裸の付き合い(男湯にて)
その時、誰もが思わず耳を澄まし、隣・・・つまり、女湯に意識を向けていた。
「ちゃんとって何、だ?・・・何訊いてやがんだ、あいつ・・・。」と、レッド。
それというのも突然、シャナイアの声で意味不明のそんな叫び声が聞こえてきたから。
「二人は、すっかり打ち解けたようだね。」
エミリオがそう言って苦笑いを受かべる。
しかしレッドは、あからさま不安そうな顔。自然な流れで、互いに悪気なくどんな余計なことを教え合われるか・・・分かったものではない。
ともあれ、共に旅を始めてから、ずいぶん長い月日が経った。
初めの頃は、こういう場で会話が無くなると妙な緊張感が漂い、変に気疲れを起こしたものだった。
本来、精神的な意味での〝裸の付き合い〟。
まさに思う存分寛げるほど心を許し合えるようになった今、少し踏み込んだ質問もできそうな気がしていたギルは、このタイミングで思いきって声をかけた。
「レッド、訊いてもいいか・・・。」
レッドは、「俺の気が向くことならな。」と答えた。
「じゃあ・・・とりあえず、アイアスについて。」
「とりあえず・・・? 」
怪訝そうに顔をしかめながらも、レッドはそれから少し黙って言葉をまとめる。そういえば、以前にも似たような質問をされたことがあった。
「そうだな・・・まず、アイアンギルスの誕生にはいわれがあるが、とにかく俺達はその資格を得ると自動的に組織の一員となり、その掟、つまり生涯、正義を貫き戦い続けるという使命を負う。戦争は、感情や感覚を麻痺させる。だから俺達は、この大陸全土が秩序ある理想郷となることを願いながら、仕事を選ぶ。そのために戦う。ちなみに、盗賊なんかのごろつきもアイアスの掟を知っているから、旅路で出くわそうものなら逆に逃げ出す連中も少なくはない。だから、世直し部隊とも言われているらしい。行動は単独だが、この大陸に、俺達アイアスは同じ掟のもと何人かいるわけだからだろうな。」
「じゃあ・・失礼だが、俺はアイアスであるお前に、恋人がいたなんて意外でそうとう驚いたんだが・・・アイアスとは、実際のところどうなんだ。その・・・女性との関係というか・・・。」
「ほんとに失礼だな・・・。」
本心はそれかと理解したレッドは、憮然と続けた。
「アイアスと言えど、結婚するしないは自由だ。ただ、ほとんど戦地を渡り歩く一生を送ることになるから、愛された女性は不幸だと思うよ。もしアイアスを辞めるなら、もちろん額の紋章は消さなきゃならない。その瞬間、誇りを捨て、名誉を無くすことになる。だから、今まで辞めたという男を俺は知らない。」
「じゃあ・・・彼女はそれを全て分かったうえで、お前と?」
ギルはそうして、つい、ぐいぐいと質問を重ねていく。
レッドはギルの顔から視線を落として、「ああ。だがその時、俺はアイアスを辞めようと、一度は本気で決心したんだ。」と答えると、やや黙った。
だが話をうやむやにするよりも、この時は、なぜか仲間達に辛いことも話せるような気になった。それは恐ろしいことに、やはり心身ともに解放される気になる浴室の魔力と、深め合ってきた絆の力と言えた。
レッドは、重い口を開き始めた。
「あの時の俺は・・・俺のせいで死んだテリーのことを思い出して、度々、自分には額の鷲を語る資格などないと苛まれていた。だから、テリーの分まで戦わなければならないと誓った反面、この刺青を消してしまいたいと思うほど自己嫌悪に陥ることもあり、その狭間で悩み続けていた。そんな中、彼女に出会った。それからしばらく毎日のように会っているうち・・・互いに必要な存在となった。今思えば、俺の方は一目惚れだったな。」
へえ・・・と、声にせず仲間達はつぶやいた。エミリオやリューイ、それにカイルもすっかり気になって静かに聞き耳をたてている。それにも気付かず、レッドは訊かれるままに答え続けて、知らずと饒舌になっていた。
「そうか・・・だが結局は辞めることができず、待たせる人生を押しつけることもできずに別れた・・・と。」
「結果的にはそうだが、アイアスを辞めることへの迷いは消すことができた。そして、彼女の退院を待って一緒になる約束までしたが・・・。」
「が・・・?」
「そのあとで、彼女のあの力が・・・純潔でないと維持できないことを知った。」
「・・・まさか。」
「ああ。男と一緒になった時、無くなっちまうそうだ。」
「なるほど・・・理論的には納得だが・・・。」
「俺も男だからな。人を救うことができる、彼女のあの尊い力を奪っちまうかもしれないことが・・・何よりも怖かったんだ。彼女はそれでも構わないと言ってくれたが・・・。」
「お前の性格では、無理だろうな。」
「だから、彼女と別れるしかなかった。彼女に拒まれた時に・・・気付くべきだった。そしたら、彼女を傷つけずに済んだのに・・・。」
「・・・拒まれた?襲ったのか?」
「ああいや、無茶はしてない。落雷を怖がってしがみつかれた時に、つい成り行きで・・・・・・」
レッドは不意に、ギル以外のほかの者達の視線に気付いた。そこで見てみると、みな一様に興味津々という顔。
「・・・って、何で俺はお前達に、こんなことまで話してんだっ。」
レッドはパシッと湯面を叩いた。派手にしぶきが上がり、それは向かいのギルと、隣にいたカイルにまで思いきりかかった。
恐るべし〝裸の付き合い〟。レッドは気を引き締めた。
「気が向かなくなった。もう終わる。」
よくよく話して聞かせたあとで、レッドは言った。そして一息おいてから、またギルを見た。
「そっちこそ、訊いてもいいか・・・あいつのこと。」
「なんなりと。」
「あいつのことは、どうする気だ。抱いたんだろう?」
瞬間、ギルの視線はエミリオの顔へ。
エミリオは首を振ってみせている。
「あいつを見てれば、すぐに分かるさ。その次の日に気付いたぞ、俺は。ダルアバスで、あいつを助けた夜だろう。あんたにとっては大したことじゃないかもしれないが、あいつは本気だぞ。どうする気だ?あいつきっと、あんたが分からず不安で仕方がないぞ。」
ギルは肩を落とした。
「お前こそ、失礼なヤツだな・・・。」
「本気なのか。」
「当たり前だろ。」
でなければ、身近にいる女性に手を出したりなどしない。
「けど、あんたはエミリオと違って勝手に国を出てきたふうだが、そんなことが許されるのか。あんたが国に帰れば、あいつとは一緒になれないだろう。」
「俺は皇太子としての何もかもをかなぐり捨ててきた。俺には妹がいる。その婚約者に全てを託して出てきた。俺にとって、アルバドル皇室はもう関係ない。アルバドルは、ただの出身国だ。」
「じゃあ、一緒になるつもりはあるのか。」
「彼女も望んでくれればな。」
話の最初から、カイルは少々、リューイはさっぱりついていけなかったものの、これを聞くと、エミリオを除く三人は思わず声を飲み込んだ。
ギルは派手なため息をついた。
「何か、おかしいか。」
雇われて帝都アルバドルにいた経験があるレッドは、皇子としてのギルの顔も少しは知っているだけに、改めて真剣に考えてみると有り得ないことだと思ったのだ。
「いや、だって・・・シャナイアと、あのアルバドル帝国の次期皇帝 —— 」
「それ以上言うと容赦しないぞ。」ギルはピシャリと言った。「なにが次期皇帝だ。俺達は同じだって言ってくれたんじゃなかったか。」
「確かにそうだが・・・本当に後悔はないのか。」
「レッド、今更そんな話を蒸し返さないでくれ。後悔はない。少しばかりの気がかりがあるだけだ。だがそれも、いずれ時間が解決してくれる。何をそんなに人の心配をしてくれているんだ。お前が訊いてきたことに一言素直に答えただけで、どうしてそんな話になる。」
「・・・そうだな、悪い。けど、あいつアレで意外と弱いからさ。」
「知ってる。」と、静かな声でギルは言った。「なるほど、俺でなく彼女の心配をしているわけか。」
「まあ・・・戦友だったわけだし。」
「とりあえず、俺の気持ちについては安心しろ。俺は彼女に夢中なんだ。」
そうキリをつけると、ギルはなんと先のことまで語り始めた。その口調は、何かしみじみとした奥深いものに変わっていた。
「俺には夢ができた。牧場を営むという夢だ。そのうち馬を育てて、平凡に暮らしたいと思っている。無論、願わくは彼女とだ。」
そのあとギルは、また声の調子を変えた。
「だから、そんなくどい質問は金輪際お断りだからな。いいな。」
「ああ、野暮なこと言って済まなかった。」
そう苦笑いを返してきたレッドに、「よし。」とうなずいたギルは、それからエミリオを見た。そのエミリオは、まるで自分のことのようにこの話に聞き入っていたのだが、ギルはそう密かに思い描いていたことを明かしながらも、反面、引け目を感じずにはいられなかったのである。
それで、、急に真顔になったギルは、「お前と旅を始めたあの頃、俺はお前に、一緒にやれるところまでやってみようと言ったが・・・。」と、口ごもった。
エミリオは屈託ない笑顔でこたえた。
「心配は無用だよ、ギル。君のことは、おおよそ察しはついていた。」
ギルの目をしっかりと見つめ返しながら、エミリオは不安も迷いもない表情で続ける。
「私は、これまで様々な国を巡り、様々な仕事を知った。君達が共に居てくれたおかげで生活の術を学ぶことができ、今は、一人でも暮らしていける自信を持つことができつつある。だから、いずれは落ち着ける場所を探し、そこで自分にできる仕事をしようと思っている。その中で、私も、私を必要としてくれる誰かに出会うことができたらいいと・・・そう思う。」
極めてささやかながら、エミリオには大きな一歩だとギルは感じた。
「ところで明日だが、早速旅の準備をしに繁華街へ行きたいと思うが・・・どうかな。」
少し間をおいてから、エミリオはそう話題を変えた。
「じゃあ、いつも通り手分けして揃えるか。」
ギルが言い、他の者達もこれに賛同。
普段はすることのない会話で過ごした、貴重なひと時となった。




