前で・・・。」


 あのニルスの一件以来、誰もが気にはなっていたことだが、きっと関係するその悲惨な一面を垣間かいま見た気がした。みなはこれ以上詳しく聞くのが怖くなり、目を見合う。どんな局面にも動じることがなかったエミリオの、精神が崩壊する姿がさらされるのは怖かった。


 なのに、エミリオはまだ話を続けようとしている。


「私は皇宮を出て間もなく刺客しかくに襲われ、傷ついた体のまま川に落ちた。流れ着いた先でその家族に一命をとりとめられたのだが、その家族はとても貧しく、私の手当てにはありったけのものを使わせることになってしまった。それで、迷惑をかけたせめてもの償いとして、私は自分の髪を売って欲しいと頼んだ。よかれと思ってしたことだったが・・・そのせいで、すぐに行方が知られてしまった。迂闊だった・・・。」


 ギルはこの時、エミリオと再会した日のことを思い出した。

 髪を切ったんだなと、その時ギルは意味も無くそう声をかけたが、それがエミリオにとってどれほど辛い一言だったかと思うと、知らなかったとはいえ、ギルはたまらなくなって自分を恥じた。そして、共に旅を始めた最初の日からというもの、未だ時折ときおり見せる、エミリオのひどく落ち込んだ眼差しや背中がまた目に浮かんだ。その度に、幾度と無くこの男は自身を呪ってきたのだ。


 一方、その家族のことがずっと気がかりでならないエミリオは、その後を想像すればするほどやるせなくなって、一目様子を確かめたいと衝動的に考えるも、さすがに悩み続けていた。だがサロイで、暗殺を目論んだシャロン王妃自身が亡くなったのを知ったことから、ようやく決心がついたエミリオは、もし言うことができるのならと、この機会を切々と待っていたのである。


 メイリンを迎えにメルクローゼ公国へ向かう帰路をとるなら、そこからヴェネッサの町へ戻る途中で、エルファラム帝国に寄ることができる。しかしそれを口にすれば、その訳をこうして仲間に話さなくてはならなくなる。辛い記憶が鮮烈によみがえってくるだろう。耐えられる自信が無かったエミリオには、恐ろしく勇気のいることだった。「もし構わなければでいいんだが・・・。」と、静かに言い出したが実は、これを逃せば二度と叶わないという思いに突き動かされてのことだ。


 だからエミリオは、今、気を確かに保つことに必死でいた。エミリオは、仲間たちを説得するというよりは、あえて自身を非難するかのように話し続けている。


「その夫婦は、ごく自然に私に接してくれ、とても親切にしてくれた。幼い二人の少女も、とても慕ってくれた。だから、私が何者であるかには気付いていないものと思っていた。だがある日、突然やってきた刺客の前に立ちはだかった主人が、私に向かってこう言った。お逃げください・・・」


 ここで声が震えだして、エミリオは一度口を閉じた。この先は最も残酷で、口にした瞬間に胸が潰れるほどの罪悪感が容赦なく襲ってくる。それが分かっていたからこそ、恐怖心に囚われる前にあわてて言葉を続けた。


「お逃げください・・・皇子。逃げて・・・生き抜いてくださいと・・・。私は驚いて、その場に立ちすくんだ。しかし、そのあいだに彼は手にしていた草刈り鎌で、刺客しかくたちに向かっていくのではなく、自分の —— 」


「エミリオ!」


 聞くに耐えなくなって、ギルは言葉を制した。だが、このあと何を言えばいいのか。続きは語られなくても分かる。だから、「もういい。」と言ってやりたいが、それでは了解したことになりかねない。まだ安易に判断はできない。危険すぎる。かといって、慰めればいいというわけでは最もない。あまりに重くて、慰めの言葉はどれを口にしても軽率だ。それに、本人はそんなもの望んではいない。気持ちを汲んでもらうために打ち明けているのだから。こっちが途中で止めても、全て喋ってしまうだろう。


 そう冷静に考えていられるのは、このギルだけだった。ただただ悲痛な面持ちで黙ったままの他の者の目には、そんなエミリオの様子は恐れた通りもう異様で、誰もが戸惑っていた。顔色もみるみる悪くなっていくように思われ、傍目はためにも息遣いはおかしく動悸も感じられる。これまで明かすことがなかったのもうなずけると思える病的な姿なのである。


 そう心配しているあいだにも、ギルにさえぎられて言葉を切ったはずのエミリオは、やはり話を止めることなく、それどころかいよいよ己に鞭打ち言い募った。


「彼は、自分の腹部を・・・勢いよく刺した。私も、刺客たちも、思わぬことに愕然がくぜんとした。彼は刺客を相手に戦うのではなく、そうすることで私を守ろうとしてくれたのだ。私は何も考えられなくなり、彼が血を流して倒れるのをただたたずんで見ていた。そんな私に、今度はご夫人が怒鳴った。主人の死を無駄にしないでと。言われるままに、私はあわててその場から逃げだした。私は、ご夫人や子供たちが、私のせいで命を絶った彼の遺体に覆いかぶさり、泣いているのをそのままにして、ただひたすら逃げてきたのだ。だから・・・あれからどうなったのか。どうしているのか。彼女たちの今が知りたい。」


 事情はよく分かった。


 そしてギルでなくとも、今聞いた話に対してなぐさめるなど相応ふさわしくないと、誰もが感じた。エミリオの唇はかすかに震え、苦渋の表情で、目にははっきりと涙が浮かんでいるのである。それについては何も触れるべきではない。声を出すこともならないのではと、誰もがそんなエミリオに目を向けることから抵抗を感じていたので、代わりに決断を扇ぐような視線がギルに集中した。イエスかノーか、今ここでかけられる言葉はそれだけだ。


 その判断に迫られているギルは、ほとほと思案した。エミリオにとって死にたくもなるような、恩を仇で返すようなそのむごく辛い思い出は、生涯、悪魔のように付き纏ってエミリオを苦しめ続けるだろう。そこでもし、彼女たちが元気でやっている姿を見ることができたら、例えほんの少しでもその呪縛から解放されるかもしれない。どちらにせよ、このままではエミリオは悪い方にしか考えられず、それに果てなくさいなまれ続けるに違いなかった。


 ギルは腕を組んで、深々とため息をついた。

「そうか・・・。だがエミリオ、本当に本気で言っているのか。」

 ギルは、ひどく悄然しょうぜんとしているエミリオの正面から、その目をしっかりと見据えた。

「俺も含めて、帝都エルファラムの宿泊街で休めだなんて。」


 即座にレッドが反応した。

「そうだな。正体がバレたら、いきなり斬られるんじゃないか。」 


「まったくだ。エルファラムは、もともと俺にとっては敵地だぞ。」


 それを聞くと諦めたように視線を落としたエミリオに、ギルはこう続ける。


「俺も野宿に付き合うよ。」


 驚いて顔を上げたエミリオは、今はさっぱりとした笑顔の親友を見た。


 そのギルは視線をほかの仲間たちに転じ、「お前たちは町で休め。エルファラムを離れれば、ほぼ安全だ。」


「どうしてそう言いきれるんだ。」とレッド。


「もう立証済みだからだ。俺は初め、エルファラムを避けて回りながら南下し、途中エミリオと出会った。そのまま真っ直ぐにヴェネッサへ入ったわけだが、似ていると言われたことはあっても・・・あ・・・いや、いたなあ・・・。」


 事も無げに済ませようとしたギルだったが、そうもいかなくなり言葉をにごした。思い出したのだ。エミリオと再会したあの日、とある部隊の、鋭いというより単純な指揮官に一発で正体を見抜かれたことを。


「大丈夫かよ。」

「やっぱり危険なんじゃないか。」


 リューイ、レッドとさすがに心配になる。


「だがバレたのは軍隊にだ。ただの一般人には誰にも気付かれなかったよ。」


「じゃあ、決定でいい?」


「いや・・・。」


 カイルがまとめようとした時、レッドが意義を唱えた。


「二人が野宿するなら、俺とリューイだって野宿だ。」

 レッドは相棒を横目に見ただけで、勝手に決めた。


「当たり前だろ。」と、リューイ。「それに、俺もキースも、街より森の方が落ち着くんだ。」


 エミリオは目尻に溜まっていた涙をぬぐい、複雑な思いで微笑した。


 こうして、希望通りにエルファラム帝国へ向かうことが決まったが、本当のところは、むしろ逃げ出したいほどエミリオは怖くて仕方がなかった。 


 財力があるエルファラム帝国は、フェルミス先代皇后のおかげで、それが生活保護の面にも今はじゅうぶんに生かされ、満足な支援が受けられる国。しかしその保障を受けるには、夫の死因など、認めてもらうために事情を詳しく説明しなければならない。とても正直に話せることではないだろう。あれからいったい、どうやって暮らしているのだろうか。幼い少女たちは、自分のことをどう思っているだろうか。あの日のことを・・・どう受け止めただろうか・・・。 


 無情な現実を知らしめるようにチラついている言葉に、エミリオはまた恐怖にかられて目をつむる。


 無理心中 ―— 。


 自分のせいで一家の主を失ったその家族の無事を、エミリオはただ祈るように強く願うばかりだった。






        .・✽.・ E N D ・.✽・. 









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