突然・・・
やがてリューイの目の先に、住み慣れた懐かしい木造の家が見えてきた。ヤシの葉葺きのログハウスである。丸太を頑丈に組んで壁を造り、屋根にはヤシの葉を葺き、そして外側には、家の周りをぐるりと一周できるデッキもついた小さな住処だ。そのすぐそばにある、圧倒的な存在感で佇む大樹の上には、縄梯子で登って行けるツリーハウスも見えた。
リューイは馳せる気持ちを抑えきれず、そのままの勢いで家の中へ飛び込んで行った。
「じいさん、ただいま!事情があってさ、ちょっと戻って・・・あ?」
何かがおかしいことに、リューイはたちどころに気付いた。
魚を獲るための銛や網、編みかけの籠など懐かしいものを記憶のままに見ることができたが、それらから以前のような生活感がなぜか伝わってこない・・・。家の中はひっそりとしており、外から射し込んでくる陽の光が、埃まみれのテーブルや椅子を白く照らし出していた。
リューイは外へ出て縄梯子に掴みかかるや勢いよく登っていき、ツリーハウスに駆け込んだ。
窓から入り込んだ木の葉と、ここにも埃が少し溜まっていた。
リューイは、自分も寝床にしていた二つのハンモックに歩み寄った。枕をパンパンと叩いてみる。ボワッと埃が舞い上がった。リューイは、その枕とシーツの臭いを嗅いだ。ロブのものを。だが鼻腔をついたのは師匠の臭いではなく、やはり埃っぽい臭いだけだ。
リューイは急に不安になり、やにわに踵を返して瞬く間に下へ降りていき、家の反対側へ回りこんだ。二人でいつも祈りを捧げたあと、食事をとっていた場所へ。
途端に、リューイの表情が固まった。
地面に組み立てた原始的な調理場、その鍋をかけたり火を起こしていたところは・・・形が崩れて、もはや形跡を残しているだけだった。何か月か前までは使われていた・・・というような。
否定したい恐ろしい予感と共に、リューイはハッとしてキースを見た。
キースは静かに立ち止ったまま、ただじっと見つめ返してくる。
胸に、暗い影が差し込み始めた・・・。
「じいさん・・・きっと町へ行ってるんだ。ちょっと長くかかってるだけに決まってる。きっと・・・もうすぐ帰ってくるさ・・。」
この胸騒ぎがはっきりしてくるのを拒むように、必死にリューイは自分自身にそう言い聞かせる。
でも、ひょっとしたら川にでもいるかも・・・ちょっと見て・・・。
そう願いながらリューイが足を向けると、ここでキースが、何か言いたそうにそばをうろうろし始めた。
「こ、こら、キース、纏わりつくな。」
だがほかの動物たちも加わり、リューイが右や左に動いて振りもごうにも、それらはしつこく絡みついてくる。リューイはとうとう、身動きが取れなくなってしまった。
「ほら邪魔だって・・・ったく、なんなんだお前たちっ。」
リューイはイライラと叱りつけた。
すると、獣たちがリューイから離れた。やれやれ・・・。
リューイはふうと息を吐き出したがその時、それらは行儀よくお座りをしたかと思うと、そろって顔を上げた。その姿勢で、ひたむきに見つめてくるのである。
何か知らせたいことがある時には、キース達はたいていこの姿勢をとった。何年もの間、毎日のようにそばにいたことで、獣たちはどうすればリューイの気を引くことができるか、どうすれば意に沿うことができるかを知ったのである。
「なんだよ。」
そのうち、獣たちは立ち上がってくるりと背を向け、少し歩いてリューイを振り返り、少し歩いては振り返りを繰り返し始めた。その意味するところも、リューイはもちろん知っていた。
ついて来て・・・。
「なんだよ、じいさんの居所知ってんのか。」
いくらか不安が解きほぐされたリューイは、喜んで付いて行った。
今度は逆に、リューイの方が獣たちを追ってどこかへ行ってしまうその姿に、今やってきたばかりの仲間も気付いた。それでみな、目の前に構えてある家の様子を見る前に、リューイのあとをあわてて追いかけて行った。
仲間たちがリューイに追いついた時、何頭もの動物とリューイの姿は、樹海の中では珍しく一本で佇む巨大な樹木の下にあった。なんとも不思議な形の木である。幹が途中から何本にも奇妙に分かれていて、それがカーテンのようにゆったりと地面に届いている。その木の壁と壁の間の空き地に、リューイはいた。巨木の方を向いて突っ立っている。
「リューイ。」
レッドが声をかけた。
だが、どう考えても聞こえる距離であるのに、リューイは振り向かなかった。
「リューイッ。」
レッドはもう一度呼んでみた。
リューイは微動だにしない。
「おい、リューイッ。」
すぐ背後まで来ていたレッドは、リューイの肩に手をかけた。
無理やり振り向かされたリューイの目から、涙が絶え間なく流れ落ちている。大粒の涙がポロポロと・・・。
驚いて目をみはったレッドは、リューイの足元よりもやや前方に、崩れた土の山と、大きな穴があることに気付いた。
リューイの前に回り込んで、そうっと中を覗いてみる。
瞬間、凍てついたように立ちすくむレッド。エミリオ、ギルとそれに続いたが、同じ反応、そして同じく言葉を失った。
穴の中に人が横たわっている・・・人の形らしきものが。
辛うじて見てとれるそれは、疑いようもなく〝死体〟であった。中途半端に埋葬されている死体・・・。というのは、頭部が完全に隠れているのは、恐らく土の山が崩れたことによるもの。だが既に白骨化した胴体と手足が、一見いい加減にかけられている土の下から覗いているのである。
一目瞭然で理解した。その穴を掘ったのが誰か、そして、その埋もれかかった遺体が誰かを。
それは間違いなかった。今はボロ布と化しているその遺体が身に着けているものに、リューイは見覚えがあった。中途半端に土が被せられてあるのは、獣たちがやったことかもしれない。この利口な獣たちが考えてしたことかどうかは判断しかねたが、ただ一つ明らかになったのは、親の顔すら知らないリューイにとって最愛の者の死を、この日になってやっと知ったということだ。しかも、その変わり果てた姿を突然目の当たりにしたことによって・・・。
なんてこった・・・と、ギルは胸中で苦く呟いた。
みな愕然と佇んで、黙り込んだ。声を出すのが怖くさえあった。下手に何かを言えば、リューイが突然壊れてしまいそうな気がした。
ミーアもただ、ぎゅっとエミリオにしがみついている。子供なりに、この少女なりに事態を理解できたらしく、あからさまに怯えるのを必死で堪えているようだ。
そんな中で、リューイも声を殺して泣いているのである。目を真っ赤に充血させ、今は激しく息をしゃくり上げるその口からは、嗚咽だけが漏れ始めた。だが、レッドやギルが以前シオンの森で見た時もそうだったように、リューイは泣き顔を隠さずに泣いている。
何を言えばいいのか・・・レッドはせめて腕を伸ばし、親友として無言のままリューイを抱き寄せた。
そしてリューイは、自分と背丈の変わらないレッドに促されるままに凭れかかり、レッドの右肩に目を擦り付けて泣きじゃくった。激しく肩を揺らし、だがやはり嗚咽をもらすばかり。リューイは子供のように派手に涙を流すくせに、泣きわめいたことがない。我慢するな・・・そう言ってやればいいのかともレッドは考えたが、やはり声にはできなかった。
レッドがただ黙ってそうしていると、やがて、リューイの肩の震えが少し治まった。
レッドは、そうっと引き離してみる。
リューイはうつむき、目を腫らして、力無く呆然としていた。無気力で、肩を放したら倒れてしまいそうな顔をしている。
誰もが声をかけることもできないでいる、そんなひどく重たい空気の中・・・。
「リューイ・・・お前のじいさんを、きちんと埋葬してやろうか・・・。」
いくらかためらいながらも、慎重な優しい声でギルが言った。
リューイはギルに目を向けた。まるで生気の無い虚ろな眼差しをしているが、やがてのろのろとうなずいた。
ギルもそっとうなずき返して、微笑した。
「よし、お前の手できちんと弔ってやろう。お前のじいさんが選んだこの場所で、お前の手で。」
ギルは早速しゃがみ込むと、両手で土をすくい上げてみせる。それに倣って、リューイもよろよろと土をすくった。ほかの者たちもすぐに動いた。
代わる代わる土を手に取り、冥福を祈りながら、みなは丁寧に穴を埋めていく。
そうしていると、リューイの心にきりもなく思い出がよみがえってきた。叱られたこと、しごかれたこと、喧嘩をしたこと・・・風呂に入れてくれたこと、ケガを治してくれたこと、本気で心配してくれたこと・・・父のように大きな存在で、いつも見守っていてくれた。それが残酷なまでにありありとしていたせいで、リューイは呼吸をするのも上手くいかなくなった。
「ここ・・・。」
喉を絡ませながら、リューイが何やらつぶやいた。
レッドは驚いたように目を向ける。
「ここで稽古してた・・・。」
レッドの顔を見ることなくそう言ったリューイは、鼻をすすり上げ、土まみれの右手の甲でやっと涙をこすり取っていた。
育ての親であり師匠でもあるこの老人を、リューイがどれほど仲間に紹介し、自慢したがっていたかを悟って、レッドの胸はますます締めつけられた。レッドは労わるようなほほ笑みを浮かべてリューイを見たが、ただそれだけで、また黙々と手を動かし始めた。




