紐解かれる一連の闇
ギルは、意外にも伏し目でそう語り始めたエミリオの横顔を見た。
「あの血の繋がらない弟か。仲がよかったのか。」
知りたい・・・という気持ちに駆られてしまい、ギルはさりげなく話を促す。
エミリオはうなずいた。
「弟は、私を慕ってくれていた。私も、彼のことは実の弟のように愛していた。私が国を逃れる時に手を貸してくれたのも、彼だった。別れ際の彼の不安そうな顔が、ずっと胸に残っている。彼はとても心の綺麗な少年だったが、少し気弱なところがあった。だから、私は彼の後見人にでもなれれば、それで幸せだと思っていた。それなら皇帝でなくとも、帝国のために力を尽くすことができるのだから。」
「そういえば、前にも少しそんな話をしてくれたな。しかし、それじゃあ国民が納得いかんだろう。フェルミス先代皇后の人気は、俺の国にまで噂が流れてくるほど絶大なものだった。その実子であり、英雄であるお前がそんな・・・。ああ、それも、今の皇妃がお前を妬む理由の一つか。お前の母親は、人間的にも素晴らしい女性だったようだな。望んで嫁いだわけでもないのに、皇帝の愛情をうまくして、エルファラムの貧しい国民に救いの手を差し伸べ続けたそうじゃないか。確かに、お前はその母親の愛をそっくり映し出したような人間だ。国民の期待は正しいな。さらに戦での活躍ぶりは、頼もしさをアピールすることにもなる。ゆえに、お前ほどの男をさしおいて、そんなことを決めちまったら、暴動でも起きかねないんじゃないか。」
ずらずらと大胆な見解をしてくるギルに、エミリオの方は面食らったような表情。そして照れとも呆れともつかない口ぶりで、「大袈裟だな。」と返し、頬を緩めると、今度は苦い口調で続けた。
「それはともかく、シャロン皇妃には、私が弟ランセルの後見人になるという、それすらも認めてはもらえなかった。父上は、さらに私を大尉の座に就かせ、いずれは軍師としての活躍も期待されたが、それでも・・・。だから、密かに私を消したがったようだ。」
「彼女は几帳面で、用意周到な女性なんだろう。国民の不満を買うだろうことまで、読んでいたんだな。だから、お前が生きている限り気が休まらないわけか。だが皇宮を出たあとまで、あれほどしつこく追い回させるなんざ異常だな。その女性を母にもちながら、お前を慕う若い皇子の悩める姿を思うと・・・不憫だ。」
「私は・・・苦しかった。裏で糸を引かれ、心ならず私を殺めようとする者達や、それに気付いて私を守ろうとする者達。そして、そのことで心を痛める弟や、父上。無関係の者まで多く巻き込み・・・たまらなかった。だから、国を出たんだ。」
ギルは、想像もつかない悲劇だと思った。そして、エミリオの辛さも計り知れないと。
ギルは、視線を落としてそう打ち明けてくれた相棒を、横目にそっと窺った。
「いずれは軍師に・・・そうか。母上の姉、つまりお前の母親であるフェルミス先代皇后は、エルファラムの皇帝に心底惚れられていた。その女性との実の子であるお前を、彼が愛していないはずはない。もし皇帝が現皇妃の暗殺計画に気づいていたとしたら、大尉や軍師というのも、もともとは暗殺を止めるための名ばかりのもので、戦地を踏ませるつもりまではなかったのかもしれん。だが結局、お前は戦場で活躍する一流の軍人となっていき、悩み疲れた皇帝は、そのまま成り行きに答えを委ねるようになった。お前がもし戦死ということにでもなれば、諦めがつくと。そして、臣民も。そんなところか。」
ギルは、エミリオも分かっていたことを言った。
悲しい人間関係だと、ギルは思った。我が子を問題なく次期皇帝の座に就かせるため、必要以上に躍起になる皇妃と、自分が慕う相手を暗殺しようとする母に苦悩する若い皇子。そして、最愛の女性との子と、現在の妻との関係の悪さが引き起こす異常事態に疲れ果てた皇帝。さらには、その一連の裏事情に巻き込まれた従者達。エミリオは、それら全てを背負ってきたのだと、ギルは同情した。
しかし、これだけでも辛すぎる記憶だが、未だ人知れず沈み込んでいる姿に気づくことがあるギルは、エミリオにはやはりまだ何かあるのでは・・・という直感がしてならなかった。
それでも、そこは触れてはならないと思っていた身の上話を、自ら話すようになったことに、ギルは自然な感じを意識しながらも正直驚いた。それだけ心を許せる存在になれた・・・ということだろうか。
そう考えていると、エミリオが珍しく、「君こそ、まさに次期帝位継承者のはずでは。それがなぜ、周囲の反対を押し切ってまで。」と、こちらのことも訊いてきた。
以前、ギルは、皇太子という立場でありながら戦場に赴いたことを、確かそう話していた。
「だからさ。俺には、確かにその座が約束されていた。だからこそ、実戦を経験しておきたかった。軍人の頃に若くして少将となった父上は、その実力と才能だけで、ついには母上と結婚し皇帝にまでなった大した男だ。母上といつどこでどう恋に落ちたかを考えると・・・不届き者でもあるがな。だが、俺は父上を尊敬していた。そして、超えてやりたいと思った。父上は戦術と国政に長けた男だと、認めざるを得なかった。初め弱小国だったアルバドルを、大陸でも屈指と謳われるほどの今の姿に、見事成長させてみせた男だからだ。だから、まず父上と同じことを踏まえたかった。それには実際に戦場に立ち、戦を知る必要があると、そう思った。だいいち俺に数々の武芸を教え込んだのは、そういう考えをもってしてのことだと思っていた。ところがだ、俺が出陣を申し出ると、とたんに猛反対しやがった。どうも、男は強くなきゃあいかんと、軍人魂のもとに俺をしごき上げただけに過ぎなかったらしい。呆れた男だ。」
「その熱意を持ちながら・・・ああ、いや。」
エミリオはあわてて口を閉じた。こうして語り合っている勢いで、思わず聞いてしまうところだった。
彼が、別の道を選んだわけを。
だが、ギルは悟っていた。無論、気にならない訳はあるまいと思い、やがて潔くこう言いだした。
「俺は逃げたんだ。」と。
「逃げた?」
驚きのあまり、結局エミリオはつい聞き返してしまった。
「ああいや、すまない。お前のとは意味が違う。俺は身勝手に出てきた。皇帝の責務から逃げだしたんだ。そして、勝手な罪滅ぼしの旅にでた。」
勝手を連発したり、罪滅ぼしという言葉に、エミリオがいよいよかける言葉もなく、ただそんなギルの横顔を見つめていると、ギルは思い切ったように言葉を連ね始めた。
「外の世界が知りたいという以前お前に話した理由、それは全くの嘘じゃない。だが、外の世界の明も暗もだ。現実のありのままの姿を確かめてやりたいと思った。俺は数年前に、このエドリースの地に遠征に来たことがある。そして、自分が皇帝となるにふさわしいかどうかを問われる事態が起こった。その時に気付いたんだ・・・器じゃないことに。己が、無知でめでたい愚か者だったことに。俺が勇敢で正当なものだと思い込んでいたそれは、人の理性までも奪い、子供達の笑顔も何もかもを、感情の全てをも抜き取る悪魔だった。戦争という名の・・・。この世は狂っていた。冒涜、卑怯、残忍無慈悲・・・。そんな卑劣な言葉が当てはまる争いや襲撃が、各地で当たり前のように起こっているのだと知った俺は、世の中の真の姿を知らなければと・・・あの子達への罪滅ぼしがしたくて、出てきたんだ。」
「あの子達・・・。」
エミリオは独り言のように呟いたが、ギルはここで、今になってその話を初めてする気になれた。エミリオと旅を始めた最初の日に、涙が出そうになったため打ち明けることができなかった話を。今なら、気を確かにもって語りきれるような気がした。なぜなら、ルデリの大虐殺のあとが過去の凄惨な記憶と重なり合っても、仲間が一緒だったおかげで、今度はその現実をしかと受け止めることができたからである。