ギジルのホームレス
頭上で大きく手を振りながら戻ってくるリューイに、仲間たちはどうしたのかと顔を見合った。ひどく慌てていて、何か喚いているのである。
「おーいカイル、こっちに来てくれ。大変なんだ。たくさんいるんだ。なんだか元気のねえ人や子供が、いっぱいいるんだよ。」
今度は手招きながらそう言ってくると、リューイはくるりと背中を向けて、また行ってしまった。その様子のおかしさに、追わないわけにはいかない。とにかく仲間たちはすぐにそうした。
行き着いた先は、かつてギジルと呼ばれていた街区の廃墟群で、その建物は図書館の跡だった。屋根には崩れ落ちた箇所がいくつか見られるほど廃れた、ただの廃屋である。
だがその朽ち果てた建物の中には、働くことができない貧しい人々が寄り合い、そのうちの半数以上は床に寝転んで だらん としていた。建物の中をよく見回してみると、籠に盛られた器が洗った状態で置いてあるので、食事は一応とれているのだろう。だがそれらから言えるのは、何とか生きている・・・ただそれだけだった。
「これは一体・・・。」
エミリオは眉をひそめた。
そしてミーアも、子供ながらに息が詰まりそうな思いに耐えている。今、この少女の頭では、毎日綺麗なドレスを着せてもらい、心地良いベッドで眠り、食べきれないほどの料理を食べ、何不自由なくいつも明るい笑顔を振りまくことができていた自分と、目の前の、ガリガリに痩せ細って、どんよりした瞳の子供達が交錯し合っている。すると何か言いようのない感情が押し寄せてきて、ミーアは、今にも泣きだしそうな顔になった。
ミーアは、そばにいたシャナイアの腰にそっとしがみついた。その気持ちを察してか、シャナイアはミーアの頭を一度だけ優しく撫でてやった。
そのうちにも急いで動きだしたカイルは、床に力なく寝転んでいる老婆に駆け寄っている。
「お婆さん、僕は医者です。診せて。」
老婆は言葉もなく、ただ驚いたように少年を見つめている。
相手の返事も待たずに、カイルは老婆の服の袖や上着の裾を軽くまくり上げた。そしてあるものを認めると、その表情はみるみる険しいものになっていった。
一見ですぐに診断できたカイルは、早速、肩から医療バッグを降ろして薬を調合し始めた。
周りにもいるほかの同じような者たちは、誰一人として彼のすることに口も出さなければ、怪しんで覗きに来ることもなかった。ただ、熟練した手つきで何やら作業を続ける黒髪の少年を不思議そうに眺めているばかりである。
カイルは薬を飲ませようと、老婆を優しく抱き起こした。
「さあ、これを飲んで。元気になれる薬だから。」
すると老婆はためらい、しわがれた声を押し出してこう言った。
「お金が・・・ないので・・・。」と。
カイルは、悲しそうに微笑んだ。
「お金は要りません。だから、飲んでください。」
これを聞くと、老婆もそれ以上 拒みはしなかった。
「ここの政府は一体何をしているんだ。」
その様子を見守っているギルの口から、思わずそう辛辣な声が漏れた。
ひとまず彼女の処置を終えると、カイルはいったん仲間たちのもとへ戻った。そして、深刻な面持ちのまま仲間にこう報告した。
「こういった人達がかかりやすい感染症だよ。それに侵されると身体が部分的に変色して、それが、病状が悪化するごとに増えていくんだ。栄養失調などで衰弱した身体に、不衛生な場所で発生するある種の細菌が入り込んで引き起こされる病気・・・。ちゃんとした治療をしばらく続ければ治るものだけど、放っておけば数年で死んでしまうことも珍しくない。抵抗力のない乳幼児や老人なら、こんな生活を続けていたら一年ももたない場合もある。」
すると、カイルがそう話しているうちに、今までじっとしていたここの人々が、よろよろと立ち上がりだしたのである。どうやら、恵みにありつけると思ったらしい。
「とにかく特効薬を。だけど手持ちじゃ足りない。重症の人を優先的に処置していくから、手伝って。それと、全員に体の抵抗力を高める栄養剤を。水を汲んできてくれる?」
まだ少年といえる若さを感じさせない堂々たる態度で、カイルはすぐに、彼ら一人一人の診察を始めた。そうしながら、カイルはある決心をした。これは、国の協力が必要だ。
そんなカイルの指示に従って、仲間たちもテキパキと動いた。カイルの助手となりついて回る者、井戸まで水を汲みに行く者、器に栄養剤を量り分ける者。半分見放されたようなホームレスの溜り場に、突然射しこんできた暖かい光。そうしてそこは、お馴染みの即席診療所と化した。
やがて動ける人々は列を作り、世話をしてくれる者から差し出される器を、順番に受け取っていった。いきなり現れた彼らが何者であるかや、その飲み物が何かを、ここの人々には疑う余地などなかった。飲食物らしきものなら、何でも口に入れたいと思うほどに飢えていた。しかしこの一行が救い手だということは、誰もがすぐに理解のできることだ。
なぜなら、その少年の瞳は慈悲深く思い遣りに溢れていて、優しく差し伸べられるその手には、まるで天から舞い降りてきた者のようなオーラを見ることができそうだからである。
そのうえ、エミリオが支えている高齢の男性は、この神秘的に端麗な顔で優しい表情を浮かべている青年と、微笑みながら薬を口元へ運んでくれる少年を一度に見ると、何か感極まるものに涙を流したほどだった。
「あなた方は・・・神のお使いか・・・。」
二人は目を見合った。そして、そっと微笑み合った顔をそのまま、カイルは何も言わずに老人に向けた。
そうして、動けないほど弱りきってしまった者たちにも薬を与え終えたところで、一行は帰り支度を始めた。
そこへ、荷物を担ぎ上げたリューイのもとに、男の子が三人駆け寄ってきた。その中には、川で食器を洗っていたあの少年もいる。
「お兄ちゃんたち、大公様のお城の人?」と、その少年が言った。
「いや、俺たちはただの旅人だ。」
リューイがそう答えるのを隣で聞いていたレッドは、ふと思って少年たちにこう質問。
「なあ、お城の人が、毎日食べ物を持ってきてくれるのか?」
「うん、でも・・・僕たち、もっと食べたいよ。」
やるせない思いに、旅人たちは悲痛な面持ちで目を見合う。
するとカイルが言った。
「うん、分かった。じゃあ僕がこの国のその偉い人にお願いしてあげる。」
それを聞いた仲間たちは、呆気にとられた・・・が、誰もその場では何も言わなかった。
一行は、ただ笑顔で手を振りながら、その異様な溜り場をあとにした。




