霊のしわざ
捻った捨て台詞とも思えないそれを怪訝に思いながら、レッドは血に濡れずに済んだ二本の剣をそのまま鞘に収め、ズボンのポケットに押し込んでいた布を額に結び直した。
そうすると、レッドには、盗賊どもがカイルだけを欲しがったことがまた気になり始めた。
「どういうことだ・・・。」と、レッドは顔をしかめた。
その時。
「なっ・・・⁉」
短い悲鳴を上げたレッドの体が、どうしたのかと目を向けたリューイの見ている前で、いきなり引き摺られるようにして後ろへ倒れたのである。ただ倒れたのではない。そのまま大の字で砂地に寝転がったのだ。だが引き摺られるようにといっても、レッドのそばにはもはやリューイしかいなかった。少なくとも、この二人が見て分かる限りは・・・。
驚いたリューイは、そんな訳の分からないレッドを見つめ、レッドは困惑して自身の胸の上辺りを睨みつけていた。何かがそこにのしかかっているように・・・いや、体中にだ! 全身に物凄い重圧を感じて、動けない・・・!
そのうち、レッドの左手がゆっくりと動いて、腕のベルトに仕込んであるナイフを引き抜いた。それだけではない。その折りたたみ式ナイフは、サッと腕を動かすだけで伸ばすことができる。レッドもアッと思った一瞬、上下に腕が動いたその時、それはカチンという音をたてて真っ直ぐに伸びたのである。さらに、その手は意に反して徐々に動いていき、喉もとに切っ先を向けて止まった。細くて鋭利なナイフがわなわなと震えている。
「おい冗談だろ!」
そう怒鳴ると、リューイはあわててレッドの手首をひっつかんだ。
実際レッドは、自分のしていることに対して、できる限りの抵抗をしようと必死になっていた。どうあがいても体の自由が利かない・・・!
傍らでは、リューイも懸命にレッドの腕を握り締めている。リューイは、化け物じみた怪力の持ち主だ。だがどうしても、レッドのその手をなかなか引き離すことができない。
「誰かに・・・つかまれてる。」
レッドが呻き声で言った。
「誰かって・・・俺? おい、しっかりしろよっ。」
「俺はまともだ!」
レッドは苦しそうにわめいたあと、戸惑いも露につぶやいた。
「・・・くそ、なんだこれ。」
二人がそうこうしていると、カイルとミーアが戻って来るのが見えた。
「やだリューイ、レッドに何すんのよおっ!」と、すっかり勘違いしたミーアがリューイの背中に飛びついた。
「押すな、刺さる! レッドが自殺しようとしてるんだって!」
「違うっ。」とレッドはがなり、そばに寄ってきたカイルを見た。
すると、狐につままれたような顔でもするかと思いきや、カイルはいやに冷静な声で言ったのである。
「霊の仕業さ。」と。
「霊だ⁉」
レッドだけでなくリューイも一緒にきき返した。
「うん。両手両足と胴体、それにリューイの隣にもいるよ。」
カイルは、レッドの体よりも少し上辺りを見ている。
リューイは、思わず自分の右隣に目を向けた。
「腕がやけに重いのは・・・そのせいか?」
カイルはうなずいた。そして、虚空に向かっていきなり頭を下げたのである。
「あのう・・・その人を放してくれませんか。お願いします。」
唖然として、レッドとリューイはカイルを見つめた。
それでもリューイは、大きなため息をついて眉をひそめたカイルに、「何だって?」と問うていた。
だがリューイには、自分のその質問が異様に思えた。自分にとっては見えないものは空気も同じ。いない相手のことに「何だって?」ときくのはおかしな感じがしてならない。
カイルは首を左右に振ってみせた。
「ダメだ。耳を貸そうともしないよ。誰かに操られてるみたいだ。」
「とにかく、どうにかできるのか?できないのか?」
レッドのその声は、まるで首を絞められているよう。胸が圧迫されて、呼吸がし辛いからだ。レッドは息苦しそうに喘ぎながら、どんなヤツだか知らないが胴体にいるのはずいぶん重い・・・と声にせず文句を言い、ほとんど視線だけを動かして胸の上を睨みつけた。
「簡単にいくか分からないけど・・・。」
そう答えると、カイルは右手を額の上辺りへ持っていく。それから目を閉じて何やら呪文を唱え始めたが、その声はレッドやリューイが聞き慣れているものとはうって変わり、驚くほど渋い低音になった。
そのまま二人がただ見ていると、今度はもう片腕もゆっくりと動き始めた。
両腕を滑らかに動かして呪文を一心に唱え続けるそのさまは、しばらく続いた。
その間レッドはなおも自分に抵抗し、リューイもそれに力を貸してやっている。
カイルは次第に早口になっていく。深みのある声は空気を揺さぶるように響き渡っていて、それを聞き続けているうち、リューイも、何か今ここに超自然の力が働いているような・・・そんな感覚に見舞われた。だがしかし、筋骨逞しいレッドのその左腕は、固く強張ったままなかなか軽くはならない。
妙な緊張感が続く中、リューイは突然、「うわっ。」と叫びながらあわてて身を引いた。レッドの左手のナイフが、急にビュンと跳ね上がったからだ。危うく顔面を切り裂かれるところだった。
そしてレッドは、驚いたように自身のその手を見つめている。
カイルの声が、そこで止まった。
ゆっくりと瞼を上げたカイルは、また虚空・・・いや、霊たちに微笑みかけると、言った。
「もう大丈夫。さあ、自由になれるよ。」
今度はよそよそしく丁寧な言葉ではなく、ミーアに薬を飲ませた時のような親しみのこもった口調だ。相手はもともと生きた人間なのだから、その笑顔や口ぶりには、強情なミーアに上手く言うことを聞かせてみせたのと同じ効果があるのだろう・・・そう、レッドは考えた。それで、もう抵抗せずにおとなしく待っていると、今度は右腕が急に楽になった。だがまだ、ほかをつかまれている。レッドは、調子よくこのまま自由になれるものと思い、じっとしていた。
しかし力は緩まったものの、なかなか離れてはくれないそれらはみな、今まで何をしていたんだろう・・・という不可解そうな顔。もはや生身ではないとはいえ、生きた人間と同じように操られていた間の記憶がないらしい。
「どうしたの?ほら、ついて行って。」
そんな霊たちにたいした説明もなく、カイルはただ穏やかに促すだけ。
それでも右足、次は左、そして最後は、そうとう苦しめられた胴体。どうも訳が分からない様子ながら、それらの霊は素直に従い、レッドの体から離れていった。
先導しているのは黄泉への案内人、霊魂を導く精霊たちである。
カイルの視線は徐々に上へとあがっていく。そうして優しい笑みを浮かべたまま、幾つもの魂がゆっくりと昇天するのを見送っていた。