生還
王宮の正門から主宮殿までは、美しく刈り込まれた三段の整形庭園が広がっている。
主宮殿の正面玄関を出た彼らが最初の階段にさしかかると、その下に国王と侍従、そして侍医のほかに二人の戦士がいた。その二人は、どちらも貫禄ある逞しい中年男性で、将官クラスの者と見受けられる。というのは、正門前の一番広い場所には、およそ百人の強者で編成された部隊が整然と佇んでいるのである。両手でないと扱えないだろう中でも最大級の大剣を背負っている者が目立ち、弓兵も多くいる。一応、怪物対策をしてきたようだ。だが恐らく、侍従が事情を話して待機させていたのだろう。
その精鋭部隊の出番はないまま、見事、彼らは任務完了。生還を果たした。
しかし、待っていた王や付き人、さらにその兵士たちから見れば、王妃を連れた勇者達がこうして戻っても、すぐに喜べる状況ではなかった。エミリオだけは見た目こそ無傷のようだが、ほかはみな派手に傷を負い、何より、そのエミリオが腕に抱いているシルビア王妃は、死んだようにぐったりとしているのだから。
背を低くしたエミリオは、ひどく心配そうな面持ちで地面に座り込んでいる王の膝に、意識のない王妃の体をそっと預けて、ほほ笑んだ。
「今は気を失っておられますが、王妃殿下はご無事です。」
降り注いだ破片やら砂埃で、その神秘的な美しい顔が汚れてさえいなければ、王はもう少しでエミリオを聖者様と見紛いひれ伏すところだ。
ガラス細工でも抱えるように両腕で妻を抱いた王は、それは愛しげに彼女の頬を何度も撫でた。
その姿に、二人の将官は自然と顔を見合わせ、共に安堵の吐息をついた。
そして一人が、背後に控えている部下達にこう声を張り上げる。
「王妃殿下はご無事でおられる!」
一斉に喝采を上げる兵士たち。続いて響き渡る拍手。
その騒音でか、意外にもここでシルビア王妃が目を覚ましたのである。
王妃は夫の顔を見上げて、まるで夢の中にでもいるような不思議そうな顔をした。状況把握が全くできないといったふうだった。
すると突然、王の目から涙が。
それは止めどもなく溢れ出し、頬を伝って流れ落ちた。王はいきなり、はばかりなく子供のように泣きじゃくったのだ。
侍医も侍従も、二人の将官も、そして一行も、それを見た誰もが驚いて唖然としたが、一番信じられないといった顔をしたのは、シルビア王妃である。
「陛下・・・陛下、どうなされました・・・。」
「シルビア、余は・・・余は、そなたがおらぬと生きてはゆけぬ・・・例え、そなたの心に余がおらぬとも・・・。」
この気持ちが先代王妃にもあったか・・・というと、彼女が亡くなったあと案外すぐに心移りしたことから、微妙なところ。実は、先代王妃は親が選んだ相手だ。綺麗で聡明で品格があり、申し分ないしっかり者の彼女を妻にするよう、温厚でどこか頼りない息子に、半ば強引な説得によって決めさせた政略結婚である。それでも確かに、共に連れ沿ううちに愛情は芽生えた。失って寂しい思いもした。だがそれは言わば情に近く、自分から好きになったシルビアに対しての思いは、また違う。誰に何を言われようと動じることなく、心から愛していると言いきることができるのはシルビア、歳の差は大きいが彼女だけだ。その本心を王室の誰も知らず、悟ってやることさえできずに、勘違いをしている者までいる。そのせいで、シルビアはひねくれてしまったというのに。
シルビアはただ呆然と夫を見つめ、それから側にいる侍従や侍医に目を向けた。
すると突然、これまでの衝撃的な自分の行いがフラッシュバックした。
「わたくしは・・・何ということを・・・。」
ガクガクと震えながら、シルビアは両手で顔を覆った。
この国に再び起こった怪事件は、現王妃のすさんでしまった心を利用され、引き起こされたもの。とはいえ、その姿はなんとも哀れに映り、ギルやレッドは目を見合う。
そしてカイルは、後ろからエミリオの肩を叩いて気を引いた。
エミリオはうなずいた。
「王妃殿下・・・。」
片膝をついているそのままで、エミリオは穏やかに呼びかける。そして、ここにもう二度と同じ恐怖が訪れないよう、テルマの話なども交えながら、これまであったこと、ことに妖魔を作り出したものが何であったかを、あくまで客観的な観点から、エミリオはもの静かな口調で説明して聞かせたのである。
それでもシルビア王妃に上手く理解させ、釘を刺すことができた。
「なんと恐ろしい・・・。わたくしは、これまで取り返しのつかない多くの過ちを犯しました。」
ひどく悄然としながら、シルビア王妃は虚ろな目を地面に向けている。
「どうか、この町が一日でも早く元通りになりますよう。」
エミリオは、最後にそんな言葉を送った。
気を確かに持ち直して、シルビアはしっかりと請け合ってみせた。そして急に優しい眼差しを夫に向けたかと思うと、その場にいる誰もが驚いたことには、王の頬に手を伸ばして涙のあとを拭き取ってやり、こう言ったのである。
「陛下・・・もし、お許しくださいますなら、今宵より寝室を共にさせていただきとうございます。」と。
「なんと・・・よいのか。」
シルビアは、どこか照れ臭そうにほほ笑みながらうなずいた。
「陛下のそのお涙・・・それは、わたくしのためのものでございましょう。わたくしはずっと、陛下のお飾りだとばかり思っておりました。」
ギルは、彼女はこんなふうにも笑えるのだと知って、内心密かに感嘆した。
嬉しそうに妻を抱きしめる国王。
侍従と侍医はほころぶ顔を見合い、エミリオも一件落着とばかりに仲間と視線を交わし合う。
ギルもタイミングよく進み出て来て跪き、「では陛下、我々は目的を果たしましたので、これにて・・・。」と、シルビア王妃のやや斜め後ろからそう声をかけた。
聞き覚えのある声・・・と気付いたシルビア。レッドのことはすっかり記憶から無くなっていたが、ギルについてはよく覚えていた。そこで振り向いたシルビア王妃はあっと口を開けたが、ギルが無邪気な表情でニヤリとしたのを見ると、なぜか押し黙るしかできなくなってしまった。
「今のしおらしいあなたの方が、ずっと素敵だ。」
ギルは王に目を向け直しながら、聞こえるか否かの声でささやいた。そして、思わず呆然となった王妃の反応を無視して、そのまま王の返事を待った。
王はひとつ頷いた。
「よくやってくれた。そなたらのことを余は生涯忘れぬだろう。」
一行は並んで恭しく一礼すると、もう眩い夜明けの暁光に向かって颯爽と歩きだした。
すると。
「そなたら・・・。」
突然シルビア王妃の声がかかったのである。
彼らを引き止めて優雅に立ち上がった王妃は、中でもエミリオに向かって言った。
「名は何と申す。」
反射的に顔を見合う二人。ギルとレッドは、まじまじとシルビア王妃の目の奥を覗き込む。
王妃に対して個人名だけを名乗るわけにもいかずにエミリオが黙っていると、夫を振り返ったシルビア王妃は、彼らに向き直って にこりと笑った。
「陛下が、ぜひ約束の褒美を取らせたいと、晩餐会も共にどうかとおっしゃっております。明後日、迎えの馬車を送りましょう。」
冗談キツい・・・と足の力が抜けそうになったギルとレッドは、今度は苦笑いを交わし合う。
そこへ早朝の爽やかな風が、平和の訪れを町に知らせてくれるように吹き抜けた。
エミリオやカイルが静かにそれを感じている横で、リューイは両腕を突き上げて伸びをしながら大あくびを一つ。
「俺は帰って寝る。」
リューイは、思い出したというように襲ってきたあまりの眠気に、不機嫌そうにそう言った。