路地裏の現実 - 2
正体を隠しているライカ王子と、そのお供同然の一行は、繁華街で最も賑やかな通りからは少し逸れた場所へ向かうことにした。目立たない道だが王宮へと続く方角である。
その途中で、今度は自分で気付いたライカがふと足を止めた。
「ギル、あそこに誰かうずくまっていないか。」
「ああ、いるよ。だんだん見えてきただろう、現実が。」
「彼は何を・・・。あんな・・・汚い姿で・・・裸足で・・・埃と砂にまみれて・・・。」
ライカがそう呟きながら見ている先には、みすぼらしい恰好の乞食らしき老人が一人、道端で地面にひれ伏していた。低く下げている頭の前には、欠けた器が置かれている。
「物乞いだよ。」
レッドが言った。
「物乞い・・・?」
「ああやって、誰かが何かを恵んでくれるのをただ待ってる。もうそれ以外に、糧を得る術が無い者がとる手段さ・・・。」
レッドは暗い声でそう答えた。
ライカは何も言わずに一人でその老人に歩み寄って行くと、ポケットにしまい込んだ首飾りを取り出した。そして、それを器の中にいい加減に落とすのではなく、丁寧にそっと入れた。
「これを・・・。食べ物はもうないのだ。これは金と同等の価値がある。これと食べ物を交換してもらうことはできよう。」
老人は目を瞬き、震える手で器の中から首飾りを拾い上げた。宝石などは付いていないが、最高級の純金ネックレスである。
驚いた同伴者たち。
「いやいやいやっ・・・!」いち早くギルが駆け寄った。「そのままでは逆に困るだろう。確かに死ぬほど食べられる価値はあるが、下手をすれば彼は通報されてしまう。」
「なぜ?」と、ライカ。
「あー・・・とにかく、それを手放してもいいと思うなら、換金できる場所がある。俺もよくお世話になった店だが、買取りもしてくれる質 ――、おっと・・・。」
余計なことを話しかけて、ギルは咳払いでごまかした。それに ―― 夜遊びに不可欠な小遣い調達の ――経験上、無駄に高価だったりする王族の装身具に対応できる店だって限られている。価値が分かるようになるまでは、身のまわりの物の中から、買い取り業者に持っていける品選びに苦労したものだった。
「まあ・・・今日はそこまでしなくていい。」
ギルは、状況を察してそばに来たエミリオの目を見た。
それに応えたエミリオは、所持金から妥当な金額よりも多めの金銭を老人に手渡した。老人の方はライカが恵んだネックレスを返しながら、何度も頭を下げている。
まもなく戻ってきたエミリオから自分のネックレスを受け取ったライカだったが、同価値のブレスレットも外すと、それらの宝飾品をリューイの胸の前に差し出した。
「もらっくれないか。そなたらは、それを彼らの役に立てられるのだろう? その術を、余は知らぬから・・・。」
そう言ったライカは伏し目で、表情はひどく沈鬱だ。
「余は・・・あまりにも無知で、無力だ。」
「そうでもない・・・。」と、ギルは声をかけてライカの頭に手を置いた。「お前は、今の立場でできることを、すでに一つ実行している。だが、できるなら見届ける責任まで果たして、やり遂げるのがいいだろう。」
ライカは、やおらギルを見上げた。
「ちょっと利きすぎたか・・・。」
レッドがエミリオに囁いた。
ミーアを明るく楽しい場所ばかりでなく、今と同じ目的で、苦しく辛くなるような場所へも機会があるごとに連れて行くレッドは、その度に、世の中の厳しさと、そこに生きようとする人の強さ、また、時には報われない悲しみまで丁寧に教えてきた。
するとミーアがどうなるかと言うと・・・今はもう、全く無知でいたライカほどではないが、胸を圧迫する衝撃と切なさのせいで決まって元気が無くなり、だが自分なりに気持ちの整理をつけようと、その胸中は懸命になりだすのである。
そんな様子を見ながら、レッドはいつもホッとするのだった。心にそう感じるものがあるということは、思いやりを持ち合わせている証拠。裕福で苦労を知らずに育てば、その気持ちが育まれない者も多い。
レッドは、ミーアとの関わり方で、自然と道徳教育も行っていたことが窺われるトルクメイ公国の温厚な公爵ローガンと、妻のエルーラを流石だと思い、そして同じことがライカにも言えることに気づいた。こんな突拍子もない行動を起こして周りの者たちを困らせる身勝手な王子に見えながらも、本来は慈悲深い優しい心をきちんと持っている少年なのだろう。
「しっかりしろ、ライカ。彼らは何か事情があって、こういった生活を余儀なくされた人々だが、そういう人はまだまだたくさんいる。どこの国にもだ。だが、ここはお前の国だ。将来、お前が治める国だろう。その時、今日お前が見たこと、そして感じたことを忘れないでくれ。」
今のギルは、ライカ王子に対してこうして説教ができるような立場ではないはずだったが、ライカにとっては、まるでギルベルト皇子本人にそう諭されているような気がして、何をどういう態度で言われても気分を害されることはなかった。むしろ、その度に尊敬にも似た気持ちを起こさせられた。
「すべきことがあった。戻らねば。」
顔を上げたライカは、大通りの方へ目を向ける。
「ああ。とっくに帰路についてるよ。迎えてやるんだろ? あの親子を」
くるりと背を返したギルは、先に立って歩きだした。