狙われる村
夕方になり、一行はようやく、もう一つ先のマーレという村に入ることができた。少なくなっていた水袋や水筒の水は、ここへ来るまでにとった休憩場所で一度全員が喉に通し、そしてついさっき、わずかな残りをミーアが一人で飲み干して、すっかり空になっていた。
四角錐の瓦屋根の家が付かず離れず集まった、平和そうな村だった。黄金色に染まった風景に、家々からは夕飯の美味しそうな手料理の臭いが漂っている。大人達はもう畑仕事を終えている様子だったが、子供達はまだ遊び足りないのか、いつまでも楽しそうに駆け回っていた。
一行がそんな村の中を進んでいくと広場のような所があり、そこに集まった男達が、何やら輪になって話しをしているのが見えてきた。
彼らは、村会議の最中らしい。
「ルデリの村が、今朝やられた。」
「女、子供を皆殺しだそうだ。」
「なんて酷いことしやがる・・・。」
「とうとう、こんな離れ村にまで・・・。」
「奴ら、根絶やしにするつもりか。」
「くそ、バルデロスの奴らめ。」
「明日はこの村かもしれぬ。今夜中にひとまず避難を。みなの者にすぐに知らせておくれ。すでに村を移ったように見せかけるのじゃあ。」
「では、早速準備を促します。」
一行は、そばに石造りの井戸があるのに気付いていたので、少し離れた所からしばらくその様子をうかがっていたが、いつまで待っても誰も気付いてくれそうにない・・・。
そこで、エミリオが折りをみてそっと声をかけた。四十代半ばほどの男性がニ、三人立ち上がったところだった。
「すみません・・・旅の者ですが。」
深刻な会議のあとで不意に声をかけられたため、その場は一瞬静まりかえった。
一斉に首を向ける男達。
そして誰もが、幾らか驚いた表情を浮かべた。
不思議な集団に見えた。みな、人目を引く容貌や姿態だが、声をかけてきた長身の青年などは息を呑むほどの美貌で、その隣にいる、これまた気品ある顔立ちの男性は、立派な首輪をつけた大きな鷹を肩にとまらせているのである。それに、亜麻色の髪の美女と、医療バッグと思しきカバンを肩に掛けている少年・・・医者にしては若すぎる。それから、金髪碧眼のたくましい美青年と、いかにも腕のたちそうな精悍な若者。そして、その中の誰の子供とも兄妹姉妹とも思えない、そんな彼らにとってつけたような愛らしい少女だ。
だが何より奇異なのは、まるで犬を連れるかのように放し飼いにされている黒豹である。
「き、君達、その黒豹は・・・。」
一人の男性が、訝しげに怯えながら問うた。
すぐにギルが、「我々は旅芸人です。このキースは、実に飼い慣らされた同じ仲間です。」と、これまで幾度となくついてきた曖昧な嘘をさらりと口にし、「さあ、リューイ。」と合図を送った。
うなずいてキースの傍らにしゃがみ込んだリューイは、「皆お前の姿がおっかないんだってさ。」と言って、その森の相棒の頭を撫で、鋭い口元へ顔を寄せていく。
するとキースは、長い舌を突き出してリューイの頬をペロペロと嘗めたのである。さらには、それを見たミーアが勢いよくキースの首に抱きついていった。村人の中には驚いて思わず悲鳴を上げたり顔を背ける者もいたが、これはミーアがいつもキースにやること。普段、キースはミーアの遊び相手だ。襲うどころか、ミーアが危ない目に遭おうものならいち早く動いて助けようとする。なにしろ、キースの眼には、リューイに見られる崇高な光と同じものが、ミーアの体にもしっかりと見ることができるのだから。
そうしてキースは、賢く愛想よく愛嬌を振り撒いて、マーレの村人たちに安全性をアピールしてみせたのだった。
しかし、彼らのほとんどが腰に剣を帯びているし、とてもそうには見えない集団に、村人達は顔を見合う。
だがとりあえず、キースが恐れるものでないということは一応理解できたようで、最後は互いにうなずき合っていた。
「ああ、すまんね・・・それで何か。」
灰色の顎鬚を生やした村長らしき老人が、口を開いた。
「もしよければ、水を分けていただきたいのですが。」
エミリオは遠慮がちに頼んだ。
「ああ、それなら、そこの井戸を使いなさい。」
老人は節くれ立った手を上げて、そちらを指差してみせる。
「存分に汲みなされ。お疲れでしょう。」
「ありがとうございます。大変、助かります。」
エミリオが丁寧に礼を言い、一行はそろってお辞儀をした。
だが、一行が背中を向けようとすると、「旅のお方・・・。」と、暗い声で呼び止められた。
すると老人は、ますます重い口調でこう付け加えたのである。
「芸で糧を得るなら、もっと安全な土地へ行きなされ。この国では、もう戦が始まっておる。悪いことは言わん。それが済んだら、すぐに出て行かれるがよろしい。」
戦が始まって・・・その言葉に、エミリオの胸は締めつけられた。
エミリオは瞳を翳らせて、「・・・ええ。」とだけ答えた。
一行は順番に井戸の水を飲み、水袋や水筒を補給し、その井戸から少し離れた木陰に座って休憩を取ることに。
最後はレッドだった。
ほかの者は座って話し込んでいる。
ふと目を向けると、家から家へと忙しそうに歩き回っている男性の姿がある。玄関先で少し話し、そしてまた別の家へと、近い所から順番に移っていくのだった。
額から布を外して、レッドはまず顔を洗った。その時、ふと向かいに馴染みのない気配を感じたが気にはしなかった。
無造作に着衣で顔を拭いたレッドは、それからよく見もしないで井戸の蓋に手を伸ばした・・・が、手を伸ばしたままピタリと止めた。
半開きにした井戸の蓋の上、ついさっき確かにそこに置いたはずのものが、すっかり消えているのである。
馴染みのない気配は、今は後ろから感じられる。さっき回り込まれたことも分かっていたレッドは、まさかと思い振り向いた。
それと同時に、こんな典型的な悪戯小僧の声も上がった。
「こっちだよー。」
予感は的中。そこには推定10歳ほどの村の少年がいて、頭上に突き上げているものを、ぶんぶんクルクルと乱暴に振り回している。レッドが一番の宝としているものを。そして、レッドが唖然と見ているあいだに少年は逃走した。
にやにや笑いを浮かべながら。
「この悪ガキめ。」
レッドは舌打ちし、コラッと発してすぐにその悪戯小僧を追いかけていった。
「おい、レッド。」と、リューイ。
「その家の裏へ回ったようだぞ。」
ギルが言った。
「俺、見てくるよ。」
リューイは腰を上げた。




