絆
とある使者は、腰が抜ける思いで馬を走らせていた。
計画通りに馬車を待機させていたこの使者。騒然としだした中庭が気になり、警備がいなくなったのをいいことに侵入して、物陰からそれを目撃した。そして、そのあと血相を変えて馬車へ駆け戻った。なぜなら、そこで目にしたものはあまりに衝撃的で、全く予想外の信じ難い光景だったからだ。それは、刃物を振り回すならず者の集団を、一方的に素手で痛めつけている一人の青年の姿である。
その若者こそ・・・。
使者は大あわてで手綱を操り、だが真夜中ということもあって慎重に戻ってきた。そして夜勤の守衛の間を不自然でない態度で通り抜け、静かに屋敷に入り、忍び足でアーヴァン子爵の寝室の前へとやって来ると、数回の小さなノックで知らせたあと部屋に滑り込んだ。
ベッドに横になったものの眠れずにいたクラークは、サイドテーブルのランプを点けて待っていた。
「奴らは行ったか?ルーウィンを連れて。」
しかし灯りの中に浮かび上がったのは、肩を竦めて縮こまっている使者の異様な姿。
クラークは不安を覚えた。
「よい知らせだろうな。」
「それが・・・。」
使者は黙り込んでしまった。
まったく落胆させられるその様子を見ただけで、クラークにはもう結果を聞くまでもない。
「どういうことだ。」と、それでクラークは辛辣な声を出した。
主人を直視できないまま俯き加減でたじろいでいた使者の男は、少し顔を上げた。わずかに向けられたその目には、あからさまな動揺がうかがえる。だが何よりも、驚きが強く表れているのが不可解だった。
そして、その口から、おずおずとこう告げられる。
「は・・・伯爵家の・・・ち、嫡子であるルーウィン・・・き、卿は、信じられぬほどに強く・・・その・・・何と申し上げたら・・・全く信じられません。盗賊たちをものの見事に次々と殴り飛ばしていくのです。そう、素手で・・・。それにあの動き・・・あんなふうに戦う男は見たことがない。」
戸惑いながらも嫡子としたり敬称で報告された不快さが飛んでしまうほど、まさか・・・と、クラークもまた驚きを露にした。
「あの・・・穏やかな兄さんと、しとやかなソフィアの息子が・・・?」
クラークはみるみる困惑の色を浮かべ、伯爵家が佇む西の窓に目を向けた。
朝もやが漂うじっとり湿った空気の中、商人が朝市の準備を始めだす少し前のまだ静かな街路を通って、人知れず町を出ようとしている一行がいる。
その中に、リューイとキースの姿はない。
誰もかれもが、心にぽっかりと穴が開いたような寂しさを引きずっていた。
中でも、レッドの胸の前で目覚めるなり突然悲しみに直面することになったミーアは、ひどくしょんぼりとしている。さっきまでは、レッドの頭にポカスカとげんこつを叩き落とすやら髪を引っ張りまくるわで、泣きながらうるさく反対を訴えていたが、エミリオの巧みな説得のおかげで、今はシャナイアに手をつながれ慰められながら、観念してとぼとぼと歩いていた。
そうして、一行が間もなく街門にたどり着こうかという時、三連アーチの門の下に、腕組みをしてそこに凭れている人影と、もう一つ低い影が見えた。
「あ・・・。」
その姿に気付くなり、カイルがまず声を上げた。
その二つの影は白いもやの中にいてぼんやりとしているが、誰と何であるかはすぐに分かる。
「あいつ・・・。」と、レッド。
「バレたか・・・。」
ギルがつぶやいた。
「あの子ったら・・・。」
シャナイアは、苦笑いのままため息。
そしてエミリオも、おやおや・・・と言わんばかりの歪んだ笑みを浮かべている。
ミーアの顔に光が射した。ミーアはパッと切り替わった笑顔で駆けだして行き、両手を広げた。 それに応えてニコッと笑った魅力的な笑顔が、はっきりと見えた。
ミーアの脇を持ち上げて肩車に乗せたリューイは、今度は、見るからに不機嫌そうな顔をレッドに向ける。
「よう。」
「よう。」と、レッドは苦笑した。
「つれねえじゃねえか。」
やはりムッとして、リューイは言った。
「まったく・・・せっかくおやじさんに会えたってのに。一緒に居たいだろ?」
「俺は、会いたいって言っただけだぜ。」
レッドは束の間黙り込んだ。
「・・・そうだったな。」
「俺のためとか、一番とか、幸せとか、勝手に決めんじゃねえ。」
「聞いてたのか。」
「聞こえたんだよ・・・ちょっと長いことな。」
レッドは肩をすくった。立派な盗み聞きじゃないか。
「お前一人くらい何とでもなるのに・・・バカだな。」
リューイはニヤッと笑った。
「俺にしかできない困ること・・・これからも結構あると思うぞ。」
レッドは、ギルやエミリオと目を見合う。三人とも、痛いところを突かれたという顔。
「だいたい、俺はメイリンと約束してんだぞ。」
レッドは、あ・・・と、思い出した。
メイリン・モア。
北のメルクローゼ公国にあるバルンの森で、彼らのことを ―― 本当のところはリューイのことを ―― 一途に待っているはずの少女。森の神ノーレムモーヴの使徒である。
リューイが呆れたことには、この時レッドばかりでなく、ほかの仲間もみな密かに同じ反応をしていた。カイルやエミリオまでも。この町にきて思わぬ奇跡が起こったせいで、そこのところはむしろ面白いように頭から飛んでいた。
「悪い、それ忘れてた。」
「お前ら、彼女と関わってないからって、みんな揃っていい加減だぞっ。」
「一人だけいい思いしてたからだ。」
「なんだと、コラアッ。」
いつもの調子で口喧嘩を楽しむ二人にやれやれと首を振りながら、ギルは門の外へ。
「ほら、行くぞ。」
フェンディリーニの町を出ると、これから目指す西の方にも、やがてまた風だけが吹き渡る荒涼とした大地が見えてくる。
もうただの荒れ地ではないかもしれない。戦場の名が付けられた場所も、また呪われた土地も越えていく。
そうだとしても、この仲間たちとなら・・・。
朝もやの中を、彼らは毅然と踏みだした。
精霊の石に導かれる運命の旅、その続きへ。
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