砂塵の嵐
カイル・・・。リューイは再び少年の顔を窺った。額やこめかみにふつふつと噴き出していた汗が玉となって流れ、顎から滴り落ちた。見ている間にも、それは後から後から流れ落ちる。表情はますます険しく、顔色はみるみる悪くなっていくように思われた。
「はあ・・・はあ・・・。」
ミーアの息づかいが異常に荒くなっている。レッドは自分が携行している水を何度か飲ませたが、同じ状況下でも体力が無く、か弱いミーアの受ける影響はほかの者の何倍にもなる。それを目の当たりにしておきながら、ほかに何もしてやれない自分に、レッドは気がおかしくなりそうなほどの苛立ちを覚えていた。
すぐに飲ませることができた水は、もう残ってはいなかった。この砂漠を抜ければ飲み水を補給できるはず。ここで生き延びられれば、明日には。レッドは荷物に目を向けた。中には、まだ水を満たしている水筒がある。盗賊に気づいてからは、荷物はカイルが引き受けてくれたので、幸いそれはすぐ近くに置かれていた。この結界の中に。
レッドはミーアを抱き上げて、そこへ行こうとした、矢先 一一 。腕からスルリと抜け落ちる感触にハッとして、とっさに手を動かした。
両膝をついたミーアはぐったりして、意識が無い・・・!
いよいよ気が動転するままに、レッドは震える腕でミーアの小さな体を抱え上げた。それから、そっと膝に座らせた。何も考えられなくなった胸中に、無性に怒りだけが込み上げてきた。
これまで悲運を嘆いたことはあっても、天に向かって文句を吐いたことなどなかった。だが今は口にせずにはいられなかった。だから声にせず言ってやった。
神よ、まだ新しいこの命から先に奪おうというのか・・・!
一方この時、リューイは胸騒ぎに襲われていた。自分の中で何が起こるのか、毎回ふと覚える不気味な感覚。
野生の動物は危険を直感で察知すると言うが、リューイはそれに近い第六感を持っている。
リューイは顔を上げ、ぐるりと首をめぐらして・・・息を呑んだ。そして束の間、呆けたように目を奪われた。
火の海の向こうに、砂漠を舐めるように迫り来る、灰色の積乱雲が見える。
あれは・・・・・・砂嵐!
そうと気づいて、圧倒されている間にも視界を奪われ、そのままいっきに飲み込まれた。
全てを終わらせるかのごとく突然訪れた現象だが、それは季節風などが起こしたものではなかった。そう、精霊たちによるもので、本来は大地の神グランディガの僕であるそれらが、本物の砂をも猛烈に吹き上げて起こした、本物の砂嵐だ。
しかしそれは、カイルが意図して寄越したものでもない。
砂の精霊たちによる砂塵の嵐。その莫大なパワーを持つ精霊の集合体は、今のカイルの手に負えるものではとてもなかった。が、カイルはそれを使役しないわけにはいかなかった。自分が操っていた精霊の気流に、何の前触れもなく、もっと強力なものたちが乗りかかってきたからである。その手応えにカイルも気付いてはいたが、どうにも対処ができず、カイルの呪力は、その大いなる力を辛うじて繋ぎとめていた。圧倒的な重圧感。今にも意識が飛びそうになる。
リューイは、その現象をおののきながら見つめていた。
彼らがいる場所はいわゆる台風の目であり、この新たに加わった精霊群の中にあっても、カイルが張った結界が耐え続けてくれているおかげで、ほぼ無風地帯を保っている。リューイには、奇跡・・・としか思えない状況だったが。
すると、唸りを上げて荒れ狂う砂嵐の中に、魔物の姿は一瞬にして消えた。敵は、忽然と現れた砂嵐の威力に呆気なく喰い潰されてただの砂となり、そうして本来の姿に戻ったのである。紅蓮の炎も一掃され、勝負はついたかに見えた。
ところが、砂嵐だけが収まらない。
カイルはなおもじっと念を凝らし、絶え間なく呪文を唱え続けている。だがその声は、今やひどく聞き取り難いものになっていた。
やっとのことで、カイルは自身を気力だけで支えていた。奇妙に寒気さえ感じ、正常を保てなくなった体が時折 身震いを起こす。苦痛に顔を歪めているその顎から滴る汗は、尋常ではなかった。顔色ももう土気色に近い。
なぜ終わらせないのか・・・リューイには理解できなかった。そのひどく苦しそうな姿に、とにかく動かし続けている両腕をつかんで、無理やり止めさせたくなった。しかし、下手に声をかけたり、余計なことをすれば、何かとんでもない事態になるかもしれない・・・その直感が、その恐怖心が、ただ見守ることしかできずにいさせた。