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【新装版】アルタクティス ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~   作者: 月河未羽
【新装版】 第10章  恋敵誘拐事件 〈Ⅶ〉  
357/587

路地裏の現実 ― 1


 そして、ある時。


 エミリオが不意に、視線だけでそちらを示しながら、ライカにこうささやきかけた。

「殿下、あの暗い影に親子がいるのが分かりますか。ほら、あの階段の影になっている所。」


「親子・・・?」


 目をらしてみたライカは、すぐに見つけることができた。やせ細った女性と、その頼りない体にすがりつくようにして、かたわらにいる幼い少女の姿を。


 するとたちまち、これまで覚えたことのない感情が押し寄せてきて、ライカは戸惑った。胸をぎゅっとつかまれたように苦しい。なぜかは、その親子を〝あわれ〟に思う気持ちのせいだと分かった。ただ、それがいいことなのか、悪いことなのかは分からなかった。だがとにかく、彼女たちには助けが必要だ・・・・と感じたライカは、ほとんど無意識のうちに、そこへ足を向けていた。


「ママ・・・ねえ、ママ・・・。」


 その少女は心配そうに、母親らしいその女性に話しかけているが、彼女はぐったりとして、まるで返事をしようとしない。精神的にも異常をきたしかけているように、ギルやエミリオには見受けられた。


「ママ、私、何かもらってきてあげる。だから元気だして。」


 少女がそう言って離れかけると、女性の顔に急に生気が戻った。何も見ておらず、聞いていないかのような表情だったが、彼女は我が子が何を言ったのかにハッと気付いて手を伸ばし、立ち上がろうとしたのである。


「あ、ダメよ、行かないでっ。道が分からなくーー ⁉」


 しかし母親らしいその女性は、勢いよく立ち上がったものの、とたんに足の力が抜けてしまい、ライカが見ている前で派手に倒れた。すぐに手をついて起き上がろうとするも、肩を地面に付けたまま身悶みもだえているだけである。自力で体を起こすのが上手くいかないようだ。


 ただそれだけのことに必死な様子に、ライカは驚いて立ちすくんでしまった。


「ママッ!」


 少女が足を止めて振り返ったのと同時に、誰よりも早くリューイも駆け寄った。そして彼女を抱き起こしてやり、その骨ばった肩を支えた。実際、リューイ自身、ライカと同じ衝撃を受けていた。


「あ、す、すみません、もう大丈夫です。」


「大丈夫じゃないだろ。いつから・・・食べてないんだ。」


「・・・三日前に・・・いただいた林檎りんごを。」と、小声で答えて、彼女はパッと顔を上げた。「お願いです、どうか子供に、娘に何か食べさせてあげて・・・ください。」 


 その母親は、もはや羞恥しゅうちをも通り越した涙声でリューイに哀願あいがんしている。


「どういうことか分かるか、ライカ。」

 ギルはたたずんだままのライカの隣に立って、静かに声をかけた。


 ライカは初めて覚える衝撃と切なさのせいで、何も言えずにいる。


 それで、ギルは返事を待たずに続けた。

「この親子は、三日前に誰かが恵んでくれた林檎にありつけたきり、何も食べていないらしい。しかも母親の方は、あの様子だとその林檎にもほとんど口を付けなかったんだろう。自分だって死ぬほど腹をすかせているだろうに。救いの手がある所にはあるんだろうが、それを誰もがすぐに思いついて、上手く行動できるわけじゃない。」


「まず単純にできることとしての働き口がなかなか見つからず、路頭に迷っているんだろう。幼い子供付きの働き手をやとってくれる所なんて、そう無いからな。」

 やや背後から、レッドもそう補足した。


 すると、おもむろに動きだしたライカが、一人で親子のそばへと歩み寄って行く。そして、どうする気かと注目しているほかの者の見ている前で、黙って紙袋を探ると、中からパンを一つ取り出したのである。


 親子と、その母親を支えているリューイが、驚いたようにライカを見上げた。


 ただ、母親の方が驚いた理由は、ライカがとったその行動だけではなかった。


「これを・・・。」と、たどたどしく、ライカはその幼い少女にパンをひとつ差し出した。


 少女は初め少し戸惑っていたようだが、ゴクリとのどを鳴らしたとたん、吸い寄せられるように両手を伸ばした。それから「ありがとう。」と思い出して言い、母親の分をきちんと分けたあとは、無我夢中になってその調理パンを口にほおばっていた。


 そんな少女を見つめるライカの目は、後先も常識も周りのことも考えず、勝手 気儘きままに行動するような少年にはとうてい見えないほどの慈悲じひにあふれている。


 さらにライカは、そのあと、今まで買いあさってきた果物やら菓子をも袋から取り出して、次々と少女にあげだした。


「これも、これも・・・全部。」


 そしてまだ残っている分は、袋ごとそのまま母親に手渡したのである。


「こ、こんなにたくさん。ありがとうございます、ありがとうございます。」


 レッドは、ふと気づいた。恐らく、さっきまではそこに無かったものに。路上の、少女があわててきびすを返した辺りだ。


 石ころのように目立ちはしないが、それは薄いオレンジ色の縞模様しまもようがついた、巻貝まきがいからだった。


 着衣のポケットに穴でも開いていて、さっき落としたのだろう。宝物・・・思い出の品だろうか。そう推測しながら拾い上げて、レッドも親子に近づいた。そしてそれを、そのまま少女に返すのではなく、母親の方に見せたのである。


あきらめちゃダメだ。」そばに腰を落として、レッドは言った。「子供を守りたいなら、空腹では難しいだろうが、考えることを止めちゃダメだ。ここは悪い国じゃない。何かあるはずだ。二人で生きるために、できることが必ず。」


 厳しくて優しい、そんな彼の眼差まなざしを見つめ返すばかりで何の返事もできない彼女だったが、その瞳はこみあげる涙で濡れていた。


「王宮へ・・・。」と、ライカが不意に言った。「まずは食事を。そして王宮へ。そこでミハイル・グレンという名を伝えるといい。きっと・・・希望が見つかると思う。」


 彼女の肩から手を放して、リューイは立ち上がった。

 レッドも、ライカの背中にそっと手を回すだけでうながした。

 それにうなずいて応えたライカは、親子に背中を向けた。


「ありがとうございます・・・。」


 食べ物の詰まった袋と貝殻かいがらを抱きしめて、去っていく彼らの後ろ姿に何度も頭を下げながら、そのまま彼女は涙を流した。


「ありがとうございます・・・王子様。」










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