ディオマルク王子、再び
「ギルベ・・・いや、ギルと、それにエミリオ、よくぞ参られた。歓迎するぞ。それにしても、ずいぶんと早くに気が向いてくれたものだな、ギル。しかし、余は嬉しいぞ。」
「いや、実は —― 。」
「ところで、あの美女とそのほかはどこにいる?」
せめてほかの者と言え・・・という気持ちで、ギルは呆れたため息をついた。
「あの、ディオマルク・・・王子、実はですね —― 。」
「さては祝言の報告でもしに来たか。そなた思いのほか、手も気も早い男 ―― 」
ギルは、たまりかねてディオマルクの両肩をむずとつかんだ。
「殿下・・・聞いてください。」
ディオマルクは、ぴたりと黙った。
「思いつめた顔だな。どうした、実は逆の報告か?フラれたのか。」
ギルはディオマルクの肩に手を置いたままで、口が達者と知っているその幼馴染みをジロリと睨みつける。
ディオマルクは、そんなギルの反応を逆に面白がるように苦笑した。
「すまぬ、つい性格でな。」
「知っているが・・・いいから、黙って聞いてくれ。」
ギルは、ドアのそばに控えている老人に聞こえない声でささやいた。
「承知した。で、何事だ。安心いたせ、次は真面目に聞くとしよう。」
ギルは息を吸い込み、「今日ここへは、実は頼み事があって来たのです。」と、やや語気を強めた。
「何でも申せ。できることは協力しよう。何しろ、昼間はナイルしか構ってくれる者がおらぬ。余は退屈でな。」
ギルは思いやられて、今度は大きく息を吐き出した。
「なんだ派手なため息などついて。あまりに困難なことなのか。」
「いや、そういうわけじゃあ・・・。」
ギルは次第に話を持ちかけるのが億劫になってしまい、相棒に任せることにした。話し相手が自分だと、またこの冗談好きから次々と悪気なく軽口が飛び出して、深刻な話を滑らかに進めることができなくなってしまいそうだ・・・と、思ったからである。
「エミリオ、説明してくれるか。」
エミリオは快く引き受けた。
「ディオマルク王太子殿下、我々が今日、再びここへ参りましたのは、帆船をお借りしたく懇願するためです。」
「帆船を・・・?」
ディオマルクは、首をかしげる思いできき返した。
エミリオはうなずいて、続けた。
「ここより南西の土地、インディグラーダ地方に、モルドドゥーロ大公国があるのはご存知ですね。」
「ああ。大きく取り上げられはしなかったようだが、無血降伏の国ということで、当時少し話題になっていた。数年前にどこぞの国の圧力を受け、国の資源ある土地を明け渡して無血で国民だけは守ったが、そのため、今は破綻寸前に陥っている哀れな国であろう。古い言い伝えの舞台で、本来 由緒正しき聖なる国ではあるがな。そなたら、その国と関わりを持ったのか。」
どこぞの国もなにも隣の国なんだが、なぜそっちは頭に留まらないのか・・・とギルはまた呆れた。
「ええ。私たちはその国で、病に侵されて苦しむ多くの人の、一刻の猶予もならない姿を目の当たりにしたのです。」
これを聞くと、さすがのディオマルクも眉をひそめた。そして、珍しく悲痛な声で言った。
「なるほど、あの少年名医がいれば、それは確かに放ってはおけぬ光景であろうな。ほかの仲間たちは、今はその対応に追われているというわけか。」
「しかし彼らを本当の意味で救うには、じゅうぶんな薬と、栄養のある食事と、清潔な家が必要です。そして、私たちは知ったのです。あの国が・・・」
エミリオの声の調子が、そこで意図的にか深まった。
「財宝の眠る島を、持っているということを。」
「なんと・・・。」
「しかし今は貧しい国のため、そこへ行ける船を持っておらず、それを造ることもできないのです。」
たちどころに理解がいったディオマルクは、頼もしい・・・というよりは楽しそうな笑顔になった。
「なるほど、それで余のもとへ参ったのか。よし、承知した。快く貸すといたそう。余は人助けは好みだ。」
弾む声で即了解したディオマルクに、ギルの嫌な予感は募った。それでギルは、ディオマルクがおかしなことを言いださないうちに、急いで言葉を続けた。さっさと話をつけてしまおうと。
「ありがとうございます、殿下。あと、船舶技師や航海士といったその帆船を動かすのに必要な人材のほかは、誰も要りませんので。」
「いやいや、オルフェ海の南の島々のどれかであろう?危険な海域であるぞ。海賊に襲われるかもしれぬ。」
「レッドやリューイがいるんだから、大丈夫だ。」
ギルは息混じりに鋭い声を出した。
「だが、宝を運び込むにも人手がいるだろう。その国の民が飢えているのでは、力のある働き手を何人も集めることも叶うまい。万全を期しておかねば。」
ディオマルクも声を小さくしたので、二人の会話はいつの間にかひそひそ話になっている。そばで見ているエミリオにはあとの展開が読め、これは言いくるめられるな・・・と思い、やれやれと苦笑した。
そして、ギルとディオマルクの間に、しばらく妙な沈黙が落ちた。
この間ギルは、まるで少年のような笑顔でいるディオマルクの目を覗き込んでいた。
「ディオマルク・・・分け前を期待しているわけではあるまい。」
「無論だ。宝などいらぬ。我らの国は裕福だ。ここに足りぬのは冒険だ。宝などいらぬが・・・。」
「が・・・?」
「余も参るぞ。」
「やっぱり・・・。」
「それが条件だ。」
ディオマルクは、ぴしゃりと言った。
エミリオが静かな声で口を挟んだ。
「殿下、ただその島ですが・・・実は呪われていると言われています。過去に、財宝のことを知らずにその島へ渡った者たちはみな、そのまま誰一人として帰っては来ないそうです。何があったのかは謎のままですが、命を賭けることになるかもしれません。もし王太子殿下の身に何か起こっては大変です。」
「なんと・・・しかし、あの少年も同行するのだろう?」
カイルのことである。彼が医師であると同時に精霊使いで、呪いを解く方法を知り、術を使えることを、ディオマルクも見ていて知っている。その時は、カイルにとっては簡単なことだったが、ディオマルクが今想像しているのも、その程度のものだ。
すると、扉のところにいたあの老人がいきなり動き出した。慌てた様子で王子の方へ近づいていく。
「殿下、お止めくだされっ。もう我儘は許しませんぞ。ファライア王女がお輿入れされた時もあんな危険なこと・・・もう、じいは・・・じいは・・・。」
老人はひどく不安そうに、しわがれた声を懸命に荒げてそう言った。
ディオマルクは、その年老いた従者の追いすがるような目を、参ったな・・・という顔で見下ろしている。
「分かった、分かった。しかし、島まで送りに行くなら、許してくれるな。」
「それなら・・・まあ、よいでしょう。ですが、陛下には何と申されるおつもりか。」
「考えておく。うまい知恵を授けてくれ。それが、そなたの仕事であろう。」
ディオマルクは老人を見て、悪戯っぽく微笑んだ。どこか憎めない表情だ。
「まったく・・・。」
老人の方は、やれやれと細い首を振ってみせる。
「では、出航の準備は先に進めておいてくれ。頼んだぞ。」
「かしこまりました・・・やれやれ、まったく・・・。」
老人はため息と共に首を揺らしながら、今度はやっとのことで扉を押し開け、退出して行った。
それを見届けてから、ギルは言った。
「あの御老体で、その扉を開け閉めさせるのは、酷というものだぞ。」
「鍛えられてよかろう。」
「もうそういう歳じゃないだろう。無理をさせればその前にいっちまう、いや、大事に至ることになるんだぞ。」
「まあそれは冗談だが、余が手を貸そうとすると、逆に叱られてしまうのだ。したいようにさせて、あのようなことになっている。どうにもならん。いっそのこと、扉を取っ払ってしまおうかと考えているところだ。本気ではないがな。」
ディオマルクは向き直ると、今度はうって変わり真面目な顔をした。
「ところでギルベルト、ファライアの婚儀の日、そなたに言われた通りにロベルト皇帝陛下に伝えたが・・・構わぬな。」
「そうか・・・。で、反応はどうだった。」
「言葉では言い及ばぬほどの動揺ぶりであった。」
「無理もないな・・・。」
ギルは、重苦しいため息をつきながら窓辺へ向かった。
その背中を目で追っていたディオマルクは、少し間をおいてから、「ギルベルト、だがな・・・。」と、静かに声をかけて、こう続けた。「陛下は、〝たくさんの仲間と楽しそうだったか・・・。〟と、余が伝えたことを最後にひとり繰り返して、そっと笑みを浮かべたのだ。驚くほど、しごく穏やかな微笑みをな。」
とはいえ、本当にそれだけを伝えたのでは、ただの不良となり下がったという印象を与えかねないと心配したディオマルクは、その仲間たちのこと、そして、帝位継承者がまさかの家出をするというギルベルトがとった行動は、単なる愚行ではなく、何か価値ある信念や深い事情のもとに決断したことのようだった、という説明をしっかりと加えている。
ギルは驚いたように振り返った。
ディオマルクは、信じられないといった様子のその目に、今度は冗談抜きの微笑を返した。




