誓いの夜
レッドはイヴをそっと引き離して、真っ直ぐに瞳を見つめた。鼓動をおさえるように深呼吸をして、胸元の小さなボタンを一つ一つ外していき、指先を肩口から冷たい服の中へとそうっともぐり込ませる。ゆっくりと肩の線に添って腕をなぞるつもりが、少し動かしただけで着衣が艶かしくスルリと落ちた。急に素肌が露になって、レッドは思わず目を瞑る。それから事務的に手を動かして、滑り落ちた服の袖から、彼女のほっそりとした腕を優しく探り出した。
息を呑んだ・・・。
女らしい華奢な肩や、キメ細やかな胸元の膨らみに見惚れてしまったレッドは、無理に視線を上げた。そして、落ち着こうと懸命になりながら、下着姿になったイヴの体にゆっくりと両腕を回していく。
だが、目が合った次の瞬間。
イヴは声にせず、あっ・・・と驚いた。
強引に腰を引き寄せられ、もう片手で頭をつかまれて、互いの唇が隙間なく重なり合っていたのだから。苦しいほど強くて、イヴは思わず一瞬呻き声を上げてしまう。
ハッとして身を引くレッド。
「大丈夫・・・。」と言われて、首にしがみつかれるとたまらなくなり、また押しつけるような接吻で迫ると、そのまま体を密着させて、ギリギリの行為を続けた。これまで頑なに押さえつけてきただけに、一度決壊してしまうと愛しさが止まらない。どうしようもなく狂いだした鼓動・・・頼む、これ以上騒ぐな!
イヴは彼を信じてそのまま身を委ねていた。待つことしかできない自分にとっては賭けだった。
その祈りが届いてか、やたらに触るのは我慢し続けた甲斐あって、レッドはついに耐えきった。それをすれば、完全に自身は崩壊するだろう。確実にそうなる気がして、せめて彼女の背中を優しく撫で回し、キスを繰り返すことで紛らしながら、間一髪、寸前で欲情に抗ったのである。
二人は、改めて強く抱き合った。肌と肌で・・・。だいいち、こうして直接体を温め合うだけが目的だったはず。なのに、たちまち火照りだした体にみるみる血の気が戻りゆくのを感じる余裕もなく、だが気付けば、小屋の板目の隙間から滑り込んでくる凍てつくような冷気も、もはや堪えられないものではなくなっていた。
やっと周りに目を向けられるほどには落ち着けたレッドは、また感情が昂らないよう一旦ここで深呼吸をした・・・が、それはため息と変わらなかった。
彼女の能力を奪うようなことはしていない・・・がしかし、広義においては大丈夫でも、今の立場で許される〝抱き合うだけ〟では無かった。やってはいけないことまで、やってしまった。彼女も驚いただろう。謝らなければ・・・。
レッドは毛布に手を伸ばしてイヴの背中に回してやり、今度は軽く抱き締めた。
「まだ寒いか。」
イヴは穏やかな表情で首を振ってみせた。
「いきなり、またこんなことして ―― 」
「謝らないで。」と、イヴはあわてて言った。「今度は知ってて・・・なんだから、もう謝らないで・・・お願い。」
そう言われて、言葉もなくただ一緒に毛布にくるまったレッドは、イヴのしなやかな体をしっかりと両腕で支えながら横になった。気まずいが、今夜はもう、このまま彼女を抱いて眠るしか仕方がない。体が下になったレッドは、毛布を彼女の肩の線まで引き上げてやった。
「あなたの最初の言葉・・・あれは今だけなの?」
彼の胸元に頬を付けて、イヴはそう囁いた。
イヴの柔らかい蜂蜜色の髪を撫でながら、レッドは複雑な思いに口をつぐんでいた。だが、今にも声になりそうな心の中の本音を、もう止められそうにはなかった。
「会わずにさえいれば・・・俺のことなんてそのうち忘れるだろうと・・・そう思ってた。俺も、お前とのことは、あのまま綺麗な思い出にできるだろうって。けど俺は・・・。」
イヴは黙って、レッドが何を言いだすのかを待った。
そしてレッドは、ため息混じりな切ない声でとうとう・・・。
「戦から戻ると・・・決まっていつもお前のことが恋してたまらなくなる。この温もりが。だから、消してしまえなかった。」
イヴは、彼の胸にしがみついた。
「だったら・・・まだ待っていてもいいでしょう?」
そう切実な声で囁いたイヴは、顔を上げてレッドの瞳を覗きこんだ。
その目をじっと見つめ返したまま、レッドは悩み疲れたような顔で黙りこむ。
イヴのひたむきな眼差しが、次第に不安の色を帯びてゆく・・・。
さっきの生殺しに耐えきれるか・・・と、これまで何度も苦悩を重ねてきたレッドは、この期に及んで、まだ恐ろしさを拭いきることができなかった。しめてかかったが、予想以上にキツかった理性と本能の戦い。それを今終えたばかりで、思い知らされたところなのである。
しかし、イヴのその追いすがるような瞳には敵わない・・・。
レッドは、ついに覚悟を決めた。自身はアイアスを生涯辞めず、それでも彼女の体を、その能力を、とことん大切にするという覚悟を。ここまで吐き出してしまった責任をとって、もう腹をくくるしかない。自身がアイアスであり戦い続ける限り、何度別れてもきっと同じことを繰り返す。いつまでも彼女を想わずにはいられないだろうと、レッドはようやく認めて、観念した。
「ああ・・・。戦から戻ったら、ずっとこうしていよう。」
滴り落ちた涙が、彼の肩を濡らした。
レッドは目を細めて目尻を拭いてやり、そのままイヴの髪を優しく撫でた。そうしながら、つい悩まし気な表情でため息をつくと、彼女の頭に回したその手で、目の前にあるまだ不安そうな唇を、自分の方へ近づけた。
こういう時の女性の扱い方について、得意気になった戦友たちから飽きるほど聞かされたことがあったが、レッドはただ感心させられるだけで、これまで気にしたことなどなかった。心が求めるままにしていればいいと思っていたが、今は努めて意識していた。
だから今度は、一口で収まってしまうところをそうはしないで、ついばむように何度もキスの感触を味わった。次第に深く、そして情熱的に。すると、生温かい舌先が素直に絡み合った。それでも先ほどとは違い、息遣いは冷静だ。こういう方法でも互いを感じることはできる。じらすようなやり方が、いいかどうかは分からない。しかも慣れないことをやっているのだから、正直、不安でいっぱいだ。
それでもただ、二人にとっての最高を、せめてもの満足を探求するため、いろいろ試してみたかった。接戦の末にギリギリ理性が勝利しているようでは、その度に拷問に耐えるほどの忍耐を強いられる。ただ裸で抱き合って、せいぜい背中を優しく撫で回しながら、接吻を交わすことしか許されない関係。そう考えると辛くなり、きっとそっけない態度をとってしまう。
だが、本能を黙らせることができるほど互いに心を満たせられれば、無理をせずに貫けるんじゃないか。一緒にいるのに、寂しい思いをさせたくはないから。
だから時間をかけて、丁寧にその気持ちを伝えていく。これまで本音を言えず応えてやれなかった分と、そしてこれからの想いも。
さっきとはまた違う彼に最初は面食らったものの、本当はこんなに甘くて熱い愛情表現ができる人ではきっとないのに・・・と思うと、さすがにイヴも気付いた。これは、特別な誓いの接吻なのだと。
そのとたん、涙があふれた。
彼の言葉が今度こそ本物なのだと強く信じることができ、その確かな安心感が胸をいっぱいに満たしてくれるのを感じた。
イヴも、自然と体が反応するままに身を任せて、精一杯の愛情をくれる、彼の驚くほど濃厚なそのキスに応えた。おかげで、彼の唇がそっと離れるのを感じても、顔を上げて瞳を閉じているそのまま、泣くのを止められなかった。
感想が気になっていたレッドも、悪くはなかったらしいとホッとした。それは嬉し涙なのだろうから。
「イヴ・・・。」
まだどこか呆然としながら、イヴは徐々に瞼を上げて、彼を見た。泣かせても構わず気が済むまで続けておきながら、彼は照れくさそうにしている。
「最後までいきそうになったら、俺は自分の腕とか足を刺すからな。」
レッドは本気で言っているのに、イヴは笑った。
やがて窓の外が白み始め、それにつれて寒さも和らいでいった。
イヴは心地よい幸せに包まれながら、彼に守られて少し眠った。