黄昏時の恋話
暮れなずむ森の中を、一組の男女が並んで馬を歩かせている。
仲間と合流するために、ヴェネッサの町からはるばる旅を続けてきたイヴと、カイルの祖父テオの知人で、彼からその護衛を頼まれたガザンベルク帝国の大将である。
今はその将軍の昔話・・・とりわけ恋話などをしながら、二人はもうすぐ森を抜けられるというところまで来ていた。
「そして私は彼女の肩を抱き、その凛とした瞳を見つめてこう言った。私の正式名は、ジェラール・ダグラス・リストリデン。ガザンベルク帝国の侯爵で、騎兵正規軍の中将なんだ・・・と。」
「それで、彼女の反応は?」
ジェラールは肩をすくめ、苦く笑った。
「信じてもらえなかった。冗談だと思われたんだな。どのみち、彼女とは一夜限りの仲だった。彼女ほど好みに応じた女性はいなかったが、彼女はここに残ると言い、私は国へ帰ると言ったからだ。だから私は、その次の日、旅立つ朝の別れ際に彼女に言った。夕べの冗談はどうだった?ってね。」
「まあ、そんなことを別れ際に?彼女、泣いてなかった?」
「笑っていたよ。〝さようなら愛しい人。〟と言って、いつまでも手を振ってくれた。それ以来、彼女とは会っていない。若かりし頃のずいぶん昔の話だ。だが、彼女との思い出は、今でも昨日のことのように覚えているよ。」
「さようなら・・・愛しい人。」
イヴは悲しげに、その言葉を噛みしめるように口にした。
「彼女、強いのね。私には・・・できなかったわ。」
これを聞くと、ジェラールは唖然という顔になった。
「できなかった?イヴ、君は修道女じゃあなかったかい。まさか君から、恋話が飛び出すとは思いもよらなかったな。」
イヴはどこか自嘲の笑みを浮かべた顔を、ジェラールに向けた。
「そうね・・・好きになっちゃいけなかったんでしょうけど・・・この気持ちはどうしようもなくて、今でもずっと彼のことを想っているの。だから、私はその彼女と違って、彼に別れを告げられた時、うなずくことができなかった。最後まで彼を困らし続けたわ。」
イヴはいよいよ沈痛な面持ちでうつむいた。
「彼も私を愛していると言ってくれたけれど・・・レッドとは一緒になれないのよ。彼・・・アイアスだから。」
「アイアス ⁉ 」
ジェラールは思わず声を大に。
「それは本当なのか?アイアスなんぞ、滅多にお目にかかれるものではないぞ。それがなぜ、君のような修道女と出会える機会があるんだ。」
「・・・本当よ。だって、額にちゃんと刺青してたもの。」
「・・・鷲か。」
「鷲よ。はっきりとね。彼はいつも隠していたけど。」
「・・・真のようだな。なるほど、それで別れを告げられたわけか。君は、彼がアイアスとは、恐らく知らなかったのだろう?というより、アイアス自体を知らなかったのか。そして、彼も君の能力について詳しくは知らなかった。」
イヴは黙り込んだだけだった。
ジェラールは、イヴのそんな表情をうかがい見た。
「図星のようだな・・・。」
肌寒い風が吹き抜け、二人の頭上から寂しげな葉擦れの音が聞こえた。
「彼のような人、ほかにはいないわ。見た目は怖そうだし冷たそうなんだけど、笑うとそうでもないのよ。私はその笑顔も好きだったし、正義感がとても強くて、子供達にも優しかったし・・・。」
彼女の目には今、その彼の姿しか見えていないのだろうなと思い、ジェラールは呆れたように含み笑いを漏らした。
「だから別れ際に、あなた以外の人を好きになんて絶対にならない。あなたが帰ってきてくれなくても、ここでずっと待ってるって・・・私・・・。」
「言ってしまったわけか・・・。君にそんなことを言われたら、彼はたまらんだろうに。」
「私も、彼の気持ちも考えずに、なんてバカなことを言っちゃったのかしらって後悔したわ。その気持ちは今でも変わらないけれど・・・そのせいで、これからもっと辛いことが待っているの。彼とはもうすぐ会えるのに・・・私の気持ちも、彼の気持ちも別れたあの日のまま・・・。運命って残酷だわ。」
言っていることがよく分からなくなり、ジェラールは首をかしげる。
「それは・・・つまりどういうことだい。」
「テオおじさまから、アルタクティスのことは聞いたでしょう。」
「ああ、君達が担う運命とやらは、少しね。」
「彼は、私と同じアルタクティスの一人よ。私達はそれを知らないままその運命によって出会い、再会しただけ。」
「なんと、そうなのか ⁉ 」
「彼が、私を受け入れることができないまま一緒にいれば、それだけ叶わぬ想いが募って辛いわ・・・。」
「確かに・・・残酷だ。彼がアイアスで、男である以上、君と一緒になる覚悟を決めるのは至難だろうな。君が本心から、その能力を捨てても構わないと言ったとしてもね。アイアスとは、そういう男だ。だが君の話では、彼はそれ以上の男のようだな。」
ここへ来るまでの数か月間、彼女と共に旅をしてきたジェラールは、彼女の胸の内は、実はずっと不安と切なさでいっぱいだったのだと、今悟った。鈍い男だ・・・と、ジェラールは自分に呆れた。
「ともあれ、その仲間の一人がアイアスであるとは驚きだ。私は、詳しいことは何も聞いてはいなかった。私も、アイアスは伝説と噂でしか知らないんだ。過去にガザンベルクが雇った傭兵の中に何人かはいたらしいが、彼らは短期契約で特別任務を与えられた精鋭部隊を任されていたらしく、残念ながらお目にかかれる機会はなかった。彼に会えるのが楽しみだよ。」
「あらそう、意地悪ね。私がこんなに苦しんでいるのに。」
「だから、それも楽しみなんだ。君が、こんなに苦しむほど愛した相手だからね。相当いい男だそうだし。」
「そんなふうには言ってないじゃない。」
「同様のことを、さっきから言い続けている。」
イヴが照れ臭そうに顔を赤くすると、ジェラールはニヤッと微笑んだ。
木々の枝葉の隙間から弱い光が射し込むだけの薄暗い道を、二人は馬の背に揺られながら悠長に進んでいた。間もなく夜が訪れようとしているが、この森を抜ければ村があるはずなので、あわてることはない。
やがて、今度はジェラールがしみじみと語りだした。
「レッドか・・・。10年以上も昔の話だが、同じ名の少年と出会ったことがあったな。あの子もとても正義感が強く、子供にしては強靭な体と精神を兼ね備えた男の子だった。将来はそれこそアイアスにもなれるだろうが・・・一流の戦士どころか、ひょっとすると、一流の盗賊になっている可能性の方が高いかもな。」
「どういうことなの。」
「いろいろあってね。話せば長くなる。」
そうジェラールが返事をし終えた時 —— 。
二人の行く手から、何か異常な騒音が響いてきた。
それは、悲鳴と破壊の轟音・・・!
「これは・・・。」
驚いたジェラールは馬腹を強く蹴ると、イヴに構わず馬を飛ばした。不慣れながら、イヴも騎乗している若い馬を急がせた。
森を抜ければ、いっきに視界が開ける場所に出る。
そこで愕然と手綱を引いて馬を止めた二人。
正面に広がる田畑のその向こう、そこでは目も当てられない恐ろしいことが起こっていた。
武装した兵士達に、女性と子供達が次々と斬りつけられているのである。男達は取り押さえられ、軍隊と逃げ惑う村人達が入り乱れて大混乱に陥っている。
「やはり、村が襲撃を・・・⁉」
ジェラールの表情がみるみる険しくなる。
「酷い・・・なんてこと・・・。」
イヴの方はたまらず顔を背けた。
「奴らめ、女、子供までも情け容赦なく・・・許せん!」
だが気のせいか・・・一部で、逃げ惑っているのは、ひょっとして軍隊の方では・・・と思う奇妙な光景が。
とにかく、この非常時にほかに気をとられている場合ではない。
ジェラールは馬が通れる畑のあぜ道を見極めると、「イヴ、ここで待っていなさい!」と叫んで、その大虐殺が行われている渦中へ猛然と向かって行った。




