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【新装版】アルタクティス ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~   作者: 月河未羽
第14章  凍える森 〈 Ⅺ〉【R15】
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血文字と冥界の使者


 エミリオがあとを引き継いだと分かると同時に、カイルの声がやっと止まった。我慢していた胸の悪さが、気を抜いたこの瞬間いっきに押し寄せる。体勢を保っていられず、震える足をがくがくと崩したカイルは、体が傾くままにダラリと横たわった。汗まみれで疲労困憊の体に、急に寒気が襲ってきた。


 だがそうも休憩しないうちに、カイルは、力の入りきらないへとへとの体を無理に起こしたのである。


 まだ、本来の大仕事をやり終えていない・・・。


 するとリューイの手が伸びてきて肩をつかまれた。


「いいから寝てろ。」


 カイルは首を振り、ポケットから取り出したメモ用紙を左手に持つと、肩越しにリューイを見て言った。


「ナイフを貸して。」と。


 言われるままに、リューイは思わず左腕のベルトからそれを抜き取っていた。


「ごめん、ちょっと下がってて。」


 これにはいくらか躊躇ためらったものの、リューイは深く考えずにそうした。同じように、そこにいるギルとレッドも、ただ怪訝けげんそうに黙って見ていた。


 何に使う気かと・・・思ったその時!


 サッと袖を捲り上げたカイルは、ナイフを逆手に握り締めると、なんと自分の左肩めがけて刃を振り下ろしたのである・・・!


「お前、何をっ!」


 リューイがとっさに一歩踏みだした時には、それは少年の左の三角筋をためらいもなく突き刺していた。


「うっ 一一 。」


 短い悲鳴が漏れると同時に、カイルの肩から決して少ないとは言えない血が流れた。


 後ろにいる三人は、驚きのあまり言葉も無くその背中を見つめた。目の前では、カイルが何やら意味の分からない文字か形を床に描いていく。自分の血で染めた赤い指先で。


 凶悪な魂を強引に冥界へ連れて行く力。それを呼ぶ方法が・・・これだ。


 傷口に指を付ける度に、痛みのせいで肩が一瞬引き攣るのが分かる。苦痛に耐えて無言で作業を続けるその姿に、見ている方は正視に耐えないといった険しい顔になる。


 途中、カイルがそばに置いたナイフを拾い上げたのを見て、いち早くレッドの腕が伸びた。あわててカイルの手首を引っつかんだレッドは、驚いて顔を向けてきたカイルを睨みつける。


「お前の血じゃなきゃダメなのか。」


 カイルは何も答えずレッドの厳しい目を見つめ返していたが、ぎこちなく首を横に振った。


 まさかストレートにそうくるとは不覚。理由を聞くべきだったと後悔したレッドはナイフをもぎ取り、肩の上まで袖を捲くり上げると、同じように自分の左腕を躊躇ちゅうちょなく刺した。そのいさぎよさが、利用するには申し分ない滴り落ちるほどの出血を生んだ。


「使え。」 

 血にまみれた腕を平然と差し出すレッド。そして、何の説明もなく予想もつかない行動に出たカイルに、ムッとして言った。

「お前の貧弱な血だけで足りるわけないだろ、バカヤロウ。」


「・・・ありがとう。」


 その時。


「おい、俺の背中の ―― 。」


「いいから、おとなしくしててくれっ。」


 ギルが本気で何を言いかけたかが分かって、レッドは呆れ返った。俺の背中の血も使え。それをやったら、死ぬぞ。


「レッド、そのナイフ寄越せ。俺のだぞ。」と、リューイも見ていられずに急き立てた。


「お前ももう血を流しすぎだ。俺ので足りない時にしろ。」


 カイルが恐る恐る遠慮がちにやるので、その人差し指をレッドは苛立いらだたし気につかんだ。それを、わざと傷口にこすりつけさせる。痛烈な痛みが走り抜けたが、レッドは見事に平気な顔をし続けた。


「ちゃんとやれ。大丈夫、傷口を触られたって痛くねえから気にするな。回復力はピカ一だしな。」


 痛くない・・・嘘だ。分かっていたが、レッドの頼もしい笑顔に後押しされて、自分がすべきことをしっかりと認識し直したカイルはうなずいた。


「よし、じゃあさっさとしろ。その代わり後始末はきちんとつけろよ。」


 やがて作業を終えたカイルは、レッドと共にそこから少し下がった。


 大理石の床に出来上がったのは、実に不気味な血文字の羅列られつによるうずである。


 次にカイルは、左手のメモ用紙にまた視線を落とすと、まずは一通り黙読した。紙面には、カイルが扱ったことのない呪文が書き連ねられてある。


 カイルは玉座を見た。男は・・・いや、邪悪な魂は、今度は離れることもできず取り憑いた体と共に弱りきって、床にうずくまっていた。今なら、また逃げられることもないだろう。


 カイルは注意深く、かつ滑らかにその呪文を読み上げていった。


 すると、血文字の渦の中から何かがシュルルッ!と現れた。


 人型の黒い影。それが二体いる。そして広間の奥へと飛んでいき、よれよれの体を無理に起こして逃げ出そうとした男を捕まえた。そのまま引き摺り倒され、両手両足を押さえられて床に仰向けにされた男の口から、聞くに堪えないけたたましい金切り声が聞こえる。


 気付けば、さらに幾つもの赤い筋状のものが、広間の隅の方に出現していた。後ろ、つまり出入口付近にも。黒いものも混じったその毒々しい色合いや雰囲気が、近寄り難い気味の悪さを見せていた。それらが、わきを掠め過ぎながら向かう先は、玉座のそばで身動きできない精霊使いの男のもと。まっしぐらにその体を目指して集まっている。そして男の体の中へと、言わばそれら冥界の使者たちが、次々と容赦なく潜り込んでいくのである。そのあいだ起き上がることもできない男は、身悶みもだえながら奇声を上げ続けていた。世にも残酷な公開処刑を見ているようだと、ギルやレッドは顔をしかめた。


 命令を下し終えたカイルも、何が起こるのかと、仲間と共にその様子を見つめている。


 そしてことごとく収まると、もがいて暴れようとする男の体の中から、やがてそれらが何かを捕まえて出てきた。


 凛とした顔つきの美女。


 カイルには、それらに引っ張り起こされるようにして立ち上がった彼女の姿をも見ることができた。だがその美しい顔は、恐ろしい冥界の使者に絡みつかれて狂気の表情をしている。


 ギルやレッド、そしてリューイには、妙な動きを見せる筋状のものだけが見えている。進んだり、後退したり、左右に揺れたり・・・邪悪な魂が、残る気力を振り絞った必死の抵抗をしているのだろう・・・と、誰もが感じた。


 ―― ん ?


 いや、ちょっと待て・・・! そうかと思うと、ひと塊となったそれらがこっちへ向かってくる・・・!?


 驚いたギルやレッド、それにリューイは慌ててさらに後ろへ逃げたが、それらは先頭に立った二体の黒い影について、どうやら血文字のうずを目指し下降していく。


 一方、エミリオもとうに収拾をつけており、闇の精霊たちはいつの間にか帰して、広間の大きな窓からはスーッと夜明けの暁光ぎょうこうが射し込んできた。


 そうして彼らは、冥界の使者が妖女と化した悪霊を連れて、空ではなく大理石の床へと姿を消すのを見届けた。それはまさに、邪悪な魂が、時空ときの暗い洞穴から冥界へと連れ戻されるところなのだろう。


「しかるべき場所・・・か。」

 腕から垂れ流している血もそのままに、レッドがつぶやいた。


「ああ、地獄へ帰ったようだ。」と、ギル。


「また よみがえらないっていう、なんかそんなのはどこにある。大丈夫なのか。」

 リューイが不器用にきいた。


「そんな保証はないけど、彼女がよみがえった原因が、この時代の戦争や人のよこしまな悪感情だっていうなら、少なくともこの世界が変わらなきゃダメだ。人はまた・・・狂い始めているから。」

 カイルは、悲しげにそう答えた。


「彼女の魂が、永遠によみがえることのない世界に・・・。」

 エミリオの祈るような呟きを最後に、彼らは玉座のそばで倒れている男の様子をうかがいに向かった。


 男は、無様に顔を歪めて横たわったまま、ピクリとも動かない。


 男の額と胸に手を当てたカイルは、さらに手首をとって脈をみた。

「大丈夫、命に別状なし。」


「じゃあ、ほったらかしてもいいよな。」と、リューイが面倒くさそうに言った。


 ギルとレッドが強くうなずいて、「賛成。」


 エミリオが横たえていた王妃の体を抱き上げると、誰からともなく広間を見渡して、それから呆然と顔を見合った。


 これも定められた運命なのだろうか・・・誰もが、そう問いたげな顔をしている。

 彼らの面上に浮かんだ微笑は、どこか苦く歪んだ。








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