戦闘術
一方、ようやく解放されたレッドは、体を起こして、まだ辛そうに肩で息をしていた。
リューイは衝動的に背中を支えてやり、顔を覗き込む。
「大丈夫か。」
「あ・・・ああ。」
そう頷いてみせたレッドだが、視線は下方の一点に向けられたまま、動揺を隠しきれない様子でいた。自分の身に今起こったばかりのことが信じられない、といった表情だ。
そんな中・・・更なる危険がひたひたと忍び寄ってきていた。
だが、それをすぐに感じ取ることができたのは、カイルだけである。少年の穏やかな微笑みが、にわかに緊張の色を帯びる。
「来る・・・。」と、小声でカイルは呟いた。
すると、今まで夕焼けに赤く染まっていたというのに、夜が迫るのとは比べものにならない速さで、辺りが急速に暗くなり始めた。この時になって、レッドもリューイもようやくカイルの異変に気付いた。
「今度は何だってんだ。」
問い質すような強い口調で、レッドがきいた。
だがそれに答えている暇などなかった。カイルは、「とにかく・・・。」と言ったあと、驚くほどの速さでまた何か呪文を挙げ連ね、右腕を速やかに動かした。だが最後にサッと薙ぎ払ったその時、レッドの目の前に、いや周りに張り巡らされたのは、なんと突如現れた白い微粒子の壁。
レッドは両肩をびくっと動かし、隣にいるリューイも弾かれたように身を引いた。だが何よりも、直後に得体の知れない黒い塊が空から突進してきたこと、それが勢いよくその壁にぶつかって、何か鈍い衝突音をたてたことに仰天した。
その黒い塊は、今や視界の悪い暗がりの中では見分けにくいが、その中で、二つの赤い点と、辛うじて羽のようなものが見て取れた。だが鳥にしては異常なサイズで、とにかく巨大なのである。
それは身を翻して豪快に舞い上がり、彼らの頭上で旋回を始めた。カイルの指示によって、精霊たちが築いた壁がぐるりと取り囲んでいるために、襲いかかることができないのだ。
「なんだ、なんなんだ今のは !?」
レッドがわめいた。こんなに気が動転したのは何年ぶりか。
「魔物・・・誰かが呼んだんだ。」
カイルは真剣そのものの硬い表情で、これに答えた。だが、誰か・・・とそう言ったものの、正直なところ全く心当たりがないでもない。
「ま、魔物⁉ 本物の化け物か!」
「正確には精霊たちがより集まった仮の姿か、その力の及んだ自然物質で形成されたもの。でも、これはたぶん後者だ。形成物質は・・・砂。」
「それで、何のために。」と、リューイ。
「それは・・・。」
カイルは口籠もった。
だが二人が問い詰めることはなかった。眉間にきつく皺を寄せて頭上に目を凝らしているその表情は、二人に、もう話しかけてはならないと咄嗟に判断させたのである。
手を頭上にかざし、腕を滑らかに動かし、ゴーサインとして勢いよく薙ぎ払い・・・手や腕の様々な動きと呪文で精霊たちを戦わせる術・・・戦闘術。その方法は多岐に渡り、それをどのように駆使するかによって勝敗は決まる。
この時のレッドやリューイは不安で仕方がなかったが、その戦法においても、カイルは実は天才的な腕を持っている。しかし、呪力においては敵の方がうわ手で、そのことをカイルも肌で実感していた。もしかすると、相手は一人ではないかもしれない。苦戦を強いられることになるだろうと。
レッドとリューイは、深刻な表情で黙り込んだ。だが、それだけが理由ではなかった。何か尋常でない異様な気配が近付いてきているのが、もうカイルだけでなく、この二人にも感じられる気がするのである。ほかにも何かが起こる・・・そんな直感を。
魔物は力強い旋回を続けている。
霊の気配は分からなくても、召喚された精霊の姿や、それによって起こる現象ならば、普通の人間にも見ることができる。普段は、精霊たちの方が単に姿を隠しているだけなのだろう。よって、砂でできているらしい魔物の、風をきる唸り音だって聞こえている。
カイルはその音を、魔物を目で追っていた。
すると、魔物が違う動きをみせた。再び体当たりを仕掛けようと。
カイルの張った一種の結界もまた、攻撃を受けるたびに、何か悲鳴のようにも聞こえる微かな音を上げた。それは、精霊たちが体を張って作ってくれる防御壁。命令すれば、このように頭上を覆うシェルターにもなってくれる。しかしこの、精霊たちがただやられるだけの心苦しい結界の術が、カイルは嫌いだった・・・が、仕方がない。
さらに増していく暗闇の中で、レッドはあわててミーアを探した。一瞬いないように思われてドキッとしたのは、この少女がまだ幼く、小柄だというだけではなかった。その場にうずくまっていたのだ。
「ミーア・・・。」
レッドは思わず偽名で呼ぶのを忘れてしまったが、それをカイルに聞かれることはなかった。カイルは今、一つのことにとらわれていて、ほかに意識を向けられる余裕などないからだ。
立ち上がったレッドは、少女のか細い腕をつかんで、そっと引き寄せた。ミーアは、砂地に膝をつけたレッドの腰に、無言でしがみついた。まだ四歳の小さな背中や頭を抱き締めると、恐怖で震えているのが伝わってくる。泣きもわめきもしないが、そうとう怖い思いをしているに違いない。そう思うと、レッドの胸に、どうにもしてやれないもどかしさと悔しさがこみあげた。戦える力をつけたはずの今、こんなにも無力を痛感させられることがあるなど・・・。
防御の壁は、それからというもの小刻みに軋み続けている。魔物が執拗な体当たりを繰り返し始めたからだ。そのせいで、結界の壁は、最初に見た時より薄くなっている気がした。外側から力尽きて、剥がれ落ちてゆくような。
実際、壁を作り上げている精霊たちは、徐々に衰弱していた。