超人の暴走
やがて、その馬の血に濡れた足元に、死体が重なりあった。
男は馬を回して顔を見せた。金に近い茶色の髪と灰緑色の瞳の二枚目で、貴族のように品のある容姿だが、うっすらと顎鬚を生やしていて、どこか野性的な渋さも感じさせる風貌だ。
「まともに戦えるのは、君達だけか。」
男は馬の背から、剣を握り締めているエミリオとギル、それにシャナイアを見てそうきいた。
「いや、あと二人、強いのがいるんだが。」
ギルが答えた。
「そうか。」男は顔を上げ、「まだ、敵は退却してはいない。とにかく加勢しよう。私は向こうへ行く。」と、民家を荒らしまくっている様子の兵士達をねめつける。
それに対してエミリオとギルが礼を述べる前にもう、男は素早く馬を走らせて行った。
それと入れ違いに、レッドが反対側から戻ってきた。
「ミーア!」
駆けつけるなり、レッドは両腕を伸ばしてミーアを抱き寄せる。無事かどうかというよりも、今朝のこともあり精神的な面で心配だったからだ。だが、カイルが体で目隠ししていたおかげで、ミーアは殺戮も戦いもほとんど見てはいなかった。周りには兵士の死体がごろごろ転がってはいるが、ほかの子供達も同様、自らできる限り見ないようにしていた。
ギルが再び辺りに視線を走らせながら、「レッド、リューイの奴は。」
「リューイは・・・。」
レッドが答えるよりも早く、そこで聞こえてきたのは、我を忘れて怒り狂った怒鳴り声と、まるで恐ろしい化け物にでも出くわしたような絶叫。それがゾッとする勢いで迫ってきて現れ、視界を右から左へと横切っていった。
つまりは、殺人鬼さながらに鍬を振り回し、軍隊を追いかけ回す信じられないリューイの姿が。
エミリオもギルも、一瞬我が目を疑った。
だがしっかりと首を向けて見定めたそれは、やはり紛れもなくリューイである。レッドが思った通りにホウキはすぐに使い物にならなくなってしまい、鍬に変わってはいるが。
「リューイは・・・?」
冷や汗が流れる思いで、ギルは再度問う。
「ブチ切れてる・・・。」と、レッド。
「待てーっ‼ おぉまえらあぁっ‼ 皆殺しだ、コラアーッ‼」
リューイは宣言通り、まさに敵を全滅させかねない勢いで、猛威を振るい大暴れしていた。片っ端から手当たり次第に鍬をなぎ払い、殺人的な脚力で蹴り倒している。腿に一本の矢傷と、腕や背中のあちこちに掠り傷を負わされながら。おまけに荒ぶる主人を見て判断したキースも、横について遠慮なく兵士たちを引っ掻き回っている。
「こんのっ、待ちやがれえっ‼ 同じ目に遭わせてやるっ‼ 皆殺しだっ、思い知れ‼ 皆殺しだあーっ‼」
やや遠目だったが、仲間達が唖然と見ている所にまで、その地獄から聞こえてくるような声と悲鳴が響き渡っている。
ギルが冗談とも本気ともつかない動揺ぶりで、「おい、無茶苦茶だっ! レッド、あのバカタレをとっ捕まえて来い! お前の相棒だぞ、行け、ほらっ。」
「ほらって、ちょい待てコラッ! あれをどうやって止めろってんだ ⁉ 」
「どうって頑張って止めるしか・・・ああ、キースも。」
「今、ついでに言ったろ ⁉ そんな無茶は聞いたことがないぞ!」
そんな手のつけようのないリューイとキースを目で追いながら、二人は一刻も早く敵が退却するのを祈った。どう頑張っても、あれ以上の怪物でもいない限り人間の手で止めるなんて無理だ。
こうして、ひとまずリューイは心配無用だと確信できるようになると、ギルは剣の切っ先を地面に付けて心を落ち着かせようとした。
「やり過ぎだ、正気の沙汰じゃない。」
「正気どころか、もう人じゃねえよ、あいつは。」と、レッドの不安もさすがに失せた。
そんなリューイに、エミリオも少しのあいだ柄にもなく呆気にとられていたが、我に返るとギルとレッドに言った。
「私も民家を見てこよう。ここを頼む。」
エミリオがそうして離れた時には、上手く隠れたか逃げ切ったか、まだいるはずの村人達の気配が、リューイのおかげでいつの間にか消えていた。
そのリューイの周りだけは別として、ほかはひっそりと静寂に覆われた村の様子を、やや離れた場所で馬上から睨みつけている者がいる。
バルデロス軍の指揮官である。
「・・・逃げられたか。」
「しょ、少佐っ!」と、そこへ息をきらせた兵士が一人命からがら戻ってきた。今頃こう報告するために。
「この村には強い者が多すぎます!それも、とてつもなく!」
「強い者は危険人物だ。捕らえろ。」
「もう、こちらの戦力が激減しています!このままでは逆に滅ぼされてしまいます!バケモノだ!」
その兵士はすっかり気が動転しきっていて、滅茶苦茶な呂律で訴えた。
この無礼で無様な部下を少佐と呼ばれた男はしかめっ面で見下ろした・・・が、それだけだった。なぜなら、自身も驚愕と苛立ちの両方を覚えながら見ていたからである。
一人の若者と、黒い野獣の信じがたい暴れっぷりを。
そのため、この部下の言葉も無視することはできなかった。
「くそ・・・。」
忌々し気に舌打ちして、指揮官の男は甲高い笛の合図を響かせた。
バルデロス軍の生き残り兵が、みな助かったとばかりに引いて行く。
そうして、ようやくこの村に本物の静けさが訪れた。
しかしレッドが見ている先には、まだ怒り冷めやらぬ形相で鍬を構えてキョロキョロしているリューイがいる。
「おいリューイ、終ったぞ。来いよ。」
大きなため息をついて手招きながら、レッドはあえて穏やかな声をかけた。
それに応えて肩越しに振り返ったリューイは、自分の腿から今気付いたというように矢を引き抜いて、仲間のところへ戻って行った。
エミリオも戻ってくると、やがて隠れていた女性や子供達も二人、三人と警戒しながら姿を現し、自然と一行の周りに集まってきた。
捕まっていた村の男達も、成り行きで・・・ではあったがリューイに助けられていた。監視役の兵士達が、みるみる近付いてくる世にも恐ろしい金髪の青年に迫力負けして任務放棄したからだ。
その無事でいた者達の中に、レッドは、トヴィの姿をすぐに見つけることができた。それというのも、トヴィが大声で同じ言葉を繰り返しながら、人々の間をまっしぐらに駆け抜けてくるからである。
「お兄ちゃん、アイアスのお兄ちゃん!」と。
レッドは顔に手をやった。
「アイアス・・・。」
辺りがざわつき始めたかと思うと、あちらこちらでその言葉が湧き起こり、その場はたちまちオウムだらけに。
注目されたくないレッドが、誰とも目が合わないように下を向いていると、腰にしがみついてきたトヴィが、「やっぱり凄いや!アイアスって、やっぱり凄く強いんだね!このお兄ちゃんもアイアス?」と、なおも喚いてリューイを指差した。
ちょうど、馬に乗ったあの騎士が戻ったところだった。
「アイアス・・・もしや、君がイヴの・・・。」
騎士はトヴィの言葉を聞くや一瞬でそう思い当たり、同時に、さきの勇敢な剣士達のことをもすぐに確信していた。
一方、うつむいたままのレッドは驚いたように顔を上げた。
かけられた言葉以上にドキッとした聞き覚えのある声・・・その主を見て、さらに目を大きくする。
そんなレッドと対面するなり、騎士もまたあからさまに仰天した。