精霊 対 精霊
カイルは、遠くを睨んだ。その場に腰を落とし、早口で呪文を唱えながら深い精神統一に入る。立ったままでもできるが、特に呪術の勝負では座るのが彼のスタイル。体力の消耗を少しでも軽減するためだ。座り方は、胡坐をかくより少し崩して緩い立膝にすることが多い。
やがて厚い霧のような闇がすっと身を引き、辺りが急に明るくなった。
カイルが呼んだのは光の精霊だったのである。
魔物の姿がはっきりと映し出された。目玉だけは炉で溶かした鉄のように燃えていたが、一言で言えば、全身黒づくめの巨大なカラスだ。それは、一瞬目が眩んだように空中でよろめいたものの、すぐに体勢を立て直し、なおも襲いかかろうと急降下してくる。
円を描くような腕の動きと共に、カイルは呪文を唱えた。
光の精霊たちは結束し、幅広の密な帯となった。そうしてカイルの命令に従い、ぐるぐると魔物の体に巻きつき始める。瞬く間にがんじがらめにされたその体は一定の場所から動けなくなり、狂おしくじたばたともがきだした。
光の精霊を呼び寄せてからというもの、カイルは一心不乱に念を凝らし続けている。つまり、念力を途絶えさせてはならないのである。
呪術は、精霊のエネルギーと、その使い手の呪力が一体となって行われる。それが、戦闘時には精霊のパワーは己の手足も同然となって戦い続けるため、念力を送り続けなければならなくなる。呪文にも単語や文節がある。それによって、精霊たちを動かす存在が精霊使い。しかし、何らかの原因によって、それを意味を成していない中途半端なもので言い止めてしまったり、体力や集中力をきらすなどして、精霊たちと自身とを結びつけていた精神力 ―― つまり呪力が完全に切り離されてしまうと、使役されていた精霊たちのパワーや、命令から突如として解き放たれた勢いなどが、自身の体に跳ね返ってくる。多かれ少なかれ。
そのことを、術使いの間では〝 呪力の反動 〟と呼んでいる。
そのため、殺人的な攻撃の指示を与え続けたり、相手の攻撃を防御するための強い力を出し続けなければならない戦闘時には、特に生死に関わる大きな危険を伴う。それは、下手をすれば自殺行為にもなるものだ。
カイルの祖父テオは、カイルにこう言っていた。
「何かの拍子におぬしの呪力に加わる可能性がある。」と。
何かの拍子に、ほかの力が自分の呪力に加わる可能性があるというのは、逆に言えば、ほかの力を自分の呪力にすることもできるということ。その時の体力や調子によって、本人が「できる。」と判断した時に踏み切れる裏技だ。そして、その方法をもカイルは習得していた。
だが、望んでもいないのに、ほかの強い力が勝手に加わってくるというそれは、危険信号なのである。準備ができていないままにそのような目に遭うと、コントロールしきれない負担で体力や呪力がもたなくなり、命を落とすことにもなりかねないからだ。
また、自身の精神力が著しく昂ったりして、一時的に自身の能力も高まり、本来の自分のレベル以上の強い精霊を呼んでしまう 一一 というケースもあり得る。その時、それに耐えきれずに失神したり、いきなり呪力が及ばなくなれば、中途半端に呪術を止めたことになってしまう。そして、制御しきれなかった精霊の力の反動を食らって、やはり最悪の場合には死に至る。つまり、自滅。
魔物を形成している砂の精霊と、光の精霊がせめぎ合っている。
そうして身悶えながらも、魔物は光の精霊をまとったまま大きく身を翻した。キラッと光るものが弾け飛んだ。
この精霊たちは弱すぎた。簡単に振り解かれてしまうとは。
自分が呼んだ精霊があっさりやられてしまったことで、カイルは意を決した。もう結界も長くはもたない。
右腕を上げたカイルは、呪文を唱えながら指先を滑らかに走らせたあと、いくつか印を加えた。
すると砂が舞い上がった。黄金色に輝く砂だ。それは、急速に馬の形を成していく。
カイルのこめかみには汗が滲んでいた。身に付けた術の中でも、これはかなり高度なもの。
砂の精霊群で形成されたそれは、この切迫した状況においても、うっとりと魅入らずにはいられないほど美しく立派な馬だった。金の鬣を靡かせ、首を大きく動かして果敢に敵に立ち向かう。
互いの体が激突し合った。
黒い怪鳥と黄金の馬は、密着したまま身悶える。実際に絡み合っているのは、どちらも砂の精霊だ。そうして一つ一つが取っ組み合い、わずかに勝る方が、対抗してくる相手を押し潰そうとしている。
その末に、なんと先に萎縮し始めたのは魔物の方である。まだ分かり辛いが、少しずつ小さくなっている。
カイルはいよいよ険しくなったその顔で、今度は両手を胸の前で素早く動かし、最後の命令をくだしにかかった。
すると馬は一度身を引き、優雅に空を駆けて敵と距離をとった。だがすぐにターンすると、優雅などとはかけ離れた凄まじい勢いで、真っ向から黒い巨体を目がけ突進していく。蹄の音も嘶きも聞こえはしないが、その勇ましさと迫力が思わずそれらを想像させた。
二体がまともにぶつかったと見えた瞬間、光の乱反射が起こった。
周囲が突然 金色に染まり、あまりの眩しさにとても目を開けていられず、レッドは抱いているミーアの頭の横に顔を伏せた。リューイも腕で両目を覆っている。
数秒が経過した・・・辺りから聞こえるものは何もない。
恐る恐る、二人は瞼を上げていく。
何もいはしなかった。