悪戯少年の熱意
レッドが少年を捕まえるのは造作もないことだ。背後から襟首をぐいっと引っ張って楽々取り押さえると、次は両足首をつかんで逆さの宙ぶらりんにしてやったのである。
「返すか?」
「うわぁっ、ごめんなさい!」
「返すんだな?」
少年は、その状態で首を何度も動かしてみせた。逆さまなので分かり辛いが、一応頷いているようだ。
レッドは少年を下ろしてやり、掌を見せた。
「さあ、返してくれ。」
相手が悪かったことに気づいた少年は、あっさりと観念して視線を上げ、さきほどは夕映えのせいで見え辛かったその人の顔・・・つまりレッドの顔を、ここでよくよく間近に見た。
レッドの赤い布は、まだ少年の手にある。
よって、たいていの者がそうなるように、少年の表情もまた急変した。
顔に痣が・・・額に鷲の刺青・・・。
「アイアス ⁉ お兄ちゃん、アイアスなんだ!凄いや!」
大きく見開かれた双眸、同時にあんぐりと開いた口。子供らしいストレートな驚き方で少年は叫んだ。
「そうか。」
早く紋章を隠したいレッドの方はいい加減に受け答えた。
「俺さ、大きくなったらユダに行くんだ!剣術を覚えて、俺もアイアスになるんだ!」
「そんな悪戯かましてちゃあ無理だ。だから、早く返してくれ。」
「ねえ、お兄ちゃん、剣術教えてよ!俺、仲間がいっぱいいるんだよ!みんなアイアスになりたがってるんだ!だから、教えてやってよ!いいなあ、カッコいいなあ!俺、ぜったいアイアスになってやる!」
「なあ、おい、とりあえず返してくれないか。あと、頼むから落ち着いてくれ。声がデカい。」
レッドは、更に手を突き出した。額を隠したい思いも然ることながら、その少年を黙らせたくて仕方がなかった。
ところが、素直に返してくれるかと思いきやクルッと背中を向けられ、また風のように逃げられてしまったのである。
「剣術教えてよ!そしたら返すよ!」
「あ、待て、返せったら!くそっ。」
再び少年を追って、レッドはそのまま、ある一軒の家に飛び込んで行った。
「お母さん、お姉ちゃん、来て!アイアスだよ!アイアスの戦士が来たよ!」
少年がそう叫びながら帰宅すると、隣の部屋のドアがバタンと開いて、ムッとした顔つきの少女が出てきた。
「トヴィ、あんたまたそんな大嘘ついて!いい加減に・・・え、うそ。」
少女は驚いて口に手を当てた。理由は少年、つまり弟のトヴィと同じだ。
「なんだい、騒がしいね。」
今度は、台所からややふくよかな婦人が木杓子をもったまま現れた。そして、レッドを見ると目を丸くして口を閉じた。
「まあ・・・こんなに若い人もいるんだねえ・・・。」
「あ、失礼、すぐに出て行きますから。それを・・・返してもらったら。」
レッドはその母親に助けを求めるべく、さっきトヴィと呼ばれた少年の手元を、訴えるように指差してみせる。
「トヴィ!あんた、またやったのかい!ほら、早くお返ししなさい!」
「ダメだよ、俺、このお兄ちゃんに剣術を教えてもらうんだ!アイアスに教えてもらって、アイアスになるんだ!」
「まったくあんたは、いつまでそんな無茶な夢を見てるつもりだいっ。」
「無茶じゃない!」
レッドは思わず、ふっと笑みを零した。
アイアスに教えてもらって、アイアスに・・・俺のことだな。
これに冷静さを取り戻したレッドは、次第に少年の熱意に打たれ始めた。
「聞くが・・・。」と、レッドは親子喧嘩に口を挟んだ。「アイアスに、何を思う。」
その口調は、どこか厳しい。
しかしトヴィは、堂々と胸を張って答えた。
「アイアスは、戦士の鑑なんだ。戦士の中の戦士、大陸最強。俺は誰にも負けない男になりたいんだ。」
「ただ強くなりたいだけか?」
「違うよ!俺は強くなって、この村の用心棒になるんだ。俺達みんなで、この村を守っていくんだ。ここには俺の大切な人がいっぱいいるから、だから戦争に巻き込まれて、めちゃめちゃにされてたまるかよ!」
合格。レッドは精悍な笑みを返した。
「いい心意気だ。その気持ちを忘れずにいれば、アイアスになれるぜ。」
「ほんとに!」
「言っておくが、アイアスは強いだけじゃあなれない。正義感も問われる。それに、忠誠心や度胸。だから、その気持ちをいつまでも持っていろ。もっとも一番肝心なのは、やはり戦う能力とセンスだがな。」
レッドは手のひらを差し出した。
手元に視線を落としたトヴィは、名残惜し気に一度だけその赤い布を握り締めた。
そのままレッドは、ただ黙って自主的に返されるのを待つ。
そしてトヴィは、レッドが一番の宝としている恩人の形見を、ようやくその手中に返した。
「トヴィ、俺はな、故郷を守れなかったんだ。その頃、俺はお前と同じくらいのガキだった。だから、その気持ち分かるぜ。けどな、この村を守りたいなら、アイアスになることじゃなく、アイアスほどの男になることを目指せ。」
早速頭に腕を回し、今やっと取り戻したそれを額に結び直してレッドは言った。
「じゃあ、剣を教えてくれるの!」
「あいにく時間がない。ごめんな、友達を待たせてるんだ。」
その時、レッドが背中を向けている玄関口から聞き慣れた声がした。
「ちょっとくらい、教えてやったら?」
リューイだ。
リューイは腕を組んで、開けっ放しにしていた玄関戸に凭れていた。
「お前を追ってきたんだ。」
「どこから聞いてた。」
レッドは肩越しに問う。
「お前が、自慢話をしてるところくらいからかな。」
「自慢話・・・ああ、そういうことになるか。」
リューイを見ると、婦人も快く中へ手招きながら、「これも何かの縁でしょう。よかったら、夕飯食べて行ってちょうだいな。お友達も一緒に。主人も喜ぶわ。若い頃は戦士に憧れていたそうだから。」と言って大笑い。
今はそれがよほど似合わない体型にまで崩れてしまったらしい・・・と、レッドは悟った。
一方、招かれるままに入って来たリューイは、手を打ち鳴らして子供のように喜んでいる。
「やった、おばさん、ありがとう!」
「リューイ・・・。」と、それを嗜めるレッド。
ありがたいことだが、迷惑をかけることになる。そう思い、レッドは婦人に向き直ってこう言った。
「いや、ほかに五人も仲間がいるから。足りなくなると思います。食料の備えは充分にしてありますから。」
「大丈夫よ、鍋料理だから、今からいくらでも増やせるわ。畑はそこにあるんですから。ほら、遠慮しないで呼んでらっしゃい。出来上がるまで、そのバカ息子の話し相手にでもなってあげてちょうだいな。ほんとに聞き分けの無い子でね、いつもこんな調子なのよ。」
「私も話を聞きたいわ。」と言って、トヴィの姉もテーブルの席についた。
バカ息子と言われて口をねじ曲げたトヴィも、ここぞとばかりにレッドの腕に腕を絡ませて、半ば強引にテーブルへ誘導する。
本当のところはアイアスについての質問攻めには参ってしまうレッドも、仕方なくこれ以上は拒むことができずに頷いた。これまでにも、こういう少年達に気づかれてしまった時には、きまって同じような反応や待遇を受けてきたのである。戦場では別として、普段の生活の中で人に羨ましがられたり、尊敬されたりということが苦手なのに。
レッドは内心ため息をつきながら手を引かれていき、リューイは背中を返した。
「じゃあ俺、皆を呼んでくる。」
ところが、リューイは駆け出すことなく足を止める。
悲鳴だ・・・!
そして雄叫びと、破壊の轟音。
突然、それらの恐ろしい音が一緒くたとなって沸き起こったのである。




