君は・・・
ジャンの案内のもとずいぶんと歩き続けているこの道は、都合のよいことに、ちょうど屋敷への帰り道と同じ方角。次第に、建物もまばらになる。二人は小麦畑を横切り、やがて煉瓦造りの水道橋を抜けて行った。そして小川の流れる方へ道を折れ、小さな礼拝堂を右手に見ながら通り過ぎて、森に入った。
巨木に囲まれた空き地に、少年の基地はあった。それは、長身のエミリオだと頭をぶつけそうなほど屋根が低い掘っ立て小屋ではあったが、子供達だけの手造りではないと分かる気密性の高さとバランスの良さ。しっかりと建っていて、遊び場にしては立派なものである。
「あれだよ。僕達の親は、みんな昼間は働きに出てていないから、父さん達が造ってくれたんだ。」
ジャンは、誇らしげに基地を指差して言った。
そのジャンに手を引かれてエミリオが入り口をくぐると、ほかに三人の男の子がいた。ジャンと同じ年頃のその子供達は、エミリオが顔を出した瞬間、一様に目を大きくして固まってしまった。
そして矛先がジャンに向けられる。
「何やってんだよ、ジャン!よそ者なんか連れてきて!」
「この人は俺を助けてくれたんだ。だから特別。」
ジャンは、エミリオが買ってやった桃を一つずつ仲間達に投げて渡した。
「ち、しょうがねえなあ。」
素直で単純、簡単にお許しが出た。みんな子供らしくていい子そうだ。
そしてこの時、エミリオはまた顔がほころぶ思いがした。エミリオは最初、ジャンと謎の人物の二人分を考えて果物を注文したのだが、ジャンはきちんとエミリオの分まで入れていたのである。人の金なのだが。
ジャンはエミリオを手招いて、小屋の中へ誘った。
「こっちだよ。ほんとは困ってたんだ。大人達は夕方にならないと帰ってこないし、どうしていいか分かんなくてさ。」
エミリオがそこへ行くと、ヘッドボードを壁際に寄せて中央に狭いベッドがあった。
確かに、そこには女性がいて眠っていた。いや、それよりは気を失っているという感じだ。
たいていは息を呑む美しさの、透き通るようなブロンド髪の美女である。しかし、本来美しいその顔や髪は、全く手入れがされていなくて汚れているし、頬もすっかりやつれている。
枕元に立ったエミリオは、ベッドの横にある小さな木製の椅子に目を向けた。椅子の背凭れに、彼女が着ていたと思われる外套がかけられていたからだ。部分的に注目していくと所々ほつれていて、裾には土が付いている。
エミリオは手を伸ばして、薄手の掛け布団をそっと捲り上げると、彼女の腕や足に注目した・・・表情が険しく深刻なものになる。
痛ましいほどにひどく痩せ細り、いくつもの掠り傷まで負っているその体は、まるで何日もろくにものを食べず、誰かに追われて道なき道を夢中で逃げてきたかのような有様なのである。それに顔は紅潮し、一目で具合が良くないと見て取れた。
だがエミリオの中では、実は何よりも驚く衝撃的なことが起こっていた。
この目に今、確かに見えているもの。彼女の体をうっすらと取り巻いている、それは・・・自分と同じ、そして、仲間達と同じオーラ。
「君は・・・。」
「知ってるの?」
ジャンが訊いた。
「あ、いや・・・。」
ひとまずそれは考えないことにし、エミリオはそろそろと彼女の頬に触れてみた。
すると、彼女が目を覚ましたのである。
「あ、見て!」と、少年の一人が声をあげた。「気がついた!」
のろのろと首を向けて、呆然と見上げてくる謎の美女。
「・・・どな・・・た?お兄様?・・・わたくし・・・どうしましたの?」
エミリオは、いよいよ言葉を失った。
誰かから逃れてきたかのような、高貴な口調で話すブロンド髪の美女・・・まさか。
「君・・・なのか?ロザナリアの・・・。」
「ロザナリア・・・?あ・・・ !? 」
その美女はいきなり目を見開いて、ハッと息を止めた。そして・・・!
「いやああっ !! 」
「うわああっ。」
「な、何っ !? 」
少年達は、一斉に弾き飛んでひっくり返りそうになった。しかし、ドスンッ!と響いた音は、少年達がたてたものではなく、彼女がベッドから転がり落ちた音だ。
抱き起こしてやろうと、エミリオはあわてて近づいた。
ところが、悲鳴を上げて躱された。
エミリオは驚いて、その行動を目で追った。
すると彼女は、手を付きながら闇雲にぶつかって行った小屋の隅っこに、めいいっぱい体を押し付けて蹲ったのである。まるで生け捕られる寸前の野ウサギのように怯えきって、顔を覆っている両手や体はぶるぶると尋常でなく震えている。こうなってからは、何も見ようとしない。
いたたまれない思いで、エミリオは眉をひそめた。恐る恐るそばへ歩み寄り、今度は慎重に両腕を差し伸べる。
気配を感じたのだろう。彼女はまたも喉が張り裂けんばかりの奇声を上げて、逃げ出そうとする。
無理もないその精神状態を考えると抵抗はあるものの、彼女が腰を上げたところを素早く動いてつかまえたエミリオは、無理やり力ずくで抱きしめた。
完全に気は狂い、心が壊れているこの状態を、エミリオはどうしてやればよいのか分からなかった。つかまえるということをすれば、悪化させるだけかもしれない・・・そうと分かりながらも、反射的な心と体の反応として、強く抱き締めずにはいられなかった。
「大丈夫。もう、大丈夫だ。」
語気を強くして、エミリオは囁きかけた。それは、そうでありながらとても穏やかに響く優しい声だったが、何の反応も無い。
小屋の中はシン・・・となり、ジャンがエミリオのそばに寄ってきて腕の中を覗き込んでみれば、彼女は抱きすくめられたままぐったりとしている。
「また・・・気絶しちゃったみたいだよ。」
急に重たくなったその体を支えているので、それはエミリオにも分かっていた。
「熱がひどい。医者に診せた方がいい。」
エミリオは、この小屋の中を改めて見回した。
今は明るい光も射し込んでいるが、陽が傾くにつれて、ここは彼女にとってますます良くない雰囲気になる。病体を動かしていいものかどうか躊躇われたが、カイルを呼んでくるよりも、場所を変えた方がいいと判断した。途中までは帰路をたどっていたと知っていたため、屋敷までは遠くない。
エミリオは、そのまま彼女の背中と膝を軽々と掬い上げた。実際、腕や足腰に伝わる体重はまるで子供のように軽い。これは問題だ。
そんな今にも折れてしまいそうな体を、脆いガラス細工でも運ぶ思いで丁寧に抱きかかえて、エミリオは基地を出た。
成り行きのままに、そのあとを少年達も付いて行った。




