少年名医 -2
レッドは夢を見ていた。
それはまた、過去の切ない思い出を再現した夢だった。
降りしきる雨の中、轟く雷鳴。すぐそばから聞こえるはずなのに、彼女のひたむきな眼差しにずいぶん遠ざけられた。
もう・・・この気持ちを偽ることは・・・。
様子をみながら顔を近づけたレッドは、それに応えて目を閉じた彼女と、そのまま自然に唇を重ねた。
ところが —— 。
「わ、わわ、なななな何っ⁉」
レッドが寝ぼけてキスをした相手は、あの医者の少年カイルだったのである。
突然、頭をつかまれてジタバタしていたところ、レッドがふいに目を覚ましてやっと逃れられたカイルは、後ずさってレッドを見つめた。。
それを見つめ返したレッドは、朦朧としていた意識が急速にはっきりしていくのを感じた。
そして気付いた・・・今起こった事件に。
「何はこっちのセリフだ! お前、俺に何をした!」
レッドはひどい頭痛と気分の悪さを感じていたが、思わずそう喚いて体を起こしていた。自分の声がそのあとでガンガンと脳髄に響いてきて、そのせいかカイルのせいかは分からないが、急に吐き気を催した。
「毒が回ってたから薬を飲ませただけだよっ。意識が無かったから口移しで。」
「毒・・・ああ・・・。」
やはりという声を漏らしたレッドは、こめかみに手をやって辛そうに顔をしかめている。
「もうっ、気付くならその前にしてよ。」
そこでレッドは、同じ部屋にスエヴィとジャックもいることに気付いた。
スエヴィは呆気にとられた顔で、「相手が美少年でよかったな。けどお前、何見てたんだ。」
するとジャックが、「察しはつくけどな。」と、いわくありげに続けた。
レッドは、そう言って覗きこむような目を向けてきたジャックに、バツの悪そうな顔で応えた。
「ジャック・・・。」
「この町に戻っておいて、俺に一言の挨拶も無しとはな。レッド。」
「・・・悪い。」
「だがそのおかげで、お前が戻ったわけじゃないって分かったよ。」
レッドは、苦渋の面持ちで下を向いた。
それを見たジャックは、一つ大きなため息をついてみせた。
この町にいると、おかしくなりそうだ。彼女が近くにいることを意識し過ぎているせいだろうか・・・とレッドは考えて重苦しいため息をついた。
レッドがこの状況を理解するのに、時間はかからなかった。
ここは、ニックの店の一室だ。
まず、気分が悪くなって気が遠くなった。意識を失ったあとここへ運び込まれたのは、リューイが一人でしてくれたことに違いない。スエヴィはたまたま居合わせ、ジャックには恐らく、ニックがカイルを呼びに行くついでに知らせたのだろう。
レッドはおもむろに顔を上げた。ジャックが、両手を広げて歩み寄ってくるのに気付いたからだ。
そして二人は軽く抱き合い、何はともあれ、久しぶりの再会を喜び合った。
そのあとレッドは、いくらかためらったが、ジャックを見てあえて笑顔できいた。
「あんたは・・・ちゃんと大切にしてやってるのか。」と。
それに答えようとするジャックからは、かつて一流戦士だった時の面影も、貫禄ももはや無かった。
ジャックは、「ああ・・・結婚した。今は俺も、この通りただの農夫だ。」と、自嘲にも似た笑みを浮かべた。
だが、その目の幸せそうな煌きをレッドは見て取った。
「あんたの人生だ。」
「ああ。悔いは無い。」
戦士として素晴らしい経歴と腕を持っていたその男ジャックは、今度は潔い笑みで答えてみせた。
その時、何の前触れもなくカイルが頭に手を伸ばしてきたので、レッドはあわてたように身を引いた。額には、アイアスの紋章を隠すための布が結び付けられているのである。
「な、何・・・。」
「何って、その布、汗でびしょびしょだよ。」
「あ、ああ自分でできるから。」
「そう? じゃあ。」
カイルは、持参した大きな医療バッグの中から道具を取り出して、また違う薬をせっせと調合し始めた。
その隙に布を外したレッドは、すぐ横にある水桶の中の手拭いを絞って、さっと額に押し当てながらまた横になった。要するに、アイアスの紋章を見られないようにしたのだ。アイアスであることは誇りだが、戦場では別として、普段の生活の中であからさまに驚かれたり、尊敬されたり、羨ましがられたりということが彼は苦手だった。
「ヒダルゴリリイ(仮名)に触ったでしょ。」
カイルは、薬の調合を続けながらいきなりきいた。
「え・・・。」
〝あなた、ヒダルゴリリイに触ったでしょう・・・。〟
レッドの耳に愛しくて切ない声が甦り、そして脳裏には、そっと微笑む彼女の姿がまた浮かんだ。正直うろ覚えだったその名称も、おかげではっきりと思い出した。
「ヒ・ダ・ル・ゴ・リ・リ・イ。すぐに死ぬとかいうものじゃないけど、高熱が続くから、自然に治ると思って下手をすると危ない毒を持つ花だよ。知ってればそう警戒するほどのものじゃないけど、間近で大量にその花粉を吸ったりなんかすると、数十分もすればそうなるわけ。」
ヒダルゴリリイ。それはこの大陸の限られた場所でしか生育しないと言われる、その花粉が軽い毒素を含むという植物だが、そういうわけで、レッドは以前にも一度その毒にあたっていた。なのに、その時はそれを調べようという気が回らず、なおざりにしてしまったのである。
「何やってんだ、俺は・・・。」
そう自身に呆れると同時に、いったいどんな格好のヤツだ、それは・・・と、レッドは思った。あの時、それをイヴにきちんと教えてもらってさえいれば、こんな情けの無い失敗を繰り返すこともなかったものを・・・。色とりどりの花々が咲き誇る中でうたた寝していたレッドには、どれがどれだか未ださっぱり分からなかった。