勇者から譲り受けたもの
そして亡霊たちは、陰の将軍とその部下たちの存在も忘れてはいなかった。悪党側だと判断した彼らを憎らしそうに見つめ、次はどう懲らしめてやろうかと考えながら、男たちのわきをビュンビュンとすり抜けている。
今は、カイルがここにいる同じ精霊たちに呼びかけたので、それらが、とりあえずはより強い呪力を持つカイルの言うことをきいている。だが、亡霊たちがまた何か始めれば、再びそちらに従いだすようになるのも時間の問題だった。
「彼らはまだ興奮してる。落ち着かせなきゃあ・・・。」
カイルはすぐに、今度は黄泉の呪文を唱え始めた。
その黒髪の少年は、多くの亡霊たちに取り巻かれていた。だが亡霊たちは、嫌悪感をもってではなく不思議そうに、精霊を操る少年を見つめている。
カイルは亡霊たちの注意を引き、心を穏やかにするための呪文を唱えようとした。しかし、長くは続けなかった。亡霊たちに近くまで寄ってこられたことで、肌で何かを感じ取ったのである。そして、一度呪術を終えた。それから彼ら、つまり亡霊たちと面と向かい合うと、その表情を見て確信した。
「この人たち・・・悪い亡霊じゃないよ。」
「そうだとしても、まだ放してもらえないんだがな・・・。」と、ギルの声がした。
ほかの仲間たちも同様、まだ腕や足に黒いものが絡み付いたままになっている。
カイルは亡霊たちに向き直った。
それらはカイルに好意を持ち、何かを伝えようと口を開ける。だがこの日に限って、カイルはそれをすんなりと読み取ることができなかった。それには理由があった。古い時代のその亡霊たちはみな、当時、尊敬語や謙譲語を立場上普通に使っていた者ばかり。そのような霊とは会話を楽しんだことのなかったカイルが悩むのは、そのためだった。
それをそばで見ていたエミリオが、この歩き辛い黒い水槽の中を一歩、また一歩と移動してきて、カイルの傍らに立った。
皇子として皇宮にいた頃、幽霊たちに気に入られて時どき話だけはしていたことで、エミリオはいつの間にか読唇術をマスターしていたのである。そのうえ堅苦しい言葉を日常的に聞いていた。
もう一度ゆっくりと話してくれるよう、エミリオは亡霊たちに頼んだ。
亡霊たちも快く了解した。
「我ラノ 主ハ 居ルノカ・・・。」
エミリオが代弁する。そして、まずはそのまま声に出した。
「我らの主はいるのか・・・。」と。
と同時に、ハッとカイルに目を向けた。思わず早口で言い直しながら。
「私たちの主人はいるのか。」
たちまちにして悟ったエミリオと、この時目を見合ったカイルの面上に、同じ閃きがよぎった。この場所にどうやって入ることができたかを思えば、それに気づくのは容易いことだ。
カイルは、アランを見た。
「アラン様、ブレスレットを見せて!」
「え・・・見せるって・・・君に?」
いきなりのことで、アランは戸惑っている。
「違うっ、いいから、袖を捲くって腕を上げて!彼らはそれを知りたがってるんだ!」
訳が分からないものの、アランは言われた通りにした。
そのとたん、一斉にカイルのもとを離れた亡霊たち。その全てが、今度は、アランのそばを回り始めたのである。
カイルとエミリオも、川の流れに逆らうような動きで、アランのもとへ向かった。
そこで見ることのできたものは、アランとブレスレットを交互に眺めながら、驚くほど安堵感に満ちた表情を浮かべている亡霊たちの姿である。
「オオ・・・誠ノ 継承者ヨ・・・遂ニ オイデクダサッタ・・・。」
「本当の継承者がやっと来てくれたって・・・。」と、エミリオは通訳して笑みを浮かべた。
カイルは、亡霊たちにあえて問いかけてみる。
「あなた達は、誰?」と。
「我ラハ ココニ 剣ヲ 収メタ 家来。我ラハ 待ッテイタ。」
「私たちは、ここに剣を収めた家来だと・・・そして、待っていたと言っている。」
この程度ならカイルにも分かるが、アランのため、そして何が起きているのかを知りたがっている仲間たちのために、エミリオは代弁を続けた。
カイルには、彼らはモルドドゥーロ大公国の君主に仕えた家来だという予感はあったが、この返事にはエミリオと顔を見合い、それから共に祭壇を振り返った。
「あの剣には何が?」
視線をそのままに、今度はエミリオがたずねた。
「アレハ 勇者カラ 譲リ受ケタモノ。ダガ 争イヲ 招クモノ。」
「シカシ 国ノ宝トナルモノ。ココニ アルベキデハ ナイ。」
「時代ハ 変ワル。迎エニ来ル 真ノ後継者ヲ 我ラハ 待ッテイタ。」
また別の亡霊たちも、口々にそう答えた。
「あの剣は勇者から譲り受けたものであり、だが争いを招くものだと。しかし本来はここにあるべきものではなく、国の宝となるものだと。そして、最後にこう言われた。時代は変わる。迎えに来る真の後継者を、我らは待っていた・・・と。」
それを聞いたアランが何か感極まった表情をしているのを見て、エミリオは微笑み、虚空に手のひらを向けてみせた。
促されてそこに向き直ったアランは、ブレスレットを嵌めている左手を胸に当てた。ゆったりとした袖が自然と肘の辺りまで下りてきて、それはまた露になった。アランは、かつての君主に仕え、天にも昇らず、ここでただ国宝となるべきものを守り続けた忠実なる者たちに敬意を込めて、深々とお辞儀をした。
それを見届けると、カイルは亡霊たちの方へ穏やかに話しかける。
「では・・・もう行かれますか?道は分かりますか?僕が案内しましょうか?」
「君ハ 神ニ 仕エル 者カ?」
これを聞いたエミリオは微笑した。
「君は神に仕える者か・・・って。」
「うん。僕にも分かった。」
カイルはそううなずくと、ただそっと微笑んでみせた。それから静かに目を閉じ、例によって右手を額の辺りへもっていく。それは、彼らを黄泉へと導くための準備。続いて、その案内人(精霊)たちを呼び寄せる呪文が流れだした。とても穏やかな優しい声が、何にも遮られることなく。
亡霊たちには、その時、道が見えた・・・。
彼らは一つとなって高く高く昇っていき、エミリオが見送る中、やがて天井を突き抜けて去って行った。
黒い液体も、それにつれて薄れながら消滅した。
こうして、この火山神殿は間もなく、何事も無かったかのような元の美しさを取り戻したのだった。




