侍女 アベンヌ
翌朝、レッドとリューイは、いったんシャナイアを呼び戻すため、ビザルワーレの王宮へ向かった。
宮殿を囲む塀には、飾り彫刻による凹凸が見られる・・・が、高い。しかしこれは、リューイとレッドには好都合。壁が高ければ安心感が生まれ、警備が多少緩くなる。実際、そこに見張りはいなかった。
そしてリューイとレッド。その抜群の腕力と身体能力をもって、この二人は短時間で超えることができる。つまり、衛兵が回ってくるまでに忍び込むことができた。特にリューイについては、手足を掛けられるわずかな隙間さえあれば、城塞のそびえ立つ壁をよじ登ることだって可能だ。
宮殿内の塀沿いには幹の太い木々が生えそろっていたおかげで、降りるのにもさほど苦労はしなかった。下の状態が草木に覆われていなくて見えてさえいれば、リューイはもっと容易に降りることもできたが。
一方、エミリオとギルは、王宮の外の雑木林の陰に、目立たないよう馬車を止めて待機している。
レッドとリューイが藪に隠れて待つこと数十分。やっと通りかかった長身の兵士が一人。
リューイは、相手が何も確認できないうちに、手技一つでその衛兵を気絶させた。彼の制服を拝借したのは予定通りレッドだ。レッドは素早くその制服に着替えた。不自然で目立つ額の布は、あらかじめ包帯に替えてある。レッドは、自分の着衣とぐったりしている男を茂みに隠したあと、シャナイアを捜しに宮殿内へ入っていった。
そして、くれぐれも見つからないようにと注意を受けたリューイは、物陰を動き回りながら、整形庭園の方を捜すことになった。季節 柄、そこは慎ましやかな小さな花々で色づいていた。
それにも少し気をとられながら、リューイが忍び足でしばらく捜索していると、庭園の一角に、また塀で囲まれた建物を見つけた。
リューイは耳をすました。塀のすぐ向こうから声がしている。聞こえてくるのは複数の楽しそうな声。それは若い女性のものばかりのようだ。
その塀の内側には、細い木々が密生している。
気になったリューイは、シャナイアがいるかもと思い、その塀をよじ登ってみることに。だがそこからは、複雑に入り組んでいる枝葉が邪魔をして、何も見えなかった。そこで塀伝いに歩いて見える位置まで移動し、枝葉の隙間から覗きこんだ。
すると、小さな池があった。実際には露天風呂である。
今この大陸は、冬の只中。だが南のインディグラーダと、デュパウロ地方との境目にあるここビザルワーレ王国では、真冬であっても寒さが応えるほどではない。それでもさすがに水浴びはできない。それをすれば、もうそれは修行になってしまう。
と、その時。リューイは突然目に飛び込んできた光景に、唖然となった。
何人もの若い娘がいるのである。池の中に。そしてちょうど、一人が立ち上がって、足を上げるところだった。
リューイは・・・息を呑んだ。
陽に輝くブロンド髪の少女。歳は自分と同じか、少し下くらいに見受けられる。長い髪を束ねている飾りも、とても綺麗だ。だがそれにも勝って、彼女のその滑らかな体つきや透き通るような白い肌、その肢体はまさに人の肌とは思えない美しさ。ほかにもいる娘たちには目もくれなかった。彼女のその体、その姿形や肌の色艶は、特別 際立っている。
この時のリューイの、そんな心や体の反応は、こういった場合に普通に異性が陥るものとは、少し違っていた。見てはいけないと言われていた秘密の宝箱を、こっそり開けてしまった子供の心境・・・そんな感じに近かった。神聖で、脆くて、人の目に触れると消えてしまうもの・・・そんなふうにさえ思えた。
ただ、自分の裸を見られても平気でいられるリューイにとって不思議だったのは、なぜか顔が火照っていることである。女性の裸といえばミーアのそれしか見たことのない彼の中で、今、無意識のうちに、歳相応の男としての感情も芽生え始めた瞬間だった。
ところが、そんな彼女に思わず見惚れてしまったリューイは、突然バランスを崩して、真下の茂みに転落する羽目に。その時たてた音は、露天風呂にいる娘たちをハッとさせるにじゅうぶんだった。
「何者⁉」
驚いた召使いの一人が鋭い声を上げた。彼女は入浴せずに王女のバスローブを腕にかけて控えていた、一番の侍女だ。バスローブを急いで王女に羽織らせてやったその侍女は、それから物音のした方へ・・・リューイが隠れている方へと近付いていった。
リューイは素早く場所移動。木々と花壇の陰に滑り込んで、気配を殺した。
その侍女はリューイが隠れている場所を通り過ぎたところで、立ち止まった。
「誰です、姿をお見せなさい。」
辺りはいやにひっそりとしている・・・。
「大声でみなに知らせますよ。今、素直に姿を現せば ―― 。」
矢のように動いてサッと彼女の背後に回りこんだリューイは、悲鳴を上げられる前にもう、その口を塞いでいた。
「頼む、わめかないでくれ。」
その侍女は一瞬、心臓が止まりそうになった・・・が、恐る恐る振り向いて、相手を確認。そして目を疑うと同時に、呆然とした。
そこにいたのが、とても澄んだ瞳を持つ、金髪 碧眼の美青年だったからだ。
それで彼女は、彼のことを、ただの不法侵入者やスパイなどとは違うと感じたが、そこで気付いた。いずれにしろ、これは重罪に当たる。しかし、口を塞がれていてはどうしようもない。
彼女はひとまず頷いて、リューイの声に応えた。
リューイも疑うことなく手を放した。
その手が口から放れるや否や、静かな声で問い詰める彼女の尋問が始まった。
「どうやって侵入したのです。」
「壁をよじ登って。」
「ここへはなぜ? 王女の湯あみ場と知ってのことですか。声がしていたはずです。」
「いや、ごめん。人を捜してたから。その中にいるかなと・・・思って。」
「・・・見たのですね。王女の素肌を。」
「見た。」
沈黙が落ちた。
彼女は、こちらの質問に子供のように答え続ける彼の、その表情と瞳の色を見ていた。
「・・・で、いかがでした?」
リューイは思わず視線を動かして、赤くなった。
「とても・・・綺麗だった。宝石みたいに。」
そこで、露天風呂の方から王女の声が。
「アベンヌ、何事でしたの。」
そう呼ばれたその侍女は、あわてて茂みから声の方を透かし見て、それからリューイに向き直った。
「・・・お逃げなされませ。」
「悪い、ありがとう。」
そのあと、驚異的な身軽さで近くの木によじ登ったリューイは、瞬く間に塀を乗り越えて、その場から姿を消した。
侍女のアベンヌは急いで戻ると、王女にはこう報告した。
「ご心配には及びません。とても無邪気な・・・青い瞳の子猫でございましたわ。」
そんな落下音ではとてもなかったのだが、この王女様は簡単に信じた。
「まあ、そうでしたの。」
「王女様、お部屋でお休みになられますか。」
「そうしますわ。少し眠気が・・・。」
ブロンド髪の王女は、口に手を当てながら小さなあくびを一つ。
「よくお浸かりになられたからですわ。」




