揺れる想い
明け方、レッドが目覚めてテントから出てみると、辺りはまだ薄暗くひんやりとした冷気が漂っていた。そこから、見張りと焚き火の番をしている村人の姿が見える。昨日の惨劇で、心身ともに疲れ果てているはずの男達だ。
レッドはそばへ行き、自分が代わると申し出て、彼らに休むように言った。
そこへ、少しするとギルが起きてきた。
二人が、出会う以前の体験談や共通の思い出話などで暇を潰していると、今度は、誰かが二頭の馬を連れて川の方へ降りていく気配がした。
それが村人でもジェラールでもないことはすぐに分かった。
そして、そちらの方をどうも気にしているレッドに、ギルは気付いた。それで内心ニヤついていると、レッドが徐に腰を上げたのである。
「ギル、悪い、少し任せていいか。」
ギルは、「逢い引か。」と、ひやかした。
「うるせえ。」
レッドはそう捨て台詞を残して、川の方へ向かった。
そのあと、ギルが一人で焚き火の番を続けていると、次はエミリオが起きてきた。
エミリオは、まず辺りをぐるりと見渡してからギルに視線を定めた。
「一人で焚き火の番を?」
「いや、レッドと一緒だったが、川の方へ行った。逢い引さ。」
「ああ、イヴが自分達の馬に朝食をとらせに行ったんだね。」
エミリオはそう言いながら、焚き火を挟んだ向かいに座った。
ギルはうなずいて、焚き火に小枝をくべた。
「リューイはまだ寝ているのか?例の件は、明け方実行じゃあなかったか。」
「ほとんどミーアのベッド代わりにされていたからね、リューイは。起きたくても、起きられないんだよ。」
宿を取る場合、幼いミーアは一人と数えられることはなく添い寝扱い。基本的にはシャナイアが付き添う。その安心感と心地良さが無いと落ち着かない小公女様は、いつからかそれを気分で指名制に変えてしまった。
「そういえば、夕べはリューイが捕まってたな。野宿の時は、シャナイアやカイルは選ばれないんだよな。下敷きにするには広い方がいいからだろうな。」
エミリオは穏やかな笑い声を上げた。
「もう少ししたら、カイルに預けて出てくると思うが。」
そして東の山の稜線からのろのろと朝日が姿を現し、青白い光が木々の隙間から射してきた頃。
肩や首を押さえながら歩いてきたリューイが、エミリオの後ろで止まった。
「参った・・・肩凝ったみたいだ。」
「ミーアの下敷きだったからね。それで傷にはさわらなかったかい。」
「ああ、それは大丈夫だ。でも、肩凝りなんて運動不足だな。最近なまり気味だったからなあ・・・もっと鍛えねえとダメだな。」
「昨日、充分暴れたろ。あれでなまってたんじゃあ、軍隊もたまったもんじゃない。」
「あれ、レッドは?馬狩りの約束なのに。」
「まあ、そこに座って少し待ってろ。今いいところだから。」
ギルは手にしている小枝で、エミリオの横の地面を示した。
レッドが川のほとりへ行ってみると、朝もやの向こうに、二頭の馬に水を飲ませているイヴの姿が見えた。
イヴは自分が乗って来た馬の鬣を何度も撫でながら、何か言葉をかけているようだった。
「手放すのか。」
そっとそばへ歩み寄ったレッドは、思い切ったようにまずはそう声をかけた。
背後でしたその声にイヴは振り向いたが、誰の声かはすぐに分かったので驚きはしなかった。
「ええ。私のものを彼らにあげようと思って。ここへ来るまでお世話になったから、御礼を言ってたの。」
イヴは、少し寂しそうな笑みを浮かべて答えた。
「そうか・・・。」
二人がそう話しているうちにも、二頭の馬はおもむろに歩きだして、草を食みに行った。
レッドは、その二頭を目で追うふりをしながら、頭の中では懸命に言葉を探していた。無神経な自分の発言に対して謝り足りずに、ここへきたのだ。
レッドは、やがてぎこちなくイヴの方を向くと、何か言いたそうに彼女の目を見つめた。
「イヴ・・・ご —— 」
レッドの唇に指先を当てたイヴは、そのまま大袈裟にため息をついてみせる。
「レッドったら、まだ気にしてるの?あなたのせいじゃないって言ったでしょ。」
「けど・・・俺が一番分かってるはずなのに・・・。」
「あなたは私に悪いことなんて、何も言ってないじゃない。」
「いや、あんな無神経なこと。」
「もう止めましょ、この話は。ね・・・。」
イヴは、伏し目で横を向いた。
レッドは、あの日・・・イヴが不良グループに乱暴されかけた時のことを具体的に知っているわけではない。だが推測はでき、その程度がどうであれ、一生残り続ける恐怖と恥辱を味わったことは事実だ。ただ、彼女が修道女で無くなる最悪の事態には至らなかっただけ。
だから、まだ怯えているように見えるその姿にレッドの両手はうずいたが、別れを告げた手前、肩を抱くことは躊躇われた。
「イヴ・・・俺のことは早く忘れた方がいい。」
「何を言ってるの・・・?」
「俺だって、それを思い出させる存在だ。」
ひどく悲しそうにそう言って離れかけた彼の背中を、イヴはあわてて抱き締めた。
「違う・・・。あなたがいてくれたら、私・・・安心できるの。ずっとじゃなくても・・・いいから。」
レッドはゆっくりと向き直った。そして、いよいよ我慢がきかなくなりそうなそんなレッドに、イヴは顔を上げて微笑んだのである。
「あなたは、それだけじゃない。全てが・・・あなたの全てが好きなの。だから、そんなふうに思わないで。お願い。」
素直に想いをぶつけられると、たまらなかった。自分も同じ気持ちでいるのに伝えることが、応えることができない。それを見透かされているのか、本心を偽って頑なに拒み続ける自分に対して作り笑う姿には、余計に悲しくさせられる。どれほど言葉にして吐き出したかったかしれなかったが、思わせぶりなことを言えば、かえってまた傷つけてしまう。
少し、沈黙が続いた。
やがて、おずおずと頭に回された手に引き寄せられて、イヴは火照る顔を彼の胸にうずめた。
「嘘ついて・・・ごめん。お前にひどいこと・・・」
神殿を出たら一緒になろう・・・俺もここにいる。そう約束したのに。
「それ以上、言わないで。」
彼女にそう言われて、レッドは一言だけ囁いた。辛くやるせない声で、「・・・ごめんな。」と。
頭の上から囁きかけてくるそれは、胸に応える優しい声。
そんな思いつめた声で一言謝られることを、これを恐れていたのに。
謝らないで・・・と、言うべきだった。
イヴの心は、彼を諦められたらという気持ちと、まだ彼の愛情を感じていられるうちは待ち続けていたいという期待のあいだで、ずっと揺れている。おかげで今、彼の温もりと一緒に伝わってくる愛情に、こみ上げるものを必死で堪えなければならなくなった。
その様子に気付いたレッドも手を離すことができなくなり、この気まずい空気の中ただそうしているしかなかった。
やがて二頭の馬がそばに戻ってくるまで。




