霊能力
夜が明けようとしていた。
暗闇は次第に薄れていき、今は木々の輪郭がはっきりと浮かびだしている。冷たい風が吹きぬけ、木の葉が触れ合ってかさかさとざわめいていた。
ひんやりする霧が漂う中、エミリオはそんな自然の音に耳を澄ましていた。心が癒されるような、不思議な心地良さを感じる音だ。
そのエミリオのすぐそばには、荷物を枕代わりに横たわっている男がいる。
ギルだ。
あても目的もない孤独な旅路で、エミリオが思いがけず行動を共にすることになった男である。
エミリオは不意に、霧の中にあるが、それとは違うものに気付いて視線を向けた。歩行せずに音も無くすうっと近付いてくるそれは、人の姿をした白くてぼんやりしたもの。多くの者は、それを見ることはできない。霊能力というものを持つ者だけに見える存在、霊体・・・つまりは、幽霊である。
それを見つめるエミリオの顔に戸惑いはなく、それどころか、それを見て微笑んだ。そして、目の前にやってきたその人に平然と挨拶をし、「君は?」と、物静かな口調で尋ねた。
少女の姿をしたその霊は、ゆらゆらと揺れ動いた。
「え、何だい・・・友達?」
やや首をかしげて、エミリオは優しく聞き返す。
エミリオには、その少女の霊の姿がはっきりと見えていた。読唇術によって話をしているのである。これまで何度も同じような経験があり、エミリオは読唇術を完璧にマスターしていた。それなのに、今それをすんなりと理解できずに悩んでいるのは、彼女が気恥ずかしそうにもじもじしているからだ。
すると、四方から同じような者たちが次々と現れだした。そして、エミリオの前に集まってきた。何処から来たのか、女、子供ばかりだ。戦争に巻き込まれた者もいるだろう。戦いにおいては弱い立場にある彼女たちが、昇天できずにこのような姿で現れる・・・その死に様を思うと、エミリオは胸が切り裂かれる思いがした。幼い少年少女たちなど、自分の死を知らないかのように無邪気で、嬉しそうな顔をしているのである。いっそう心が締め付けられた。
エミリオは、暖かい笑顔で彼女たちを迎えた。
「やあ・・・初めまして。」
そうして、彼らと平気で会話を始めたエミリオは、ある時、すっと斜めに伸びた綺麗な眉を寄せて、手を振ってみせた。
「歌? 私に? だめだよ、ギルを起こしてしまう。」
エミリオは、幼少期から音楽の英才教育を受けていた。それはいくつかの楽器の演奏に限られていたが、特に管楽器が得意で、歌を習ったことはなくても音感には優れていた。
しばらく困惑しながら考えていたエミリオ。だがやがて、それが彼女たちの慰めになるのならと、笑顔でうなずいてみせた。
「分かった。じゃあ少し向こうへ行こう。私は一曲しか知らないから、一度だけだよ。母上から教わった歌だ。それでいいね。」
静かに腰を上げたエミリオは、期待に胸を膨らませる多くの霊に取り巻かれて、そっとその場を離れた。
それから少しして、ギルは目を覚ました。
太陽はまだはっきりと姿を現してはいないものの、辺りはずいぶん明るくなっている。
起きた早々《そうそう》連れの姿が見当たらず、ギルは自身に呆れ返った。
「俺としたことが・・・。」
エミリオがいつの間にか起きて、そばから離れたことにも気づかないとは。目覚める前になぜか話し声が聞こえた気がしたが、夢の中のような感覚で、すっかり気を抜いていた。これでは敵や盗賊に寝込みを襲われたらお仕舞いだな・・・そう思い、ギルは肩をすくった。思えば、エミリオは敵国の戦士だったのである。なのに、数日共に過ごしただけでその認識はすっかり消えてしまい、それどころか無意識のうちに頼りにして、一人ではないことに安心しきっていた。
「あいつ、どこへ行っちまったんだ。」
ギルは、そこから見ることのできる至るところに視線を向けて、相棒の姿を探した。だが、腰を捻って後ろを見ても、そこにはただ樫の巨木が佇んでいるばかり。
すると、ある思いがよぎってハッとした。
「まさか・・・な。」
ギルは焦ったように立ち上がると、気が向くままに駆けだした。