力任せの勝負
案の定、リューイは自分の居場所が分からなくなっていた。勢いよく上り始めた階段はなぜか中途半端な階で終わり、ほかの階段を探してようやく四階へ辿り着くことができても、どういうわけか、今度は廊下が途中で行き止まったりするのである。そのため、ここだという場所へ通じる道をなかなか見つけることができないまま、リューイは再度三階まで下りてきたところで、ついに立ち止まった。
そこでリューイは、自分が立っていた主宮殿の二階のバルコニーを確認しようと、窓から身を乗り出した。
「あっれえ・・・あそこから俺が見てたとこに、どうやったら行けんだ?」
「リューイ!てめえ、なにうろちょろしてんだ、エミリオ達とはぐれちまったろ!」
困り果てているリューイの耳に、息を切らせたレッドのがなり声が飛び込んできた。
あのあと、運良くリューイの後ろ姿を目で捉えることはできた。だが、追いつくどころか獣のようなスピードであちこち駆け回るリューイに、距離を離されずについて行くだけがやっとで、ここへ来るまで呼び止めることさえできなかったのである。
「おい、喧嘩はあとにしてくれ。マズいのがついてきたぞ。」
激怒しているレッドに、ギルの静かだが明らかに焦っている声がかけられた。
「あ・・・?」
険しくなった顔を向けて、レッドは舌打ち。さっき曲がってきた角から、片目を失った巨大で醜怪な顔がまたヌッと現れるのを見たからだ。
「あいつと今やりあうのは御免だ。暇もねえ。」
「だったら、逃げるぞ。」
ギルの声で進行方向を向いた三人は、がむしゃらに駆けだした。
だが突き当たりの曲がり角付近に来た時、ギルの脳裏に不吉がよぎった。不意に、とんでもないことを思い出したのである。
「レッド、待て、確かこっちは・・・。」
だが三人は、今にもそこを曲がろうとしていた。そして道なりのままに方向を変えると、ギルの警告よりも先に緊急停止することに。
「行き止まりだったよな・・・。」
ギルもレッドも、自分の迂闊さを呪った。早く、さっき通り過ぎた階段まで戻らなければ・・・と振り返ったが、魔物の巨体はもうその手前にさしかかっている。ほかに行ける場所といえば、この先にいくつか並んでいる部屋の中。しかし、ここは三階。どうせすぐに追い詰められる。
もう一方の剣をも引き抜きながら左右を見たレッドは、いつもならこれ以上なく心強いギルとリューイの二人を、この時ばかりは心許なさそうに確認した。こういう時、最も頼りになるのはカイルで、最悪の事態にまだどうにかできるかもしれない可能性があるのは、新米 神精術師であるはずのエミリオだ。それなのに、よりによってその二人と別行動をとっている今また、ノーマルな戦い方しかしようのない者ばかりで、次元の違う常識外れなこの怪物を相手にしなくてはならないとは・・・。
「力任せの勝負になるな、ちくしょう。」
「ああ、勝利は神頼みだ・・・。」
ギルもそう答えて、万事休すかと剣を構える。
そんな中、リューイはまったく不意に思い出して、先ほどの感触と似たものを一つ知っていると思った。
それで、リューイは突拍子もなく叫んだ。
「タコ!」
ギルとレッドは、狂ったかと言わんばかりの目でリューイを見た。
「それ以上のふざけたことを、この非常時に抜かしやがったら、先にお前をぶった斬るぞ。」
レッドは剣先を向ける相手を変えた。
「いや、さっき触ったらグニュグニュしてて、あれタコのお化けだよ!」
「タコはお前だ! いきなりなに調子狂わせてくれてんだ、このタコッ!」
「喧嘩はあとにしろと言ったろうっ。」そう二人を叱りつけてから、ギルはハッと気付いた。「そうか、こいつは軟体動物、いや怪物か。それで、あの塔の通路をやってこられたのか・・・。」
「おい、そんなこたあもうどうだっていいが、見ろよ、あいつの顔。」
レッドは顎をしゃくってみせた。その怪物の眉間には縦皺がくっきりと刻まれている。
「あの一撃がけっこう効いたらしいな。ヤツの弱点は目玉か。」
ギルが言った瞬間、怪物の頭から伸びている二本の触手が、同時にグォンとうねった。それはギルとレッドの二人に狙いをつけたらしく、パシッと床を叩いたかと思うと、廊下の上をまた走るように波打ちながらそら恐ろしい速さでやってくる・・・!
ヒラリとかわして剣を閃かせた二人は、足をすくわれる前にその不気味な先端部を斬り落とした。それはニョロッと縮んでやや後退したものの一向に怯みもせず、そこを何度傷つけようが何の痛手も受けはしないようだ。
その間に、リューイは全速力で駆けだしていた。
怪物はたちまち獲物をかえる。
リューイはめまぐるしく体を回して避けることで相手を錯乱させ、餌を捕まえようと躍起になる触手を、二本とも上手くすり抜けていった。そして、そいつが苛立たしげに背中を起こしたところに、驚異的な脚力をフルに発揮した得意のジャンプスピン・キックを食らわせたのである。
ところが、これもまたダメージはゼロ。リューイの片足が、そいつの胸の中へと面白いようにめり込んでいっただけだった。しかもその反動でリューイの体は跳ね返り、大理石の廊下にしたたかに叩きつけられた。そのあとすぐ、触手が一本リューイの胴体を串刺すように襲ってきたが、リューイは両手を突いて後転すると、立て続けにバク転を三度やってレッドの隣まで逃げ戻った。
「な、タコだろう?」
床に打ちつけた左肩を押さえて、呻きながらリューイは言った。
「くそ、あのヤロウ、ちっとも応えてねえ。」
「リューイ、これを持ってろ。」と言って、レッドは剣を片方押し付けた。「あいつに、お前の怪力が通用しねえことはよく分かった。」
その一方で、ギルは思案していた。力任せとは言っても、だからといってむやみやたらな攻撃に出ていては、ただやられるのを待つだけだ。ギルはリューイを見込んでの打開策を思いつき、二人にこんな提案をした。
「ヤツを失明させるしかないな。この状況を突破してあいつの顔まで到達できるのは、リューイ、お前しかいないがやれるか。」
「ああ、任せな。タコやろうめ今に見てろ。」
「レッド、援護するぞ。」
「了解。」
瞬時に作戦はたち、まず、ギルとレッドが一緒になって向かっていった。
ところが、わざと剣を差し出すような構えできた二人に対して、次もうまい具合に絡みつくかと思われた二本の触手は、その間際で妙な動きをみせ、二人の足やら腰の方に狙いを変えたのである。
ギルの左足にそれが一周したが、ギルは横に走らせた剣で素早く掻き切り、飛び退いた。
「一丁前に、学習能力があるようだな。」
「くそっ。」と、悪態をつきながら払い除けるように剣を動かしたレッドも、腰に巻きつかれる前に大きく下がった。「同じ手を食うつもりはないってわけか。」
そう言う間にも、執拗に襲い来るものを二人は巧みに避け、可能なら剣を斬りつけた。
とにかく、二人が引き付けているその隙に俊敏に近付き、横へ回り込んで巨体によじ登っていったリューイは、今はそいつの脳天にいた。見かけによらず、そこもまた柔らかくて不安定だが、先ほど蹴りつけた胸か腹の方に比べれば、まだ踏み応えがある。
リューイは両手で握りしめた剣を切っ先を下にして振り上げた。
「食らえ!」
ひとつ残っている目玉をめがけて、いっきに振り下ろす。
その寸前、謎の怪物は上を向いた。
「一一 っ !?」
思わず飛び上がったリューイは、背中からそいつの首の辺りを滑り落ちて落下した。その拍子に手放した剣がそばに落ちていたが、それを拾い上げる間もなく咥えるように襲ってきた巨大な口で、リューイの姿は見えなくなってしまった。
一瞬の出来事だった。
ショックのあまり、ギルもレッドも言葉を失う・・・が・・・よく見ると、閉まりきってはいないそいつの上顎がゆっくりと上がっていく。
リューイは汚い歯がまばらに生えている下顎を踏みつけ、負けてはいない怪力で上顎を持ち上げたまま、なんとそこにいた。だが、そうして怪物の口の中から徐々に姿を現したリューイは、額の出血に加えて腕や足からも血を流しているというマズい状況。それは、ますます怪物の食欲をそそってしまう。現に、そいつは早く餌を飲み込んでしまいたくてひたすら口を動かそうとし、身動きできないリューイはそれにギリギリ対抗しているという、まさに崖っぷち。
「リューイ!」
考えるよりも早く、ギルもレッドも突進していた。どうしたらいいかなど分からなかったが、とにかくこの怪物を怯ませなければと思った。このままでは、そいつの胃袋の中にリューイがすっぽり納まってしまうのも時間の問題だ。
ところが、あと少しの餌にすっかり気をとられていると思われた二人の読みは、甘かった。
いきなり、レッドが叫んだ・・・!
驚いたギルが目を向けると、レッドの体は、予想外の動きで飛び出したそいつの右手の下敷きになりかけている。凄まじい重量が体にのしかかってくるのを渾身の力で押し返し、ただ潰されないようにするだけで精一杯だ。少しでも力を緩めれば、たちまち圧死してしまうだろう。
「レッド!」
ギルは冷や汗が流れる思いで、二人のさまを交互に見た。どちらもただ命を繋ぎとめるだけに必死で、とても反撃かなうような状態ではない。
ええい、ままよ!
ギルは、決死の思いで駆けだした。怪物の思考が三つに分散されれば威力も多少は衰え、二人が逃れられるチャンスもできよう。
いっきに行くつもりで、ギルは気を引き締めた。そして見事、レッドを押さえつけている太い腕に捨て身の一撃、大剣を突き刺すことに成功した。
怪物は、レッドを放したその手を、そのまま横殴りにギルの体へ向ける。
声を上げる間もなく、ギルは背中から壁際へ向かって叩き飛ばされた。