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【新装版】アルタクティス ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~   作者: 月河未羽
【新装版】 第11章  ルーウィン・アーヴァン・ウェスト 〈 Ⅷ〉
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肖像画の貴婦人


 左手の壁にはここフェンディリーニの風景画がさりげなく飾られてあり、右手には石畳いしだたみととんがり屋根の愛らしい街並まちなみが広がっている。夕焼け色に染まった白い三連アーチの街門がいもん、丘の上の風車の列、そして、湖のほとりに小さな教会がつつましやかにポツンと建っているのを見つけた。この可愛かわいらしいもう一つの白亜はくあの街は、見事なまでに、そして素直に空と同じに色づいている。


 お前の生まれ故郷だ・・・。廊下を歩きながら、リューイはそれらの風景画やそんな実際の景色をながめて、ギルのその言葉を思い出していた。


 そのまま別棟とをつなぐ渡り廊下を通ると、今度は中庭がよく見えた。中央に石橋のかった池があり、それをオリーブの木や小さな花を咲かせている植物が取り囲んでいる。


 やがてリューイは、銀の装飾で縁取られた白い扉の前に立った。


 老人がその扉をノックすると、中から返ってきたのは穏やかで紳士的な声。


 それが聞こえた途端とたん、夕焼けに染まる景色のおかげで落ち着いた胸の鼓動こどうが、またドキドキと騒ぎだした。この扉をへだてた向こうに、父親がいる・・・と思うと、リューイはいつになく緊張した。 どういう顔をしたらよいのか分からなくなり、不安そうな顔を老人に向ける。


 老人はただほほ笑み返すと、先に一人で中へ入るよううながした。当然、キースも部屋の前でひとまず待たされることに。そのことを、執事しつじである彼は伝え忘れていたからだ。だが、リューイが中にいるあいだ、キースを見張る役に抜擢ばってきされた二人の男は生きた心地がしやしない。警備員という職務につき剣を備えてはいても、もしもの時にそれを引き抜くことすらできやしないだろうと、すっかりおびえきっている彼らには分かっていた。だから、今はつまらなさそうにおとなしく伏せているこの野獣が、これぞまさに豹変ということにならないよう、この間ひたすら祈るほかなかった。彼ら警備員は、そう祈るために呼ばれたようなものだ。


 ゆっくりと自分の手で扉を押し開けたリューイの目に、天井に届くほど大きな奥の窓を通して、夕映えする幻想的な部屋がパッと広がった。その窓の前にある机の椅子から、男性がゆっくりと立ち上がった。長身でスラリとした体つき。肩よりも長い髪を、後ろで一つにまとめているらしい。だが逆光と、あまりにも部屋中が鮮やかに染まっているために、顔はよく見えない。


 一方、その男クラフトには、息子のルーウィンの顔が分かった。夕映えのせいで、息子の特徴である色濃い金髪碧眼をはっきりと見て取ることはできないが、その面影おもかげに見られるなつかしさと愛しさに、実の親子の血が不思議なほど疑いもなくそうだと認めている。自身の血を分けた我が子であると。


「ルーウィン・・・本当に、私たちの息子の、ルーウィンなんだね、ああ・・・。」


 感極かんきわまった湿しめっぽい声が聞こえ、それに答えるかのように、リューイは無意識のうちに踏み出していた。一歩一歩とためらいがちに歩み寄っていく。


 すると、その男性の顔が見えるようになった。中世的な顔立ちで、繊細な雰囲気のなかに芯の強さを物語るどこか鋭い瞳・・・眼球は青にも緑にも見える色だが、その目の感じが、リューイには自分と似ているような気もした。


「父・・・さん? 俺の・・・父さんなのか・・・。」

 舌に馴染なじまないその言葉を、リューイは戸惑いながら口にした。


 優しいほほ笑みを浮かべてうなずいたクラフトは、ゆっくりと両手を広げる。


 愛する妻と我が子を残酷に失ったせいで精神的な病を患い、表情を取り戻すのに何年もかかった。その苦しみを思い出したせいで、この時、クラフトは差し伸べた腕の震えを止めることができなかった。


「信じられない・・・これ以上の奇跡はない。」


「父さん・・・。」


「ルーウィン、さあ近くに・・・もっとよく顔を見せておくれ。」


 リューイはもう躊躇ちゅうちょすることなく、そのまま自然に父の腕の中へ飛び込んでいった。


 クラフトはひしと我が子の背中を抱き寄せ、リューイも抱きしめ返した。この時、背丈は辛うじてクラフトの方が高かったが、体格は明らかにリューイの方がいい。クラフトは、我が子の見違えた・・・というよりも、予想外の成長ぶりに少々困惑した。


「そうだ、あの・・・これ。」


 不意に離れたリューイは、ポケットに手を突っ込んで巾着きんちゃく袋を取り出した。そして中からつかみ出したものを、クラフトに見せてみる。見覚みおぼえがあるかどうかと。


 すると心配するまでもなく、クラフトには目にした瞬間に確信が持てた。形が変わっていてもだ。


「それは・・・私がソフィアにおくったペンダントの・・・?花の形のデザインで、長い金のくさりがついていた。」


 リューイの目に熱い涙がこみ上げた。


「よかった・・・。遊ぶのに体に当たって邪魔だったから、俺がこわしてこれだけにしちゃったんだ・・・ごめん。」


 ふっと笑い声を漏らしたクラフトは、息子の頬に片手を添えてうっとりと見つめる。

「本当に・・・お前は、ソフィアによく似ている。」 


「父さん・・・母さんは・・・母さんは・・・。」

 リューイは下唇をみしめた。 


「ああ、分かっている。私も、ソフィアに会いたかった。ルーウィンよ、母さんの顔を知らないそうだね。ほら、あの肖像画をごらん。あれが、お前の母さんだ。」


 クラフトはカーテンを閉めて照明を点けに行き、南の壁を指差した。その向かい側の壁面にはタペストリーが掛けられていたり、棚が置かれていたりといろいろなものがあったが、そこにはその肖像画ただ一枚だけである。


 広々とした白壁に、たった一枚だけ飾られている唯一の・・・大きな絵画だ。


 リューイは、それと面と向かい合って立った。


 そこに描かれた美しい女性は色鮮いろあざやかな金色の髪で、んだ青い目をしており、赤ん坊を抱いてとても幸せそうにほほ笑んでいる。 


 母さん・・・初めて見る母親の顔。どれほど会いたいと、ぬくもりを感じたいと叶わぬ思いに切なくなり、想像するたび胸をひどく締めつけられる悲痛感に何度苛さいなまれてきたことか・・・やり場のない感情に苦しんできたことか知れなかった。


 それをじっと見つめているリューイの顔は微妙にゆがみ、唇がふるえて、目にはまた涙がにじんだ。


「疲れていても、ソフィアとお前がいやしてくれる。本当は寝室に飾りたかったんだが、ここにいる時間の方が長いんでね。」クラフトはそう言って苦笑した。「できるものなら何もかも捨てて、一緒に行きたかった。離れたくはなかった・・・。」


 クラフトは我が子の肩にそっと手を回した。

 その言葉がじんと胸にみてきて、リューイは父を理解した。


 子供のようにごしごしと目をこすり、鼻を二度すすり上げてリューイはほほ笑む。

「ああ父さん、あの・・・さ。俺、実はずっとリューイって呼ばれてんだ。育ててくれたじいさんが、どうも死ぬ間際まぎわの母さんの言葉聞き間違えたみたいで。」


「そうなのか。では、今日だけは、よければルーウィンとそう呼ばせてくれないか。ソフィアが付けた名前で。」


「いいよ。そっか、母さんが考えてくれたんだ。じゃあその名前は、明日からは宝物にしてしまっておくよ。みんな困るだろうから。」


 窓の前のデスクに戻ったクラフトは、途中まで手をつけていた書類をまとめようとした。あとですぐに続きからとりかかれるよう、整理しておこうと。


「そうだ父さん、俺の幼馴染おさななじみを紹介するよ。キースっていうんだ。」


 友人たちにはひとまず待ってもらっているはずだが・・・と思い、クラフトは考えてこう訊いた。

「もしかして、動物かい?」


「ああ、けど友達だ。いつも一緒に遊んでた。」リューイは扉を開けにいき、キースを手招てまねいた。「キース、おいで。ほら、俺にもちゃんと父さんがいたんだ、すごいだろ。」


 にこやかに待っていたクラフトの目の前に、何の前触まえぶれもなく、するどい目の黒い猛獣が現れる。おおかた犬か猫だろうと思っていたクラフト。大きな音がたち、リューイが驚いて振り返ると、父と椅子が一緒にひっくり返っていた。


 クラフトは倒した椅子を引き起こしながら、それを支えとするかのように自分も起き上がった。


「父さん、大丈夫?」


「あ、ああ・・・ああ。ルーウィン、そ、それは・・・猫ではないな。」


「豹だよ、黒豹。」


 キースと並んで立ったリューイは、まるで危険が分からず警戒することを知らない幼い子供のように、平然と猛獣の背中に手を置いて笑っている。クラフトから見れば。


「ああ黒豹・・・の友達・・・ね。そうか・・・すごいな。」


「こいつ、すごく利口りこうなんだ。俺の言うこと何でも分かってくれるし、俺も、こいつのことなら分かる。」


 リューイはやはり警戒心のかけらもないといった様子で猛獣の背筋をで回し、そのうえ子供のようなセリフを冗談でない顔で語った。 


「それを聞いて安心した・・・。」 

 その返事とは裏腹に、クラフトは後ろの窓ガラスぎりぎりまで腰を引いている。


「ルーウィン、済まないが、やり残している仕事があってね。晩餐会ばんさんかいまでに、お友達と風呂に入ってくるといい。着替えも用意させよう。そのあとで、またゆっくりと話をしよう。」


 クラフトは我が子を信じて落ち着こうと必死になり、だが、とりあえず気持ちの整理をつけたいと思ってそう言った。息子は何たることか、あまりにも突拍子とっぴょうしもない男へと成長してしまったようだ。もしやあらゆる野獣に対してこうではなかろうかと、クラフトは不安になった。いったい何があって、どこでどういう生活をしていたのか・・・息子はまともなのだろうか。あの耐えがたい夜から二十年が経った。体や顔つきは立派に成人して帰ってきたがしかし、中身はまるで、実際の歳の半分にも満たない幼子おさなごのようではないか。


 そんな父の複雑な心境などつゆ知らず、リューイは無邪気にうなずいた。

「ああ・・・父さん。」


 この響きの心地良さを噛みしめながら口にしたリューイは、今は引き攣った笑みしか返してやれない父に笑顔を返すと、キースを連れて部屋を出た。










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