俺と旅をしないか
エミリオとギルは互いの目を見合った・・・が、初めて会ったのがヘルクトロイの戦のただ中で対決したあの日、あの時、後にも先にもそれ一度きりだった二人の脳裏に、従兄弟という意識は毛頭なかった。
すると、これを受けて何か返してくるだろうと思っていたギルの予想に反して、エミリオはゆっくりと視線を逸らし、下を向いて、また一点見つめで黙り込んでしまったのである。
「こんな状況で、俺について何か気になることとかないのか。」と、それでギルは言った。
エミリオは少しだけ首を向けた。
「そなたが・・・あの日とはまるで別人のようであることだ。」
これを聞くと、ギルは声を上げて笑った。
「そうか、そうだな。よし、それがいい。その話をしよう。」
そしてギルは、やや間をおいてから語り始めた。
「俺には二つの顔がある。まさに二重人格ってヤツだな。一つは、あんたもあの日会った皇子としての顔。そしてもう一つは、この顔だ。」
ギルはそこで、ニヤッと微笑んだ。
「つまり、俺には正体を偽って過ごしていた時間もあったってことだ。」
「・・・どこで。」
「近くの街で。」
「・・・なぜ。」
ギルは、それにはもっと深刻な訳があったがそれは伏せておいて、こう答えた。
「外の世界が知りたかったんだ。自分の知らない、いろんなことを。」
「だが・・・いかにして。」
「城を抜け出すのは意外と容易かった。俺は比較的自由に育てられていたし、俺にはその脱走を手伝ってくれる賢い相棒もいた。ただし、鷹だが・・・。」
ギルはそう言って、その巧妙な手口を説明し始める。
「まず、警備が手薄な裏門の鍵を入手。次に、愛馬に乗ってただ散策しているふりをしながらそこまでたどり着いたら、そばの大木に向かって合図を送る。すると、相棒がその木に隠しているランタンをくわえて降りて来てくれるってわけさ。帰りは、また見えないように枝葉の中へ上手く隠してくれるしな。そうやって、よく夜遊びしたもんだ。」
このギルの行動のおかげで、その相棒の鷹の寝床は、いつしか裏門のそばの木の枝になってしまった。
帝都アルバドルにある皇帝の居城は、湖畔の緑深い森の中にそびえ立っている。城の敷地内にもその森の自然は生かされているので、ギルは愛馬に乗って、城内を散策することもしばしばだった。だが夜は一晩中 照明が灯されてあるので、道が分からなくなることはない。ゆえに、ランタンを持ち出そうものなら、勝手に外出しようとしていることがバレてしまう。
エミリオは信じられないといった、呆気にとられた顔をしていた。とても全てをまともに受け止めることはできなかったが、それでも、次に冗談だろうとは言わずにこうきいた。
「では・・・そなたが今ここに居るのも、いつもより遠出をしただけのことだと?ここはもう・・・ずいぶん離れていると思うが。城の者たちが探しているだろう。」
「いや・・・。確かにそうだろうが、国へ帰るつもりはない。俺は・・・国を捨ててきた。」
エミリオは、いよいよ二の句が継げなかった。皇子にあるまじき発言であり、けしからないことだ・・・が、そう答えたその時、彼は何か思いつめた真剣な顔をしていた。それが、決して気まぐれではないことを物語っていた。
そして、エミリオのその予感を裏付けるかのように、ギルはそのあと囁くような小声でこう続けたのである。
「俺は、皇帝になる権利はあっても、資格のない男なんだ。自分にその価値がないことに気付いた。」
エミリオは、歯車が狂うまでは帝位継承者という同じ立場にあっただけに気にはなったが、その理由を探ろうなどとは思わなかった。何となく、ふと垣間見た彼のその様子のおかしさから、下手に詮索すれば、知らず知らず傷つけてしまうことになるかもしれない、そう恐れたからだ。ただ、疑問だけはあった。
それでエミリオは、一言だけ問うてみた。
「しかし・・・そなたは皇太子では・・・。」
するとギルは、「ああ。だが、妹の婚約者に全てを託して出てきた。」と、答えて続けた。「俺には妹がいる。だから、帝位は妹が継ぎ女帝となるだろうが、実権を握るのはその男になるだろう。無論、このことを知っているのはその男と妹だけで、父上や母上には内緒で出てきたんだがな。だが、その二人を分からせるにも苦労した。」
エミリオは目を丸くして、ただ無言でギルベルト皇子を見つめていた。
「顔に、〝呆れた〟と書いてある。」と、ギルはふっと苦笑した。
そして、ギルもまた本当の理由を話す気にはなれず、代わりにもう一つの、別の想いを語り始めた。しみじみと空を仰いで。
「俺は幼い頃から、父上に馬術や弓術を・・・戦う術を徹底的に教え込まれた。だが、俺にはそれが楽しくて仕方が無かった。父上はもともと屈強の戦士だったんでな。よく二人で遠乗りへ出掛け、日が暮れるまで夢中で馬を走らせたものだ。その時、広大な大地はいつも俺に語りかけていた。世界はこんなものじゃない・・・ってな。とにかく、俺の気持ちはその頃から外へ向けられて止まないんだ。」
ギルは自嘲の笑みを浮かべて語り終えたが、エミリオには、やはりそれが全てではないように思われた。初めて会ったあの日、あの戦いの中で、そして戦いが中断された直後にも触れた、彼の全身から放たれていたあの貫禄と威厳から、ただそれだけのことで、安易に臣民の期待を裏切ったり、将来皇帝の座が約束されているその責務を放棄できるような男には、とうてい思えなかった。
そこで会話が一旦途切れると、エミリオはまた下を向いた。やはり瞳をかげらせて・・・。
「あんた・・・。」
ギルは、そっと声をかけた。
エミリオは、やおら首を向ける。
「どこへ行こうとしている?」
するとエミリオは、視線だけを下へ向けた。
「分からない。」
「落ち着ける場所を探して、そこに留まるつもりなのか・・・一生。」
「・・・分からない。」
「俺と旅をしないか?」