あの女・・・
「さてと・・・。」
そしてテルマは口を開いたが、今までとは違い、その声の調子は不気味なほど低くなった。
「この森の別名を知っているかい。凍える森というのさ。数か月前から、この町の人々はそう呼んでいる。精霊とは、本来誰かに使役されない限り、人に危害を加えることのないもののはずなんだよ。だけど、この森の精霊達には、密かにほかの力が及んでいる。それは、この森の湖の奥底から這い上がった冷酷な魂さね。」
話が思わぬ方向へと展開しだして、エミリオはテルマの目を覗き込んだ。
「いったい・・・何を・・・。」
テルマは答えた。
「あたしゃあ、この森の中に住んでいるからね。急におかしな雨が降るようになったのが気になって、調べたのさ。ある時から、この森で立て続けに発見されるようになった凍死体との関係をね。そして、いろいろと推測してみたんだよ。その魂は、古代の・・・恐らくこの国の王妃だった女のものだよ。その王妃は見事な美貌の持ち主だったがね、実に嫉妬深くてね、ほかに美しい娘を見つけると、容赦なく排除していたそうさね。だけどある日、彼女は罪に問われて死刑となり、埋葬ではなく水葬されているんだよ。ここの湖でね。」
もはや今のエミリオには、現実離れしたそのような話でも抵抗なく受け入れることができた。
それで、囁くようにこう言った。
「その魂が・・・甦った。」
テルマはうなずいた。
「今から話すことは、いいかい、あくまで推測だけどね、その魂は恐らく、この森の悪い精霊達に好かれちまったのさ。その王妃の呪いに反応して、闇の精霊達は、夜この森に美しい娘がやってくると幻覚を作り出し、森から逃がさない。そこへ、さらに森の悪い精霊達が加担して冷たい雨を降らし、凍えるような冷気を起こして、凍死に至らしめるんだよ。あたしたち術使い仲間で調べて、狙われるのは年頃の娘だというのが分かったのは、もっとあとのことだったけどね。だから、あたしのようなお婆さんは心配無用だけど、さっきは姫様がいたから術を使ったのさね。」
エミリオは考えを巡らしたが、これでは、先ほど直面した不可解な出来事とはまた別の話のように思えた。確かに普通ではなかったが、あの男達に、何か悪いものが憑いているようにも見えなかった。そうなら、一目瞭然どころか霊能力で分かることである。
「気になることがあります。私達を突然襲ってきた彼らは・・・この国の王家に仕える者達ではありませんか。黒装束に身を固めてはいましたが、あれは部隊の制服でしょう。狙われる訳が分からなかったが、彼らは私達にこう言いました。彼女の顔はもっとも放ってはおけないと。その古代の王妃の魂と、あの兵士達の間にも何か関係があるとお思いなのですか。」
「まあそうだろうね。姫様は、エドリース地方で絶世の美姫と謳われたお方だよ。あの女が気付けば、たちまち恐ろしいことになるだろうね。」
「あの・・・女?」
エミリオは眉根を寄せた。
「この国の先代王妃が亡くなって、その二年後に迎えられた現王妃、その女のことだよ。この森は誰でも自由に入ることができるが、彼女はここの湖から見える景色が好きだったんだろうね。そのほとりの、眺めのいい場所にあるベンチ椅子に静かに座っている姿を、あの作業場からの帰りに何度か見かけたことがあるよ。
そして、その湖のほとりには王家の茶室があって、王は亡き妻を忍んで度々訪れていたそうだよ。つまり、二人はそこで偶然出会って、親しくなったんだろうね。だけど、彼女がその美貌を武器に王の心の隙をついて誘惑した・・・なんて噂も密かに流れていた。
実際、王妃になってからの彼女はあからさまにその美しい容姿をひけらかし、ほかの美女に対しては意味不明な文句をつけて辱めるという傲慢さが目立つようになった。まるで古代のその王妃そっくりさね。椅子に座って静かに景色を眺めている彼女は、そんな感じには見えなかったんだけどねえ。」
ここで、エミリオはハッと息を呑み込んだ。
「待ってください、では・・・彼女に、その古代の魂がとり憑いたと。」
「まあ、そういうことさね。王妃という同じ立場でそんなふうに波長が合う彼女を見つけたものだから乗り移ったんじゃないかと、私はみているんだけどね。おかげで犯行は突如 凶悪になった。以前、町じゅうで美女と名のうれていた女性たちが次々と行方不明になり、この森の中で発見されたことがあったんだよ。みな低体温症による凍死体となってね。季節は春の中頃から初夏にかけてだったよ。ここがいくら北国で、夏でも夜には肌寒くなるといっても、そんな時期に凍死する者など普通はいない。
そして、それを不思議に思う一方で国民は気付いたのさ。誰の仕業かを・・・。そうしてみな王都から移り住んでいき、この町には若い娘すら一人もいなくなった。だから、今は旅人が狙われるんだよ。その兵士達は、恐らく何か脅されているんだろう。王妃が気付いて、その怒りをかうまえに消したがるのさね。旅人なら、たいていはこの森を抜けて宿泊街へ行こうとするからね。
だからあの男達は、この森の周辺や最初の分かれ道付近に潜伏していて、殺しの機会をうかがいながら尾行するんだよ。初めは直接手にかけるのがためらわれて、この森の異常現象を利用したんだろうけど、今ではすっかり事務的になっちまってる。ありゃあ、もう人間じゃないね。立派な殺人鬼だよ。古代の王家一族は、自我のための信じられない横暴のふるまいようも、ざらだったというけどね。今の時代で、そこまでできる王侯貴族は普通じゃない。何かにとり憑かれているとしか思えないよ。それにそう考えれば、この森の異変の説明もつくさね。」