完全な終戦
そう答えながら、ギルはファイルのページを新しい方へとめくっていった。今度は丁寧に一枚一枚開いていった。その胸は期待に膨らんでいた。
ギルはアナリスの皇配となるロダンに、エミリオ皇子・・・つまり、今はランセル皇子・・・が即位したらと申し付けてきたが、ここまで動いていれば、もしかすると平和条約に向けての具体的な話が、国内において何か進められているかもしれないと考えたからだ。
ところが、思わぬ記事を目に留めて、一瞬、ギルは言葉を忘れたかのようになる。
「エミリオ・・・ついにやったぞ。」と、ギルは歓声を上げた。
その反応が何を意味するかはすぐに予想がついたが、そうならエミリオもまさかと思う一大ニュースである。
ギルは、一度エミリオの目を見てから、興奮するのを抑えつつ、しっかりとした声で記事を読んでみせた。
「エルファラム帝国との平和条約が成立。これは、かつてこの二つの大国が争った〝ヘルクトロイの戦〝を、完全に終わらせたものである。誰も望まぬ戦いと言われた戦争であったが、その大合戦は、最中に起こった地震による巨大な地割れと、互いの戦力の激減により中断。そのため休戦協定を結びながらも、これまでは油断のできない緊張状態が続いていた両国。元老院ではこれらのことを考慮し、エルファラム帝国へ平和条約の話をどう持ちかけるかということと、その時期を慎重に検討していた。そして・・・」
ギルの声がにわかに途切れた。
「エミリオ・・・お前の継母は、何て名だった。」
「シャロン・・・だが。」
「確か、そうだったな。」
ギルはそう言うと、その記事を自分からはまた逆にして、エミリオに見せた。
エミリオは、ギルが指し示している箇所に注目した。
「そして、エルファラム帝国では、シャロン皇后が逝去してからは・・・」
その一文を目にした途端、エミリオの顔色に動揺が表れた。
エミリオは、そのあとの文章を少し黙読した。記事を読むその目の動きは、急に早くなった。
それに続く内容には、シャロン皇后が亡くなったのをきっかけに、皇帝ルシアスは隠居同然の生活を送るようになり、そのため今は、皇太子であるランセル皇子に、実質的には譲位した形になっているというようなことが書いてあった。
「・・・それを確認した元老院は、ついにランセル皇太子との会談に踏み切った。ランセル皇太子も、これに快く同意。このことは皇太子から直接皇帝へ伝えられ、皇帝を頷かせた。ランセル皇太子は、〝アルバドル帝国との永遠の平和を、今ここに誓う。〟と、確かな声で宣言した。」
最後の部分はそう声に出しながら、エミリオは冷静を取り戻した。
「急死か・・・?エルファラムの記事が見られれば、分かるだろうがな。」
「いや・・・違う。ヴェネッサでランセルと会った時、彼は私に、シャロン皇妃が大量の血を吐いたと言った。もう永くはないから、私に戻って欲しいと・・・。」
「なんだって。」
ギルは仰天した。そんなことは初耳だ。
「君達と一時ヴェネッサで別れてしばらく経ったある日、偶然、ランセルが率いる使節団がヴェネッサへやってきたことがあったんだ。その時、ランセルに気付かれてしまい、逃げ切れなくて・・・ランセルは、私の腕をつかんでそう言った。だが、私はそこで一言も話さず、別人のふりをしたんだ。」
「ひょっとして・・・だから焦ってたのか?お前の暗殺。」
「かもしれない。だが・・・まさか、これほど早く・・・。」
エミリオは、ランセルや父のことを思い、顔を曇らせた。自分とシャロン皇妃とは何一つとしてよい思い出など無かったが、エミリオは自分を慕ってくれていた異母弟のランセルや、決して愛してくれなかったわけではない父の嘆き悲しむ姿を思うと、胸が痛んだ。
一方、その向かいにいるギルは過去へ向かってページを戻しながら、「いったい、いつ頃のことだろうな。フェルミス先代皇后の時とは違い、今回はアルバドルには何の関係もないから、この資料には載ってないか・・・。」
するとその時、利発そうな顔のひょろりと背の高い男性が不意に寄ってきて、エミリオの顔を覗き込むなりこう呟いたのである。
「信じられない・・・。」と。
その目は飛び出さんばかりに見開かれていた。
「君、似てるって言われないかい。」
男は、二人が落ち着いている円卓の横に立って言った。
「言われたことはあります・・・。」
似てるもなにも、本人だ。なので、誰に・・・ととぼけることもなくそう答えたエミリオだったが、正直驚いた。まさか、この遠方に来てそんな声をかけられるとは。
「だろうね。私はエルファラム帝国を担当している記者だが、君はエミリオ皇子によく似ているなんてものじゃない。生き写しだよ。いや驚いたな。」
なるほど、そういうわけか。
「エルファラム帝国を担当しているだって?」
これはラッキーとばかりに、ギルが訊き返した。
「ああ。かの国に興味でもあるのかい。まあヴルノーラ地方に限らず、大陸でも屈指の大国だからね。私も、これから新しい記事を清書するところだ。」
「それなら、もし分かれば教えてくれないか。シャロン皇妃が亡くなったのは、いったいいつのことなのか。その後の国内情勢はどうなっている。」
ギルはつい早口で問うていた。
「半年ほど前だ。おかげでエルファラムの皇帝は、フェルミス先代皇后、シャロン皇后と、愛する美しい后達に早くに先立たれ、しかも共に病で逝去されたことでひどく落胆し、今もなお、なかなか立ち直れずにいる。そのためやや鬱になっているらしく、それで今は、若年であってもランセル皇太子が国を任されているというわけだ。だから、ランセル皇太子も周りに支えられての執政だが、自身も母の死によって辛い思いをしている中で、いろいろと積極的に取り組まれて、エミリオ皇子の遺志を立派に継いでみせようと懸命になっているらしい。本当に胸が打たれる話だよ。最近結ばれたアルバドル帝国との平和条約についても、皇帝が悲しみにくれて何も考えられなくなっているところに舞い込んできた話だったから、それですんなりと事が運んだそうだ。だからエルファラムは、しばらくは宰相や元老院議員たちが協力し合って、ランセル皇太子と国そのものを支えていかなければならないだろう。しかし、アルバドル帝国との確固たる平和条約が成立した今、互いの国にとって恐れるものは何もないはずだ。」
この大陸の多くの国家がそうであるように、エルファラム帝国もまた皇帝が優位の立憲君主制。議会で可決された案を承認するほか、君主は意見もすれば提案もするなど介入できる。
「そうか・・・。ありがとう。」
ギルが礼を言うと、男は笑顔で応えてつま先を変えようとしたが、急に向き直って最後にこう付け加えた。
「そういえば、ランセル皇太子は、その時こうも言ったそうだ。ヘルクトロイの戦いでは、エミリオ皇子は貴国に攻め入ることにひどく苛まれ、食事も喉を通らないど苦しみ続けていた。だが仕方がなかった。彼はエルファラムの帝国民を愛していたから。それを分かっていただきたい・・・と。エミリオ皇子にとっては、アルバドル帝国は母の故郷。祖父母の国だ。そしてエルファラムは母国。いずれは自身が治めるはずだった国だ。彼にとっては、どちらも愛する国ってわけだ。アルバドル王国の王女であったフェルミス先代皇后は、それは慈悲深いお人でエルファラムの帝国民にも絶大な人気があったし、アルバドルは、そもそもエルファラムと争う気など毛頭無かった。まさに、ヘルクトロイは誰も望まぬ戦だな。じゃあ、私はこれで。」
そう話し終えると、男は二人のそばを離れて奥の事務所へ入って行った。
その背中を、エミリオはしばらく目で追っていた。
すると。
「すまん・・・。」
唐突にギルが謝りだした。
「え・・・。」
エミリオは、何のことかと目を向ける。
「あの時の俺は、それを微塵も感じさせないお前の戦いぶりに、正直 憤りを覚えたほどだった。今とは違って、本当のお前をうかがい知ることなどできなかったからだ。この男は何とも思っていないのかと感じた。お前だけ本当に・・・。」
同じ年に生まれ、同じ血が通い、同じ皇太子として育った。なのに境遇はあまりに違う。どんな思いであの戦場に立っていたのかも察してやれず、ただ睨みつけてしまったことを、ギルは心底悪かったと感じた。
エミリオは、困ったようにほほ笑み返しただけだった。
「それじゃあ・・・もう行こうか。」
エミリオは静かに席を立った。




