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【新装版】アルタクティス ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~   作者: 月河未羽
第14章  凍える森 〈 Ⅺ〉【R15】
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葛藤



 夜も次第に深まる中。


 二人はくたびれきって、どう進めばよいのか分からなくなっていた・・・。


 進もうが戻ろうが、時には道の無い方へ押し曲がって行っても、必ず同じものを目にした。ふと気付いた時にはなぜか同じ場所に来ていて、通り過ぎたはずのものが何度も姿を見せるのである。


「ねえ・・・やっぱり、おかしいわ。あの小屋、三度は見た気がするもの・・・。」

「いったいどうなってんだ。同じところに何度も出てきやがる。俺はそんなに方向音痴じゃねえぞ。」

 レッドも首をめぐらし、いつになく苛立ちを露に吐き棄てた。

「そうよね・・・。」


 なるべく雨に濡れないよう枝葉の下を歩いてはいるものの、そもそも気温自体が急激に下がってきて、体は凍えそうなほど冷たくなっていた。それはもはや命の危険をも感じさせるほどで、一刻の猶予もならないと思われた。まさに途方に暮れて、のんびりと森を彷徨っている場合ではなかった。


 レッドはイヴを促して、大きな傘をもつ樫の木の真下へ向かった。そして休む意味も含めてそこに佇みながら、焦る気持ちを抑えてどうすべきか考えを巡らした。もはや、むやみに歩き回ってこの冷たい雨に打たれ続け、無駄に体力を消耗する方がよほど命取りだと思われる、そんな予想外の事態に陥ったからだ。


 やがてレッドがある決断を下そうとしたその時、イヴが声も途切れ途切れに力無く話しかけてきた。


「レッド・・・ごめんなさい、私・・・ちょっと・・・。」


 まずい。意識が怪しくなりかけていると気付いたレッドは、慌ててイヴを正面から抱きすくめる。


「仕方ない、あそこで雨宿りしよう。この冷え方は異常だ。」


 だが正直なところ、レッドが思うに、そこに体を温められるものが何もなければ生死は五分五分。そこで気力を失ってじっと落ち着いてしまうことは決して得策ではなく、それなら動けるうちに森を抜けて宿に泊まる方が確実だ。しかし、その森を抜けるということの見通しが全く立たないでいる今、確かにできる方に賭けてみるしか選択の余地はなさそうだった。


 レッドは夜空を見上げて雨の具合を確かめ、イヴの肩をぎゅっと抱き寄せると、彼女を励ましてまた歩きだした。


 やがて二人は、ひとまずその小屋へと辿り着くことはできた。


 レッドが思った通り、そこは無人の掘っ立て小屋である。運良く鍵がかかっていなかったので、レッドは蹴破る必要のなかったことに感謝しつつ、ためらいがちに一歩中へ入った。すると、まず真ん中辺りにでんと腰を据えている大きなソファーが目を引き、それから、戸口の横の柱に引っ掛けられてあるランタンに気付いた。


 それをも点灯して、レッドはそのまま真っ直ぐにソファーの方へ向かう。


 そして、急に顔をしかめた。


 レッドの目が捉えたのは、ソファーの背凭れの一部分。血・・・そこに滲んでいるのは、紛れも無く血の痕だったのである。


 レッドはそれを凝視した。


「・・・まだ濡れている。」と声にせず呟いて、条件反射で耳を澄まし、感覚を研ぎすます。そうしながら、レッドは窓辺に歩み寄った。


 そうして、注意深く室内と外の気配を窺ったが、今もっとも警戒している者たちは誰も傷つけてはいないし、この時、戦士としての鋭い感覚による嫌な胸騒ぎもなかった。何よりも、ぐるりと小屋の中を眺めてみても、そこはアジトのようには見えない。ガラスの引き戸が付いた棚にはたくさんの瓶が並び、床にはシーツがかけられた籠が幾つも置いてある。


 きちんと整理整頓された室内には、武器らしいものが何一つ見当たらないのである。


 血を認めたからといって、危険があるとは限らないか・・・。そうして神経質になるのをやめたレッドは、今使えるものが何かないかと、籠の中身を確認しに行った。

 だが、そこには様々な種類の植物が盛られてあるだけで、どれも体を温めてくれそうにはなかった。

 そこでレッドは視線を転じ、夜もすっかり更けたことから、少なくとも夜明けまでは誰も来ないだろうと予想すると、もう遠慮なくそこらじゅうをあさり始めた。


「何かの作業場かしら。」

 イヴが呟いた。寒さに震え、ひどく聞き取り難い声で。


「カイルが好きそうな部屋だな。あいつら、気にしてくれてるだろうな・・・?」


 レッドはタオル数枚と、それに、太い蝋燭と大きな燭台を探し当てたところで、イヴを振り返った。彼女は透けるような青白い顔で、辛そうに自身の両肩を抱いている。

「イヴ、ソファーに座ろうか。」


 レッドはそう優しい声をかけると、イヴを促してそこへ座らせた。そして、タオルを数枚まとめて手渡した。二人は、一番濡れている外套は脱いで部屋の掛けられる場所に干し、髪や手足や湿った着衣を拭いていった。


 それが済むと、レッドは、イヴが持っていたものと二つの燭台に蝋燭を点けた。二つのランタンの灯りと二つの炎。体を温めるには全く足りないが、無いよりはずいぶん心は暖められる。


 そして、それ以上は脱ぐのが躊躇われるレッドは、ソファーに置いてあった毛布を広げてイヴに羽織らせてやった。当然、それを一人占めする気になどなれない彼女に、隣で肩を抱いていて欲しいと頼まれたので、言われるままにレッドはそうした。


 ところが、イヴの震えは、治まるどころかいっそうひどくなるばかりで、唇ももう死人のそれに近く、レッドが見て思う以上に辛そうなのである。自分の着衣も冷たい雨と外気に晒され続けていたので、互いに冷え切った服のまま身を寄せ合っていても殆ど意味がないのでは・・・そう思っていたレッド自身も、実はかなり寒さが応えていた。むしろ、これなら素っ裸で毛布にくるまっていた方がよほど気持ちがよいだろう。正直そうも考えていたレッドは、いっそのことイヴにそれをスパッと言ってしまいたい心境だった。が、如何いかんせん、今の立場ではそうもいかない。


 レッドが視線を床に向けて悩んでいると、イヴの手がそろそろと伸びてきて、彼女の肩を抱き寄せている左手に重なった。


 これにレッドは驚いて、イヴの横顔に視線を飛ばした。直接触れられたその手はまるで氷のように冷たく、レッドはこの時、自分の体も冷えきっているはずであるのに、彼女のそれとは比べものにならないほど、よほど熱を持っていることに気付いたのだった。するとこの瀬戸際にいながら、どうにかしてやりたいという思いと、それに反する戸惑いとの葛藤がまた始まった。もどかしさで気が変になりそうだと、心の中で叫びあがく。


 そんなレッドの頭にずっとチラついているのは、過去に一度だけ、イヴと体を重ね合った時のこと。あの日も雨が降っていたが、互いの素肌が密着したあの瞬間、眩暈がするほどの心地よさと共に、燃えるような体の熱さを感じたことを、その時の快感を、レッドはよく覚えていた。今まで消せずにいるほどなのだから。


「・・・寒い・・・。」

 紫がかった唇から、気を失うのではと不安になるほどのか細い声が聞こえた。

「我慢・・・できるか?」

 レッドは、イヴの瞳を覗きこむ。


 イヴは白い息を吐いて、弱々しくレッドの左胸に頭をつけた。


 どうしようもなく焦りだしたレッドは、額や頬、それに首筋と、イヴの肌にやたらに手を当てた。体温を感じたいが温もりが分からない。自分の手の方が温かくて、どこも冷たく感じられるばかりだ。


 自分の方が温かい・・・それなら、もう・・・。


「イヴ・・・。」


 怖いほど真剣な顔で呼びかけられて、イヴは驚いたように見つめ返した。


「お前まだ・・・本当に・・・俺のこと好きか。」


 イヴにしてみれば、今さら分かり切ったことを妙に改まってきいてくる彼に、そのまま唖然となる。


「どうしたの・・・急に。」

「イヴ・・・俺・・・。」


 抑えが利かなくなるかもしれない・・・それを恐れるあまり、まだ動揺を止められずにいるレッドに、イヴは震えながら微笑んだ。


「愛しているわ・・・ずっと。」


 レッドは、思いきりよく自分の服に手をかけた。そして、迷いと一緒に上着をいっきに脱ぎ捨てた両腕が、真正面から彼女を強く抱きしめる。


 イヴは、力強く脈打つ心臓の音を感じた。


「イヴ、俺・・・こうしていられるだけでいい。肌と肌で・・・。お前を抱いていられるだけで、お前を感じていられればいいから・・・だから・・・いいか?」


 あれ・・・と、レッドは言ってしまったあとで気付いた。こんなことを言うつもりだったか。今のは、彼女と別れてからというもの何度もつい考えてしまう言葉・・・そうじゃないかと。


 そんなレッドの腕の中で、イヴは幸せそうに頷いた。


 もうすぐ退院を迎えるイヴ自身は、そもそも、その後は彼に全てを捧げてもいいとさえ思っている。だが、彼が納得できるまさにそういう関係で、それに彼の自信が伴わなければ一緒にはなれない。だから、その言葉がこの場限りのものでなければいいのに・・・と願いたい思いで、イヴは彼の温かい素肌に頬をぴったりと押し付けた。


 レッドは、イヴがうっとりと自分の胸に凭れている姿を見下ろしていると、困ったことに、いよいよまた本気で抱いてしまいたくなり、危うく勝手に動きだしそうになった手を慌てて握りしめる。グッと堪えたその手は、ただ彼女の髪を一度だけ撫でた。









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