恐ろしい仮説
夕食を済ませると、五人はエミリオが休んでいた寝室に集合した。
重傷を負ったキースも今夜は家に入れてもらい、今は、胡坐をかいているリューイの背中にぴったりと体をつけて丸くなっている。
「災難だったな。」
レッドが、腫れ物に触るようにリューイに声をかけた。
リューイは怒り冷めやらぬ顔でふくれている。
「まったくだぜ。俺は、はなから嫌な予感がしてたんだ。誰かさんは、術使いじゃないから大丈夫!なんていい加減なこと抜かしやがったけどな。自慢じゃないけどな、俺の直感はよく当たるんだ。嫌な予感がな。」
リューイは恨めしそうな目をカイルに向けながら、ムッとして言った。
「で、何も確認できなかったわけか。」
ギルがきいた。
「ああ。そんなもんよくよく探してる暇なんて無かったよ。キースの様子がすぐにおかしくなって、さっさと戻ろうとしたけど、この様だ。」
リューイはつっけんどんに答えた。
「俺達もその水路を調べに行ったが・・・見当のつくところに、地下へ下りられる塔と、壊れかけた扉を見つけることができただけだった。そこが湖につながっているかどうかまでは、ちょっと確かめることができなかった。主宮殿からはずいぶん離れた、もう誰も通らないような場所にあったが、そこからの侵入は好ましくない雰囲気だった。だから代わりに、他の侵入口の目ぼしをつけてきた。」
そのギルの報告にも、リューイの呪うような眼差しにも気付かずに、カイルはずっと渋面を浮かべて一人考え込んでいる。帰ってからというもの内心気が気ではない思いをしているカイルは、そんな様子に気づいたギルが声をかけようとした時になって、やっとこう口を開いた。
「でも・・・どうして。彼女は妖術も呪文も知らないはず・・・なのに、どうして妖魔が・・・。」
まさか・・・それも・・・。
カイルはそこで、脳裏にチラついていた考えられる最悪の理由を、とうとう口に出した。
「そもそも・・・妖術が現存していて、またむやみに使われ始めたことによって、世界が・・・ううん、言ってしまえば時空そのものに歪みが生じて、こんな・・・自由に出てこられる冥界の死者も現れだしたのかも。その影響はもはや精霊だけにとどまらなくて・・・。彼女がまとう妖気・・・もはやそれは・・・いわば強力な変異ウイルス。」
聞き取った誰もが、瞬間、凍てついたようになる。
冗談じゃない。場合によっては、簡単に魔物を量産できるようになるということか。
「馬鹿な、そのうち人間まで変えられるんじゃないだろうな。」
ギルが言った。
それは有り得ないことでもない。生き物を妖怪に化けさせるのが、本来の妖術。
「しかしカイル・・・そうだとしても、湖にはそのような魔物がいながら、彼女がいる王宮では何事も起こらないというのは納得がいかないが。テルマ殿からその情報がないというのは、そういうことだろうから。」
エミリオが疑問を投げかけた。
それについては、カイルはすぐに思い当たり、答えることができた。
「これは僕が思うだけなんだけど、強い妖力を身につけた存在自体が及ぼす影響力を本当にウイルスだと考えれば説明がつく。つまり、感染しやすい環境と同じように考えて当てはめれば、宮殿は、華やかで賑やかで明るくもなる場所。一方、森の湖は、ずっと暗くて陰気な場所。そこで絶え間なく影響を受け続けた結果だと思う。その妖魔だって水中にいたってことは、きっと魚みたいなものだろうから、陸に上がって王宮まで行ったりもできなかったんじゃないかな。けど・・・こんな・・・こんなことって・・・。」
カイルのそれを聞きながら、リューイはまた悪寒に襲われた。なぜなら、自分は唯一その本当の姿を見ている。それは魚ではなかった。陸でも歩けそうな短くて太い足が付いていた。
「カイル・・・それ・・・さ、足があった・・・。」と、リューイは小さな声で言った。
とたんに、カイルの顔色が変わった。
「ワニみたいな足があった。歩けると思う・・・。ああでも、ほら、もうお前が水中でやっつけたから・・・。」
リューイに向けられているカイルの表情は、周りにいる者たちが不安になるほど固まっている。
「・・・一体とは・・・限らないよ。」
「だがカイル、歩けたとして、今までその目撃情報も被害もないらしいのもおかしいだろう。」
ギルが言った。
カイルは少し黙って、それからふと、リューイの背後で眠っているキースを見た。そしてハッとした。キースの体は包帯でぐるぐる巻きにされている。にわかに、鬼気迫るような恐ろしい考えがよぎった。
「血の臭い・・・。」
その一言に、いよいよ背筋が凍りついた。どんな話があとに続くかは、もう誰もが予想できることだ。
「彼女も知らないうちに生み出されたあれは、もともと湖の底にただ身を潜めていて、リューイがそばにきたことで血の臭いに誘われて出てきた。妖術では大量の血を捧げる。それは、妖術に力を貸すと言われている戦や復讐の神々が流血を好むから。しかもキースは・・・あの湖で実際に血を流した。リューイが近付いただけで嗅ぎつけたとしたら、それだけでもじゅうぶん狂気を誘うよ。それに、そもそも血の臭いには本能的に敏感であるのだろうし、今まで何事もなかったのが、おかしいくらいなのかもしれない。まだほかにもいるとしたら・・・。」
リューイが見た魔物について喋り出した時から、顔をしかめて同じ胸騒ぎに襲われていたギルとレッドだったが、ここで二人は目を見合う。
「なあ・・・そう考えられるなら、こんなに悠長にしてる暇なんて無いんじゃないか。明後日なんて待ってたら、間に合わないかもしれないぜ・・・なぜなら・・・。」
まずレッドが焦ってそう言いだした。
ギルが苦い口調で言葉を続ける。
「恐ろしいことに、俺たちが見てきたものが・・・その前兆らしい。」
「リューイが湖から向かおうとしたのは、王宮の真下だろう?さっきギルが、壊れかけた扉とか、好ましくない雰囲気と言ったが、正確には、湖とつながっていそうなその地下の壊れかけた扉には、外から何かが無理やり開けようとした形跡が見られた。陸でも這い上がれるやつがいるとしたら、それって・・・そいつの仕業だってことにならないか。」
いよいよ青ざめたカイルは、呟くような低い声で言った。
「歴史が繰り返されるって、大陸の終焉って・・・。」
それを聞きとった誰もが言葉もなくカイルを見つめる。
「妖術が行われる時には・・・封印されたはずの神々の力が、一時的に復活してるのかも・・・。妖術を行うことは、邪悪な神々の封印を解く手助けをしているということ・・・。そうして時空が歪みだしたところに、再び戦乱の時代が訪れた・・・。戦場で兵士たちがしていることは、争いや流血を好むような神々に血を捧げて、閉じ込められている力を解放する行為。」
カイルの口から流れだした仮説は、これまで半信半疑でいた仲間たちを、いっきに現実の恐怖へと突き落としていく。
「だって、人はまた戦争なんかして、たくさん殺して、死体の山を築いてる。そうして、結果的に夥しい血を捧げているから。ことごとく処分されたはずの妖術の書は生き残っていて、人間はまた同じ過ちばかりしてる。そもそも人が悪い歴史を繰り返したせいだ。」
血相を変えて吐き出される少年医師の訴えに、実際にその渦中で人を手にかけていたギルやエミリオ、そしてレッドは、羞恥にかられた。無論、守りたいもののため、世を正したいがためであっても。
「今だって、エドリースでは激戦が続いていて、あんなふうに、たくさんの人が殺され ――」
「だけど、普通には止められないんだろ。」
不意に、リューイが口をはさんだ。
「もう普通には止められないんだろ? その人殺しや殺し合いは。そのせいで、なんかこの大陸がおかしくなってても、今さら・・・。だから俺たちがいるんだろ? 今この大陸がどうなってて、なんでそうなったか説明されても、よく分かんねえから、とにかく、神にやれって言われたことをやれば全部上手くいくなら、俺はもうそれしか考えないけど、いいよな?」
単純で率直で、常に前向きなリューイの言葉と声は、カイルの熱をいっきに醒ましたようだった。
エミリオやレッドと目を見合ったギルは、ため息をついて言った。
「そうだな・・・。まずは、この町をなんとかして、それからだ。もうすぐヴェネッサに・・・始まりの町に帰り着く。それについて、いよいよ俺たちの本来のすべきことが分かるかもしれない。」