消えた活気と少年の病
そこは、陰鬱な土地だった。
そこへ来るまでは、形だけは広壮な館も立ち並んでいたし、富裕層らしい身なりの人や、それなりに華やかな馬車なども見かけたが、そういった人々も含めて全体的に活気がなく、商店街の通りに行けば店をたたんでいる店舗も多くあり、人々の表情はどこか暗く嘆いてでもいるようだった。
それが少し気になるものの、一行はもっと奥へ向かって歩いて行った。
すると今度は路上の市場に出会ったが、彼らはそこで、商いの最も素朴で原始的な形を見た。日よけのための薄い板しかない店舗の屋根。その下の籠の中には、決して売れ残りではない少量の果物。ほつれたゴザの上には、質が良いとはとても言えない野菜がまばらに並んでいる。どれもこれも間に合わせのものに見える。
一行がそれらを眺めながら通り過ぎようとしているそばの至るところで、店員や買い物客達がひそひそ話をしている。今に始まったことではなかった。以前は明るい声で話し、客を呼び込む威勢のよい大声も飛び交い、冗談を言い合ってはばかりなく大笑いし、誰もが生き生きと輝いていたが、ある日を境に、彼らの話題はどこへ行っても怒りや憎しみ、また悲しみや哀れみが滲むものになってしまった。
「奴らに西の資源を奪われたうえ、こう日照り続きとあっちゃあ、俺たちだってろくな暮らしができやしない。」
「まったくだ。こんな状況でさえきちんと税金を納め、農作物を貢がなきゃならねえなんて。」
「けど、皆助け合って生きていかなきゃならないからね。私たちが今こうしていられるのも、大公様が上手く話をつけてくれたおかげなんだ。奴らの言いなりになるよりましだよ。」
「そうかもしれないが、こんな状態が長く続けば、俺たちだってそのうち一食しか取れなくなっちまう。病に倒れて死ぬのは御免だ。」
「そういえば夕べ、ギジルの老人が一人、また病で亡くなったそうだ。」
「気の毒にな。けど俺たちの税金は、彼らのためにも使われているんだ。だったら、いっそのこと彼らが・・・。」
「めったなことを言うもんじゃないよっ。」
そんな人々の会話もまた気にはなったが、一行はそこで何を買うこともなく歩き過ぎて、そのまま市場をあとにした。
彼らは、次に大河の岸辺を通りかかった。そこでは大勢の人が沐浴をしていた。ここインディグラーダ地方にある国々は宗教的思想や活動が根強く、人々は決まった日時に合わせて体を浄め、その祈りの時に備える。
リューイはひとり土手を駆け下りていき、人々が水に浸っているのを観察した。
季節は、ザブンと水に浸かるにはまだ少し寒い春の真ん中だったが、子供たちは素っ裸で泳ぎ、娘たちは、濡れると透けるような薄い服のままゆっくりと水浴びをしている。それがリューイにはとても気持ちが良さそうに見えたので、思い立って早くも上着を脱いだ時、不意に、そこよりもずっと下流で、何かを懸命に洗っている少年の姿を見つけた。
妙に気になり、リューイは脱いだ上着を鷲掴みにして、また突然走って行った。
ほかの者たちは、いつものことで一人行動をとったリューイのことは放っておき、戻ってくるまで川のほとりで休憩をとることにした。
その少年は、籠いっぱいの木の器を洗っていた。ひどく痩せ細った、みすぼらしい格好の少年だった。リューイが遠慮なくそばへ行くと、少年は、せっせと手を動かしながらチラッとリューイに目をくれたが、それだけだった。リューイも何も話しかけず、少年の手の動きをただ眺めていた。
少年は、またリューイを見た。リューイはそれに、ニコッと笑ってみせた。少年は依然として黙々と手を動かしながら、だが今度はじっとリューイを見つめていた。彼のそのよく日焼けした丈夫そうな肌や、逞しく筋肉の引き締まった健康そのものの身体を、どこか羨ましそうにも見える表情で見つめていた。その眼差しは「お兄ちゃんは、どうしてそんなに元気そうなの?」とでも、問いかけているようだった。
少年が器を洗い終えて、ニワトリの足のような細い腕を水面から出した時、リューイは顔をしかめずにはいられないものを見た。少年の両手首に、奇妙な斑点を見たのである。どす黒い赤紫色のそれは、明らかに痣やケガなどといったものではない病的なものだった。
少年は黙って立ち上がると、器を詰め込んだ籠を抱えて歩きだした。その時、器が一つ草の上に転がり落ちたが、その籠は少年の顔のあたりまで突き出していたので、少年はそれに気づくことなく帰っていく。
「おい、落としたぞ。」
リューイは器を拾い上げ、慌てて少年のあとを追った。
リューイはすぐに追いついて渡してやろうと思ったが、後ろ数メートルまで迫った時、少年の手首に見られたものや、大量の器を抱えていることなどが気になり、ついて行かずにはいられなくなってしまった。
勝手について来る後ろの気配を気にもせず、その少年は、ひっそりとした人気のない建物の遺構の数々を横切って行く。
いったいどこへ帰るのか・・・。リューイは、辺りの崩れた壁や屋根などを不思議そうに眺め回しながら、少年のあとを追って、ある朽ち果てた施設の一角に入って行った。
ところが、その入り口をくぐった途端に、リューイは愕然と佇んだ。
そこは一種異様な場所だった。
崩れかけた石造りの大きな建物の中に、少年と同じく貧相な姿の老若男女が大勢いた。誰もかれもがぐったりと瓦礫の壁にもたれかかったり、床に寝転がったりしている。一様に着衣は型崩れがひどくボロボロ・・・。下へ向けられた双眸は、今生きて息をしていることも分かっていないかのように虚ろだった。
さすがにリューイも、場違いな自分に気がついた。かといって、このまま静かに立ち去るのもためらわれる。これは見なかったことになどできない光景だからだ。
リューイが内心そうこうしていると、真正面にいる老人が目を向けてきた。
その目と目が合うと、リューイは思わずたじろいだ。そして、さっきの少年を探した。
少年は、奥の長机のところにいた。そこに籠を置いて、それから、やつれてほっそりとした女性のもとへ歩いていく。どうやら母親らしいその女性は、我が子に弱々しく手を差し伸べた。少年は促されるままに体を預けて、やっとリューイに目を向けた。
リューイはハッとした。気づけば、ここにいる全ての視線が自分に向けられているのである。もはや弱り果てた体だが、そのひたむきな眼差しだけは、急に何かを訴えかけてくるような力強いものに変わっていた。
〝なぜここにいるの?〟
〝何をしに来たの?〟
〝何か・・・してくれるの?〟
圧倒されて、リューイはのろのろと後ずさった。
そして出入口まで下がった時、そこで首を巡らした次の瞬間、リューイは器を持ったまま慌てて背中を返した。




