先に行け
鍵を持っている男が、その一つをアーチ型の鉄の扉に差し込むのを、カイルは物陰からじっと見ていた。
考えてみれば、場所をしっかり確かめるのを忘れて仲間たちに教えてしまった・・・と、気づいたカイル。三つある鍵が、全てそこのものとは限らない。しかも、近くにはもっと高い塔もある。
《東の塔》というのを、勝手な想像で分かりやすいものとしていた自分を呪っているうちにも、男たちは扉を開けて中へ消えて行った。
少し時間を置いて、カイルも周りを気にしながらその入口へ近づいて行き、そっと扉を引き開けた。そして、間違いないかどうかを確かめようと、恐る恐る中へ入ってみた。ゆったりとした幅広の螺旋階段が、いちおう塔のそれらしく、上にも下にも伸びている。カイルが下に目を向けると、男たちが点けたと思われるランプの明かりが微かに見えた。
カイルも爪先を下へ向けて降りて行った。
ところが、外の光が届かない所までくると、足元の感覚が無くなった。そのせいで、ズルッと踏み外したそのまま、ニ段ほど転げ落ちる羽目に! 痛みも忘れるほどの焦りで、全身の血がさっと引いた。
しまった・・・!
悲鳴はこらえたが、その時にたてた物音は消しようがない。案の定、早くも駆け上がってくる靴音と、ランプの明かり。それを、カイルは何よりも肌で感じ取った。そこで澄ました顔で立ち上がり、上手い言い訳の一つでも都合よく思いつきさえすれば、こんな窮地でも切り抜けられたかもしれない。しかし、この時のカイルの頭には逃げることしかなかったため、擦りむいた腕で必死に体を押し上げたところで、一人に腕をつかみ取られて、あえなく御用となってしまった。
「ここで何をしている。」
男に厳しい声で問い質されたカイルは、「え、あの、なにも、その・・・。」と、普通に発した。
男たちは、一様に唖然と口を開けた。なにしろ、可愛らしい召使いの娘から出てきたその声は、若いが明らかに男性のものだったのだから。
「きさま、男か!曲者め!」
もう片腕も一緒に後ろへねじられたカイルは、顔面から手荒く壁に押し付けられた。
万事休すかという思いに打ち勝って、カイルは落ち着こうと必死になった。口は動かすことができる。不本意だが、呪術で逃げ切るべきか。だが賢明だとは言えなかった。口を塞がれてしまえばお仕舞いだし、反動も起こる。下手に刺激すれば、この場でただちに殺されてしまうかもしれない。
その時、何者かが上から飛ぶような勢いで現れた。
左頬を壁につけて、下り階段の方を向かされているカイルは、ここで思い出した。もう一人、仲間が潜入していることを。そして次の瞬間、二人の男がいきなり数メートル下へ転がり落ちた。それに、真後ろからは苦しそうな呻き声が聞こえる。不意に自由を得たカイルは、振り向いて確認した。
やはり、リューイだ。
同時に、呻き声の理由も。カイルを拘束していた男が、今度は逆に反対の壁に押し付けられているのである。リューイに片腕で首をつかまれたまま。
ほかの二人にも意識はあり、よろよろと立ち上がりながらも、そろって武器を引き抜くのが見えた。
「カイル、先に行け。」と、リューイは背後にいるカイルに命令した。
カイルはうなずいて、言われるままに従った。別行動をとることが得策かどうかと、悩む気持ちの余裕はなかった。
その直後に、たちまち乱闘が起こった。階段を駆け上がるカイルの後ろで。金属が石の階段に転がる音や、男たちの悲鳴がたて続けに上がる。それを聞きながら、カイルは太陽のもとへ出た。
カイルはスカートの裾をたくし上げ、走って侵入口、つまり自分たちにとっての出入口を目指した。しかしすぐに後悔した。冷静になって、普通に歩いて向かえば良かったものを、逃げるようにして突っ走っていくそんな姿を、運悪く数名の衛兵に目撃されてしまったのだ。警備を職務とする者、当然、誰でも追いかけずにはいられなくなる。
召使いの格好のままのカイルは、夕暮れの街の中を必死で逃げ惑った。大通りは、夕食の買い出しなどで、人がたくさん行き交っている。すれ違う者はみな驚いて立ち止まり、風のように走り抜けた素早い美少女と、それを追う城の衛兵たちを、姿が見えなくなるまでいつまでも不思議そうに見つめていた。
そして、枝分かれしている路地の一つに差しかかった時だった。
カイルは、自分を呼ぶ声を聞いたのである。
レッドだ。
実は、レッドは、ずっと侵入口の門のそばで待機していた。ところが、計画が狂ったせいでカイルが一人で飛び出してきたこと、それに、女装しているにもかかわらず、なかなかのすばしっこさを発揮されたおかげで意表を突かれ、つい出遅れてしまったのだ。
カイルの方でも、パニックに陥ったせいで、レッドと合流する打ち合わせだったことを忘れていた。そのため、追われてあっという間に街の方へ飛んでいったカイルを、レッドはみすみす見送ることになってしまったのである。
「あのバカッ。」と呟いて、慌てて駆け出したレッドは、人々の間をすり抜けながら、やっと声の届くところまで追いついたところだった。
「カイル!」
カイルはあちこち目を向けて、声の出どころを探した。
すると間もなく、人気もまばらな道の角から、レッドが飛び出してきた。
「レッドッ、うわーん、助けて!」
カイルは夢中で駆け寄り、レッドの腰を抱き締めながらくるりと背後へ回る。
そこへ、険しい顔つきの男が数名現れた。怪しい召使いを確保しにきた衛兵たちだ。
仲間だと一目で判断されたレッドは、その風貌から同時に手ごわい戦士であるという印象を持たれて、すぐに剣を向けられた。
レッドも素早く応戦の構え。それを見たカイルは、邪魔になると分かって、ただちに下がった。
だがレッドが剣を握ったのは、相手の武器を跳ね飛ばすため。そうして、その全てを空手にさせたあとは素手で挑むや、次々と殴り倒して呆気なくその場の片をつけた。
「怖かったよおおっ。」
カイルは女々《めめ》しくレッドにしがみついた。
「今なら悪い気もしないな。」
レッドは可愛らしい女装の少年に冗談を言った。
「そうだっ、僕を変装させたのは女装が似合いそうだからって、どういうことさっ。」
「は⁉」
「リューイが言ってたよっ。レッドが家来やればよかったんじゃないのっ。」
「バカ、召使いの方が多くて自由な行動が利くし、女だと相手も油断するからだ。まあ、ちょっとは思ったけどな。」
そうこうしているうちにも、二人は、今や街中に追っ手が放たれたことに気づいた。そこらじゅうから、ただならない足音や声々が沸き起こっている。曲者・・・つまり、カイルを探しているに違いない騒音が。いや、カイルだけではない。この少年よりも彼らにとっては深刻で、野獣よりも凶暴な曲者がもう一人いる。
「早く、こっちだ。ギルとエミリオが馬車で待っている。」
「あ、でもリューイが。」
「ヤツなら、とっくに帰り着いてるだろうよ。」




