恩人と語らう森の月夜
野営地に設えた焚き火の一つには、また村長と村の代表が集まり会議を再開している。村を移るという生命と生活を賭けた議題に一夜での決断を迫られているため、そこでは積極的に意見が飛び交っていた。
一方、別の焚き火周りには、若者と子供達が集まる団欒の場もある。
婦人や娘達はみな即席の調理場にいて、大急ぎで食事を用意していた。
レッドとジェラールだけは、そこから少し離れた木の下に並んで腰を下ろしている。焚き火の光も当たらない場所だったが、頭上の枝葉の間からは、輝く白い月が見えていた。
「将軍。」
「ジェラールでいい。おじさんでもいいぞ。」
二人は同時に、笑い声を漏らし合った。以前ジェラールといた時、まだ10歳にも満たない少年だったレッドは、彼のことをそう呼んでいたのだ。
「じゃあ・・・ジェラール。」
少し俯いて後頭部に腕を回したレッドは、布の結び目を解いて顔を上げる。
「これを見てくれ。」
そしてジェラールは、紛れもない本物の聖獣イーグルを確認した。
「確かにアイアスの紋章・・・。期待した通りの男に成長したってわけだな。」
「これをあなたに見せたいと、ずっと思っていたんだ。」
「君を助けることができて、よかった。」
ジェラールに再会できたことで、レッドには確かめたいことがあった。
両親のことだ。
生き別れたあとしばらくして得た情報によると、ガザンベルク帝国は、当時思ったほど非人道的な国ではなかった。奴隷であっても人並みの暮らしができているのならと、レッドは会いたいという気持ちを胸の奥にしまい、前向きに生きるために鍵をかけて自分を納得させていた。
だが・・・。
レッドは、躊躇いながらも重い口を開いた。
「・・・訊きたいことが・・あるんだが・・・。」と。
「なんだい。」
ジェラールにも凡そ察しはついていた。表向きの事柄であれば、レッドがそれを知っていてもおかしくはない。
「ガザンベルクで、俺の故郷ネヴィルスラムの奴隷が、反乱を起こしたって・・・。」
明らかに強張っているその面上には、不安と恐怖が交錯していた。
食い入るようなレッドのその目を見つめ返して、ジェラールは辛そうにうなずいた。
「・・・ああ。本当だ。」
「彼らは、どうなった。」
「・・・恐ろしいことが、起こったんだ。」
「知っている。」
これには、ジェラールが驚いた。だが、傭兵であるレッドが、それ以上のことを知る可能性はいくらでも考えられる。
レッドの故郷ネヴィルスラム王国の町、サガから連行された者達による奴隷蜂起。表向き、つまり各情報局で公開しているのは、これが起こり、数日後に収まったということだけで、詳しい内容には触れられていない。しかしその実、それを鎮圧したのは、ガザンベルク帝国の妖術師と化した総督が勝手に放った妖魔だった。傭兵稼業の者なら、その時実際に居合わせていたり、居た者から話を聞いたという噂を耳にした者などいるだろう。そういう経路でレッドの耳にも入ったと考えられた。
「どれくらい・・・生き残った。」
ジェラールは返事に躊躇したが、やがて思い切ったように答えた。
「八十・・・ほどだ。」
百人以下。のちに知った話、連行されたのは三百人ほどもいた。あの化け物によってどんな惨殺が行われたのか・・・それを思うと、ぐっと握りしめたレッドの拳は怒りで震えた。
しばらく、そのまま互いに口を閉ざしていた。
そのあいだジェラールは、ずっと地面に向けられているレッドの横顔を見ていたが、やがてこう極めて静かに声をかけた。
「相変わらず・・・いい目をしているな。」と。
レッドは顔を上げ、何をいきなりというようにジェラールの方を向く。
「以前にも同じことを君に言っているんだが・・・覚えていないだろうな。その時、君はヒドい傷を負わされていて、恐らく意識が朦朧としていたろうから。だがその状態で君は、私を見たとたんに、まるでその額の鷲のような鋭い目をくれてきた。煮えたぎるような憎悪と、怒りに満ちた荒々しい目つきだった。その目に私は、〝正義感の強い、いい目をしている。〟と言ったんだがな。」
レッドには、思い出したくもない記憶だ。親を奪われ、背中が裂けるほど鞭を食らい、あげく故郷を一夜にして消された。そのせいで何度も悪夢にうなされてきたのだから。そのヒドい思い出は一生忘れることなどできはしないが、あの状況で敵国の軍人からそんな言葉をかけられていたことなどは、うろ覚えだった。
「俺から見て、軍人らしい奴はみんな敵だったからな。そんな憎たらしい目に、よくもそんなことが言えたもんだ。」
レッドはそうして気を取り直したが、ジェラールには、その健気さだけが伝わるばかりである。
「サガは、あれからどうなった。」
「我々の軍事基地が敷かれている。君に、こんな話をするのは辛いが。」
「いいんだ。当然のことだ。」
「私は、何もできなかった・・・。」
「俺達の命を救ってくれたじゃないか。」
「レッド、君はガキ大将だったらしいね。」
唐突にジェラールが言ったように聞こえ、レッドは驚いて一瞬停止した。
「なんでそんなことっ。」
「ガキ大将というよりは、リーダーか。私はね、その後サガの子供達が気になったので、正体を偽ってネヴィルスラムの孤児院を回り、それぞれ散っていった子供達の成長を密かにうかがっていたんだ。皆、一度は必ず君のことを口にしたよ。」
「俺はリーダー風なんて吹かした覚えはないぞ。あいつらが勝手にそう呼んでたんだ。」
「らしいね。私も君には興味をもっていたから、いろいろ話を聞かせてもらった。一番ケンカが強くて、番長にいじめられたりなんかすると必ず助けに来てくれたから、俺達のリーダーにしたて上げたとかね。」
「そいつが、いつもそうやって俺を呼び出すんだ。俺に勝ったことがねえから。」
「その子もちゃんと君のことを心配していたよ。あいつにはやっぱり敵わないと言っていたな。」
レッドは思いがけず懐かしさを覚えた。
「皆・・・どうしていた?」
「彼らが立派に大人になって、孤児院を出たあとの情報は途絶えてしまったが、それまでは、どの子も懸命に前だけを見て暮らしていたようだった。君が身代わりになってやった少年を、覚えているかい。」
「別に、身代わりになったわけじゃねえけどな。」
レッドのその照れるでも謙遜するでもない、そのことについて何とも思ってはいない口ぶりに、ジェラールは目を細めた。
「彼は、特に君のことを気にしていたよ。いつかお礼がしたいと、そう言っていた。」
「礼?そんなことを、される覚えはねえよ。」
「君は本当にいい男になったな。あの時の少年が、そのまま大人になったようだ。」
ジェラールは、イヴをからかったことを今は後悔するほど共感できた。〝相当いい男・・・。〟その言葉は冗談にならなかったなと、ジェラールは密かに苦笑した。