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【新装版】アルタクティス ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~   作者: 月河未羽
【新装版】 第11章  ルーウィン・アーヴァン・ウェスト 〈 Ⅷ〉
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お前の名は

 ある男の運命が変わるかもしれない大変な老人をつれて、預けてある剣を取りに行くのも後回しにし、三人はひとまず宿泊先の二階の一室へと戻ってきた。


 四つの寝台と二脚のソファー、そして低いテーブルが用意されていた二間続きのその部屋へ帰り着いたギルは、部屋のドアを押し開けるなり黙って視線を走らせた。


 テーブルには軽く昼食をとったとみられる跡と、そこにシャナイアとカイルの姿はあったが、肝心の男の姿はなかった。期待に胸を膨らませ、ギルと同じように隣で視線をさ迷わせているその老人は、不安そうにギルを見上げた。


 シャナイアとカイルが老人を不思議そうに眺めながら、「おかえりなさい。」と言ったのに対して、「ただいま。」と返事をしてから、ギルはシャナイアに問いかける。「リューイはどこへ行った?」


「ミーアのお昼寝のお手伝いよ。」 

 シャナイアは、壁で半分だけ仕切られている隣の部屋を指差してみせた。


 それで隣の部屋をのぞきに行ったギルは、エミリオやレッドがどうなることかと見守る前で、声をひそめてこう言った。


「リューイ、お前に会いたいって人がいるんだが。」


 これを聞くと、老人は途端にそわそわしだした。緊張してか待ちきれないのか、そのひ弱な体が微妙に震えているのが、エミリオとレッドには分かった。


「ああ、おかえり。なに?俺に会いたい人?」 


 そして、老人の方を振り返ったギルのわきから、間もなく噂どおりの美青年が現れる。ただ、一緒に眠りかけていたなと分かるまりのない顔。そのぼんやりとした目で、リューイは、まるで化け物にでも出くわしたかのように固まっているおじいさんを見た。


 その時。


「お、お、お坊ちゃま!」


 いきなり涙を流した老人が、やにわに動いてリューイの腰にしがみついた。


 いっきに眠気が吹き飛んだ。思わず両手を挙げたリューイは数歩後ずさったが、腰にからみついてきた老人もまだぴったりくっついたままだ。異様にリューイをしかとつかんで放さない。


 それでリューイも、手を挙げたままポカンと口を開けてその人を見下ろした。

「・・・誰だよ、この変なじいさん。」


「その言葉遣い、今は止めておけ。」

 レッドがさりげなくたしなめる。


「おじいさん、感動するのがちょっと早すぎやしないか?まだ顔を見ただけだぜ。」

 ギルが言った。


 やっと顔を上げた老人は、リューイのそのどこか野性的な印象もあるが、気品ある端整な顔に見ることのできる面影おもかげを愛しげに見つめ、確かな声で答えた。

「間違いありません。そのお顔はソフィア様・・・お母様によく似ておられます!」と。


 リューイの体に衝撃が走った。

「母さん・・・あんた、なんで・・・。」


 物心ついた時にはすでに母親は亡くなっていたため、その名前も顔すらも知らず、自分のこともろくに分からず、身内を捜そうなどと思いもしなかったリューイにとって、母親に似ている・・・というその言葉は、彼を戸惑わせ混乱させるに充分だった。


「ここは、お前の生まれ故郷のようだ。偶然やって来られたらしい。で、そのご老人は、お前が生まれた家、ちなみにウェスト伯爵(※)の第一執事(しつじ)。お前の本当の名前は・・・いいかリューイ、落ち着いて聞いて欲しいんだが、お前のじいさんがどうも上手く聞き取れなかったみたいで、正しくはルーウィンだそうだ。リューイ・ウェストではなく、ルーウィン・アーヴァン・ウェストだ。」

 ギルはなだめるように説明をしてやった。


 それでも、「な・・・。」と発したあと、リューイは絶句。


 そばで何事かと見ていたカイルとシャナイアも、この瞬間、驚いてソファーから腰を上げている。


「伯爵令息じゃない!」


「てか、名前ぜんぜん違うんですけどっ !?」


「リューイの母親は、町一番の美女って言ってたな。似てるっていうのは、なるほど、母親にってわけだったんだな。おかしいと思った・・・。」

 ギルが言った。


「それで噂になったのか。やたらと見られてた訳もこれで分かったよ。あんな顔で・・・。」と、レッド。


 これを聞くや老人はやっとリューイを解放して、ポンと手を打ち合わせた。

「おお、そうでした。それで、ソフィア様は、どちらにおられるのですか?」


 空気が凍りついた。


 知らないとは言え、なんという浅はかで残酷な質問だろうと思い、誰もが青ざめた顔でおずおずとリューイに目をやった。


「お坊ちゃま、ソフィア様とは、どちらで暮らされていたのでございますか?」


 たちどころにムッとなったリューイの顔は、さらに険しくなっている。あからさまなその表情になぜ気付かないとハラハラしているレッドは、そのうとさも歳のせいなのかと考えてしまう。


「いろいろと大変なご苦労もされたことでしょう。ですが、まずはソフィア様との思い出話を旦那様に――」


「母さんは死んだよ。」

 それ以上聞くにえないと言った声で、リューイは低く吐きてた。


「なんですと !?」


 老人は耳を疑った。その瞬間目は飛び出さんばかりになり、心臓に手を当てて危うくよろよろと倒れかけたところを、後ろにいたエミリオに支えられた。


「思い出話なんかねえ。俺にある思い出は、母さんとじゃなく、俺をたまたま助けてくれたじいさんとのものだ。俺は母さんとなんか暮らしてない。ずっとじいさんと暮らしてきたんだ。母さんはどこにいるだと?森の土の中だ。」


 リューイは、落ち着こうと必死に深呼吸を繰り返すその老人に向かって、早口で言葉を浴びせかけた。


 神のお導きか奇跡的に肉親に会えるかもしれないというのに、リューイの心に、この時喜びなど微塵みじんもなかった。あるのは、悲運な最期さいごを遂げた母親を思う無念さと、そうなったことに対する強い疑問だけだ。


「母さんが死んだ時、俺はまだ何もできない赤ん坊だった。そんな俺を抱いたまま、母さんはきっと何日もろくに食べれなくて・・・森の中で力尽きた・・・。なあじいさん、なんで母さんは、そんな死に方をしなきゃならなかったんだ。」


 喋るうちにふつふつと込み上げてくる怒りで、リューイの顔は紅潮していた。


 母親の死因は恐らく、過度の肉体疲労によるものが大きい。しかし食料を手に入れることが困難だった状況を考えると、餓死ともいえるものだったはず。だが同じ状況にあったはずの自分は生きているその理由を、リューイはこれまで考えもしなかったが、それは母乳のおかげに他ならない。その時、リューイはまだ乳児。母乳には赤ん坊を守る免疫と、必要な栄養が含まれている。彼女は、場所によっては自然の中から食べられるものを食べ、水を飲むことができ、それにありつけなくなっても、しばらくは母乳を出すことができていたのだろう。だが、その後ロブという老人に託されても上手く育っているのだから、すでに離乳食の時期にも入っていた頃だと考えられた。


「ソフィア様が・・・そんな・・・。」


 この時、リューイの右手は思わず老人の胸倉につかみかかっていたが、老人の方はショックのあまり〝そんな・・・〟とつぶやきをただ繰り返すばかりである。


 レッドも見てはいられず、間に割り込んでリューイの腕をつかんだ。

「じいさん、ちゃんと事情を説明してやらないと。」


 老人はこくりと息を呑み込み、しばらくしてからうなずいた。

「おぼっちゃま、旦那様は、ソフィア様を追い出したのではございません。やむなくお逃がしになられたのです。それもソフィア様が・・・お母様が自ら決められたことでした。」


「母さんが・・・。」

 リューイは驚いたように呟いた。逃がした・・・という言葉に怒りは急速に冷めていき、もっと詳しく知りたい・・・という気持ちに変わっていった。


「はい。ですから、お父様に会ってさしあげてはくれますまいか。」


 リューイはハッとした。先ほどは感情的になっていたせいと、馴染なじみのない名前にさっと理解できずに聞き流していたが、この老人は父親のことも言っていたのだ。


「父さんに・・・俺の父さん。」


 今やリューイの心は、期待と愛情に満たされ始めていた。母親を想っていたように、父親を恋しいと思う感情がわっと胸に押し寄せてくる。


「どうする?リューイ。」と、ギルが穏やかな声をかけた。


「俺・・・俺・・・。」


「俺たちに遠慮することないんだぞ。」と、レッドも後押し。


「そうよ、こんな奇跡もう無いわよ。」

 シャナイアが決め手の一言を囁きかける。


「俺・・・。」

 リューイは仲間たちの反応をうかがうように見回した。


 それに対して彼らは・・・いろいろと問題はあるものの、そのことを考えるよりもリューイを思う気持ちが勝って、誰もが心からうなずき、そして優しくほほ笑みかけたのである。


「父さんに、会いたいよ・・・。」


 声は戸惑いも露に震えていたが、やがてリューイはしっかりと仲間たちにそう伝えた。






(※) ウェスト伯爵 ―― クラフト・アーヴァン・ウェスト。リューイの父親。大陸南部、主にサヘル湖一帯の町村を統治し土地を管理している地方領主。








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