最後の一人
イヴが傍らに座り、彼女の額に手を置いている。疲労を癒して、体の抵抗力を高めるために。彼女のような修道女が持つその能力とは、怪我や病気を治そうとする体の働きを助け、また、その苦痛を和らげることができるものだった。術使いの霊能力とは全く別物だったが、どちらも神秘の力で、解明し難い謎の超能力であると言われていた。
誰もが心配そうに彼女を見つめている中で、ギルだけは、また違う理由から知らずと気難しい顔つきになっている。そんなギルの心境に気付いているエミリオは、密かにその顔を窺っていた。
一方では、イヴの向かいにいるカイルもまた能力を使った診察を行っている。
「外傷は掠り傷だけ。問題なのは栄養失調と、疲労による発熱ってとこかな。でも気を失ってるから、ショックによるものが大きいかも。何があったんだろう。」
カイルはそう言って、最後に彼女の額と首の汗をぬぐった。全身が汗ばんでおり、下着が素肌に貼り付いているようだった。
そこへ、一度退出していたシャナイアが、戻ってくるなり手を払った。腕には女性用の衣類を掛けている。
「はいはい、男はみんな出て行ってちょうだい。あとは私に任せて。」
「あ、何だその態度は !? 僕は医者だぞっ。」
「医者でも何でも、男でしょ。着替えさせるんだから、邪魔よ。全身汗まみれなんだから、どうせ着替えさせなきゃダメなんでしょう?それとも、子供扱いされたい?坊や。」
ムスッと口を尖らせたカイルのことなど気にもとめないシャナイアは、少年達にはにっこりと微笑んで言った。「あなた達が保護してくれなかったら、きっと彼女は大変なことになっていたわよ。偉いわ、ご苦労様。」
とはいえ、万引きをしたというのに、ジャンはヒーロー気分で友人達と照れ臭そうな笑みを交し合っている。
「もう心配いらないから、あとは私達《ルビを入力…》に任せてお帰りなさい。遊ぶ時間が無くなっちゃうわよ。」
「道分かるか?送るよ。男は用無しだしな。」
レッドが言った。
「俺も暇だ。付き合う。」とリューイ。
一緒にミーアも付いて行こうとレッドの上着を掴んだ。
そうして部屋を出た少年達は、レッドとリューイに保護者のように付き添われて帰っていった。
間もなくカイルも退室し、あとのエミリオとギルは、その前に彼女の顔色をもう一度うかがった。
穏やかな寝顔を浮かべている。病気を治すことはできないものの、イヴの力の効果が現れるのは良薬よりも早い。おかげで、熱で紅潮していた顔色は落ち着きを見せ始め、本来の色白の肌を徐々に取り戻しつつあるようだ。
共に胸を撫で下ろして、二人もそっと離れた。
寝室へと戻ってきたエミリオとギルは、しばらく、互いに黙ったままでいた。
ベッドに腰を下ろしてからというもの、ギルはまた渋面を浮かべてずっと床ばかり見つめている。
そんな様子を、向かいのソファーから静かに窺っていたエミリオだったが、ある時やっと声をかけた。
「ギル、彼女だが・・・そうなのか。」
やおら視線を上げてエミリオを見たギルは、真顔で首を縦に振った。
「ああ間違いない。※ 俺は一度、彼女に会っているからな。昔・・・まだ子供だった頃、サウスエドリースもそう荒れてはいなかった時代に。ミドルから始まった戦争は、まず北へ広がっていったからだろうが。その頃のロザナリア王国は、医学の進んだ国として注目されていた。お前も知っているだろう。それで、父上に連れられ視察団と共に船でかの国を訪問したことがある。彼女・・・ずいぶん大人になってはいたが、はっきりと面影があった。お前はなぜ気付いた。彼女が噂通りのブロンド美女で、いかにも、悪党から命からがら逃げてきたふうだったからか。」
エミリオは目を伏せた。
「彼女は・・・ロザナリアと聞いただけで、とたんに思い出して悲鳴を上げた。」
「そうか・・・。はやり相当酷い目に遭ったんだろう。一人きりでいたということは、護衛はみな殺されたに違いないな・・・。」
「そのうえ、触れようとしたら逃げられてしまい、小屋の隅にうずくまって震えだした。私の顔を見ようともせず、気を失うまで何度も悲鳴を上げた。」
ギルは予想通りの惨劇が起こったのだと確信して、なんてこったと重苦しいため息をつく。
エミリオも、さらに眉をひそめた。
「今、彼女の精神状態は・・・よくない。」
「彼女をどうする。ジェラール殿の話だと、サウスエドリースはまだ戦場らしいが・・・。今、彼女を送り届けるわけにもいかないだろう。せっかく出てきたものを。」
そう言い終えると同時に、ギルは、そこでエミリオの表情が変わったことに気付いた。この常に冷静沈着な男が、今はどこかぎこちなく、どういうわけだかそわそわと落ち着かないようにさえ見えるのである。
それでギルは、訝しげに相棒を見つめた。
「まだ何か・・・言いたげだな。」
ギルが感じた通り、エミリオは気を揉んでいた。しかもそう言い当てられてからは、告げなければならないことをやっと口にするまで、ギルの顔から視線を落としたり、ため息を繰り返すばかりで、とにかくギルが呆れるほど時間がかかった。
そして、ようやく・・・。
「ギル、彼女だが・・・私達の仲間だ。」
目を大きくしたギルは、そのまましばらく絶句した。
「冗談だろ・・・。」
「アルタクティスの仲間、その最後の一人は・・・ロザナリアの姫君だ。」
わざわざ言い直してくれなくても、冗談でないことは分かっている。この男はどうやったって、これほど上手に嘘などつけるはずのないことを、ギルは誰よりもよく承知だからだ。
※ 参照:第8章『ガザンベルクの妖術師』― ロザナリア王国の美姫




