女性像に・・・
何かにぶつかったと感じた瞬間、同時に気を失いそうな激痛が突き上げた・・・!
ギルは一瞬息の根が止まりそうになり、あえぐように口を開ける。腹をえぐられるような痛みが続き、だが自分の身に何が起こったかは分からなかった。
一方、今だとばかりに素早く転がって逃げたレッドと、同じく逃れる隙をついて脱出したリューイが、同時にあわててギルを見た。
ギルの体は、壁や柱に激突することはなかった。ただ、その体は、壁際に飾られてある彫像の方にぶつかっていた。
それを認めたとたん、レッドもリューイも愕然となる。
台座に軽く腰掛けるようにして凭れかかっているギルの股の間・・・そこから血が見えた。その背後にあるのは、抜き身の細身剣を下ろしている女性像である。
ギルは今の体勢を崩すわけにもいかずに踏みこらえ、台座に手をつき、そのまま辛うじて体を支えていた。彫像の足元に沿うように体を凭せ掛けているので、股の下にできる隙間から出血が広がり、血だまりとなっているのを二人は見たのである。目を閉じて苦痛に歪むその顔は、傍目からは意識があるのかどうかさえ定かでなく、青ざめていた。前から見てそれだけ分かれば、後ろがどうなっているかは考えるだけ恐ろしい。
「ギル!」
二人はギルのもとに飛んでいくと、気使う余裕すらなく、魔物の恐ろしい目と向かい合って剣を構えた。二人は怖い顔でなら立派に張り合えるほどの凄まじい目つきで、キッと上目づかいに怪物をにらみつける。こめかみに血管が浮き出るほど、二人ともカッとなった。
「こいつ、許さん!」
「ぶっ殺す!」
そして怒りのままに立ち向かおうとした、すると —— 。
突然、魔物が体をくねらせながら伸び上がり、そのまま仰け反ったのである。
唖然としている二人の目の前に忽然と現れたのは、薄茶色に色づく不思議な粒子の大群だった。人間がイナゴ(バッタ)に襲われるようにそれらが怪物を取り巻き、顔や体に貼りついて塗り固めていく。巨体を振り乱して後退していく体は、生命力を吸い取られるかのようにみるみる弱っていき、やがて長い体を腹だけでなく顎まで完全に打ち付けて止まった。また別の生き物のようにあれほど手古摺らせてくれた二本の触手も、今は動く気配もなくダラリと伸びきっている。
その顛末に思わず気を取られていたレッドとリューイは、ハッと我に返った。そして勢いよくギルを振り返る。リューイが恐る恐る背後を覗き込んで見てみると、女性像の剣を握っている腕が少し前に出ているために、やはり剣先がギルの腰のあたりをグサリと突き刺していた。
「俺は今、いったいどうなっている。」
無理に押し出したギルのその声は、痛みのせいで掠れていた。
「いや、訊かない方がいいぞ。」
「なるほど・・・。」
ギルは、嘘でもたいしたことはないとか言えないのかと、気の利かないリューイにがっかりした。今この瞬間気が遠くなりかけた原因は、何よりも怖い返事を聞かされた方にあるだろう。
「動けるか。」
気使わし気な声をかけるレッド。
「動いていいならな。」
ここでレッドは、黒い液体を垂れ流して倒れている怪物の向こうに目を向けた。
するとやはり、そこに見えるはエミリオとカイルの姿。カイルはもう、あわててこちらへ向かってきている。その後ろにいるエミリオは、意識のない女性を抱えていた。
駆けつけたカイルは、この短距離を走っただけとは思えない異常に荒い息をついていた。王妃と魔物の二つのことに力を使ったせいじゃないか・・・と気にしたレッドの前で、呼吸を整えながらギルの背中の傷をうかがっている。
みなが深刻な面持ちで見守る中、やがてカイルの面上に確かな安堵の色が浮かんだ。
「よかった、そんなに深くはないよ。危ないところは外れてるし。すぐに止血をして、無理しなければ大丈夫。」
「この状況で、またお前は難しいことを・・・。」
無理せずとも生き延びられるのなら言うことも聞こうが・・・という気持ちで、憮然とそう呟いた本人だけでなく、レッドも同感した。まだ終わってはいないという予感があったからだ。
リューイはすぐに思いついて、いつも腰を締めている帯をスルスルと解き始めた。広げて使えば包帯よりも幅広になるそれは、何かと使える。
「これでいけるか?」
「うん、ちょうどいいよ。」
カイルは、ギルの背中と腰の下あたりに慎重に手を回した。まずは刺さっているものを上手く抜き取らなければ、手当てもできない。
「レッド、反対側からこうして持ち上げるように、しっかり支えてあげて。もし痛みで足の力が抜けるようなことがあったら、ぜったい倒れないようにしてあげてね。もう一回刺さっちゃうから。」
なにサラッと冗談でないこと言ってくれてんだと、いつものギルなら口にしているところ。今はもはや弱りきっていて、もう声にはならなかった。
レッドは的確に従い、同じようにしてギルの背中と腰に手を当てる。
「いい?そのままゆっくり立ち上がるよ。痛くても踏みこらえて。」
鋭利なものが体から抜けていくのが分かると同時に、呼吸も止まるほどの激痛がまた襲いかかる。
「ぐあっ・・・!」
やはりそれ以上は声を出すことも、息を吸うことさえ束の間できなかったが、ギルは二人に支えられてどうにか立ち上がることはできた。そして痛みのあまり何も考えられないながらも、背丈、体格とあまり変わらないレッドの方に寄り掛かった。
レッドは、崩れるようにして力無く体重を預けてきたギルをしっかりと受け止めてやり、丁寧に廊下に寝かせてやった。無論、うつ伏せで。最初ひどかった出血も、ここに幾らでもある部屋から引っ張り出してきた使えるもので傷口を圧迫していると、やがて幸い治まった。仕上げにリューイが提供した帯で、カイルはテキパキとギルの傷口を縛りつける。
その間ぐったりしていたギルは、痛みに耐えられるようになるとノロノロと顔を上げて、見覚えのある女性を腕に抱いているエミリオを見た。
なぜか浮かない表情のエミリオ。
自分がこんな有様でいる以外にも考えられる理由には、ギルも見当がつく。そこで、こう問うた。
「やったのか・・・。」と。
エミリオは、やはりため息混じりに首を振った。
「だろうな。この怪物も、さっきまでピンピンしてたしな・・・。」
「逃げられないようにしようとしたんだけど・・・もの凄い力で・・・振り解かれちゃった・・・。」
カイルもそう肩を落とした。
「つまり、どういうことだ。王妃は今どういう状態なんだ。」
それにはエミリオが答えた。
「その魂は、カイルが下準備として先に仕向けた精霊の束縛から逃れるため、彼女の体を解放してどこかへ行ってしまったんだ。強い刺激を与えても反応せず、彼女は今、まるで昏睡状態に陥っている。」
「脳には特に異常は無いから回復するはずだけど・・・長期にわたって体と精神を乗っ取られていたことが原因かも・・・。」
カイルが言った。
「なんてこった・・・。」
「エミリオ、彼女は俺が。」
痛めている肩を心配したレッドが手を差し出すと、エミリオは首を振って苦笑した。
「いや、今日私は、剣を上手く使うことができない。だから、君の腕を封じてしまうわけには・・・。彼女を抱いているくらいなら大丈夫だ。ありがとう。」
「それで、その魂がまだここにいる確信はあるのか。」
ギルがカイルの方にきいた。
「うん。まだきっと、ここにいるよ。感じるんだ。」
そう答えるカイルの様子を、みな気にせずにはいられなかった。一様に眉をひそめて、数秒黙りこむ。
「けどお前・・・汗だくじゃねえか。」
「やれるか・・・?」
リューイにレッドと、ひどく心配そうな声をかけられたカイルは、ひとつ大きな深呼吸をしてから答えた。
「やらなきゃあ・・・。」
その首筋や着衣の胸の部分は、すでに汗でぐっしょりと濡れていた。