騒然とする王宮
真夜中の冷たい雨が降りしきる中。
王宮へと続く小路を速足で抜けてきた彼らは、目をつけていた裏門の前に来ると互いに頷きあった。ひしひしと感じられる不快感。この時、そのせいで、カイルとエミリオが微妙に顔をしかめていることには、ほかの者も気付いていた。
この裏門には、巡回している衛兵しか現れないことや、錠の種類を確認していたレッド。皮肉なことに、盗賊一味に育てられたおかげで、多少はピッキングの特殊技術を使えるようになっていた。まずは、誰も来ない今のうちに鮮やかに開門して、庭園内に侵入する。そのあとは、あらかじめ制服に着替えていたギルだけが宮殿へ。真夜中とはいえ、夜警の衛兵のほかは誰も彼もが寝静まっているというわけではない。そのままの恰好で全員が王宮へと踏み込むのはさすがに無謀というもの。そこで、無理はあるものの思いつく中で最も使えるとした作戦が、ご指名を受けていたギルがその約束通りに王妃の寝室を訪れ、彼女を上手く外へと誘い出すことだった。
ところが、その作戦は突然不要となる。
主宮殿の方向。そちらから悲鳴が聞こえてきたのである。それも大勢の悲鳴。実際そこでは地面を揺さぶるような大音声だ。
「なんだ・・・?」
リューイは声がした方へ首を向けた。
騒ぎのどさくさに紛れて堂々と姿を現し、人気のない脇道から、悲鳴が聞こえてくる正門側へ急いで回った。
すると、やや遠目に人の流れが見える。それは王宮で働く者たちが押し合いへし合い正門に殺到している衝撃的な光景だ。その様子、まるで狂ったようなその状態を見ると、思わず足を止めた。
これは・・・やはり。
気を取り直して、一行は情報を得ようと近づいて行く。強引に群れの中に割り込んで正門に背を向けて立つと、後から後から、人々がまさに川の流れのようにやってくる。
腕や肩がぶつかりそうになるのをリューイは素早く避けながら、サッと手を伸ばして、すれ違う一人の男を捕まえた。
「おい、王妃ってのは、今どこにいる!」
「バ、バケッ・・・バッ・・・。」
その男の舌はもつれまくって、まともに聞き取れるようなものではない。
「化け物が出たのは分かってんだよ!ちゃんと喋れ!」
イラつくリューイの手を振り解いて、魚のように男はビュンと逃げて行った。
「大急ぎで部隊を編成する頃だろうが・・・。」
ギルは苦い表情を浮かべる。
「部外者の俺たちは、つまみ出されるかもな。」と、レッド。
「ややこしくなっちゃうよ。妖女を無理やり帰さなきゃいけないんだよ。邪魔されたくないよ。」
「それに、どれほどの犠牲者が出るか分からない。彼女を帰すことができたら済む話かもしれないのに。」
エミリオもそう眉をひそめた。
とにかく、ここで立ち止ってそうこう話し込んでいては、ただの障害物でしかない。
そんな一行を避け損なった誰かが、派手にカイルにぶつかった。
そばにいたレッドが、尻餅をつきそうになったカイルを引っ張り起こしてやった時、ひと言カイルに謝ったその人は、走りだしながら凄い早口で警告を残して行った。
「君達も早く逃げろ!もうすぐ軍隊が来る、巻き込まれるぞ!」
主宮殿の壁面に整然と並ぶランプの明かりはどれも弱々しく、エントランスから伸びている広廊はどこも薄暗い不気味さに覆われている。
その中を通り、広い踊り場で階段が分かれる一階の大階段室にきた時だった。
不可解そうに立ち止る一行。
その踊り場にうずくまっている三人の姿を目に留めたのである。
「国王・・・?」
レッドが呟いた。
そうであることは身なりからも一目瞭然だが、それにしても何かおかしい。まずこの非常事態に、王ともあろう御方が取り残されていることから、もうおかしい。そばにいる付き人はたった二人だけ。だがそれは、恐らく本人が他の者に先に逃げるよう命令したのではないかとギルは考えた。なぜなら、王は、二人のお供が懸命に差し伸べている手をなぜか拒み、そうしながらやけに後ろが気になるらしく、だが度々振り返っては口に手を当てて咳き込む始末。逃げる意思が全く見られないのである。おかげで、二人の付き人はそうとう手をやかされ弱り果てているというのが、傍目にもすぐに分かった。
「なに暢気に揉めてんだ、あいつら。」
リューイにはさっぱり理解できない。
そう呆れている間にも王はよろよろと立ち上がり、欄干につかみかかってクルリと背を返すや、二人の付き人がせっかくここまで連れて下りてきたであろう階段を、なんと戻り始めた。
「え・・・なんで・・・。」
その奇行にカイルは絶句。
「おいおい・・・まさか、忘れ物か。」とリューイ。
「何か気がかりがあるらしいな。」
レッドが言った。
「そうか・・・。」
気づいたギルが、レッドやリューイの背中を叩きながらこう言った。
「王の忘れ物、いや気がかりはきっと彼女だ。ほら、行くぞ。」
一方、侍従と侍医は二人がかりで、とにかく王を引き止めることに無我夢中でいた。上手く説得してやっと一階まで連れて来たというのに、もうすぐ外へ避難できるというこの時になって、王はまた我儘な子供のように頑なに言うことを聞いてくれなくなったのである。
理由は、シルビア王妃だ。
「お止めくだされ、陛下!今戻れば、あの恐ろしい怪物が・・・!」
だが王は欄干を固く握りしめたまま離れようとせず、病弱な体でなおも無理に上がろうとする。
「シルビア、シルビアを・・・!」
「陛下、王妃様は、すでにご避難されておられることでしょう!ご無理をされては、お体にさわります!なにとぞお止めくだされ!」
「シルビアは呪われている。まだこの宮殿内にいるに違いない。」
悲痛な声を上げ続ける王を見るに忍びなくなった侍従は、侍医に陛下を頼むと言い、毅然と階段を見上げた。この男はもう五十近い中年だが貫禄もあり、用心棒をも兼ねているだけあって体つきは逞しく、剣も備えてはいる。実力ある忠実な従者で、この役職には王の人柄に惹かれて自ら志願していた。
「陛下、それではわたくしが、王妃様を探して参りましょう。」
「行くな。」
不意に耳慣れない声がした。若い声。
反射的に振り向く。
侍従は空耳かとも思ったが、王も侍医も同じ反応をしており、そろって目を向けたそこには、確かに声の主がいた。
見知らぬ若者が五人。誰もが血相を変えて逃げ出して行ったこの中を、物怖じ一つ見せずに近づいてくる。