ビアンカ王女の夢
「ライカ王太子殿下、ご無沙汰いたしておりました。」
「ええっと・・・ああ、久しぶりだね。」
「ライカ様、お話がしたいわ。陛下、お庭をお散歩して参りましてもよろしいかしら。」
これを聞くと、王と王妃はバツの悪そうな顔を見合わせた。目の届くところに居てくれなければ、誤魔化しやフォローができない。
すると。
「あの、何か・・・。」
と、王女の顔が悲しそうに歪んだので、その場にいる誰もがいけないと思った。
あわてた王は思わず、「ああいいとも。ライカ、王女をご案内してさしあげなさい。」
「え、でも・・・。」
「陛下、ありがとうございます。さあ行きましょ、ライカ様。」
戸惑うよりも先に、急にご機嫌になったビアンカに手を引かれて、半ば強引に、二人きりにさせられてしまった、カイル。その後ろから、王女の侍女たちが当然のこととして付いてきたが、王女に気を使ってか、かなり距離を空けている。
だがカイルは、一人であれこれと喋る王女の話を黙って聞き、ただ穏やかにほほ笑んでやるだけで精一杯だ。
そして、池に架かる橋の途中。
アーチの真ん中の一番高くなったところで、ビアンカ王女がいきなり立ち止まったのである。
「ライカ様、なぜ今日は、あまりお話をしてくださらないの。ビアンカのこと、お嫌いになられましたの? お父様もお母様もお忙しくて、でもライカ様にどうしてもお会いしたくて、ビアンカ、一人で参りましたのよ。せっかく我儘を通してもらいましたのに・・・。」
カイルは焦った。冗談交じりだったが、「王女を泣かさないよう気をつけて。」と、言われていたのだ。もし泣かせたら、責任をとってもらいますぞ・・・と。
「あ、あのね、君のこと嫌いになんてならないよ。でも僕、何話していいのか分からないんだ。ごめん。」
ダメだ、緊張しすぎて考えられない・・・。カイルはドキドキした。今、きっと下手なことを言ってしまった。だって、ほら、王女様は怪訝そうに首をかしげている。
「ライカ様、変だわ。お話し方が・・・。」
「ああ、それは、えっと、あの・・・気分転換! そう、気分転換だよ! 今日はこんな感じで。」
こんな苦し紛れが十分も通用するものか、という気持ちながら、それでもカイルは、できる限り頭を働かせようとし、必死に演じた。どんな厄介事が起こるか知らないが、とにかくこの子を泣かせてはいけないのである。
「まあ、ライカ様ったら。でも、何だかお声も変わられたみたい。」
「そ、そう? この前から喉の調子が良くなくて・・・そのせいかな。」
カイルは横を向き、喉を鳴らして一つ咳払いをしてみせた。
「それはいけませんわ。お部屋で横になられた方が・・・。」
「体は大丈夫だから。声だけ。」
「そうですの・・・。」
「あ、ねえ、ビアンカは毎日どんなことしてるの? 楽しい?」
やっと調子が出てきて、カイルがそう誤魔化そうとした時、どうしたのか、ビアンカの表情が急にまた暗くなった。
何かマズいことでも言ったか・・・と、カイルがまた不安になると、ビアンカが大きなため息をついて、こう口を開いたのである。
「・・・ライカ様、ビアンカね、夢がありますの。何だと思います? 当ててごらんになって。」
「夢か・・・。うーん、あっ、僕のお嫁さんになること?」
「ま、ライカ様ったら。ビアンカは許婚ですのよ。もっと・・・叶わない夢ですわ。」
「叶わない?叶えられる夢だってたくさんあるよ。そんなふうに諦めてたら ―― 」
「できませんわ。無理よ。だって、その夢は・・・。」ビアンカは後ろにいる侍女たちをそっと見て、そちらを気にしながら小声で答えた。「わたくしは、宮殿の外の世界を・・・ライカ様と二人きりで自由に歩いてみたいのです。」
カイルは驚いて、一瞬、唖然となった。
二人きりで、自由に歩いてみたい・・・? そんな簡単そうなことが、この子の夢?
だが、伏し目で元気がなく佇んでいるその姿は、カイルをハッとさせ、それから無性に切なくさせた。
思えば、ミーアもライカ王子も逃げ出すほどの宮廷生活。そんな王侯貴族の暮らしは、この子にとっても、何不自由なく華やかでありながら、心も体も解放されることのない鳥籠の中と変わらないのだろう。ライカ王子に会いにこの国まで旅をしてくれば、庶民の普通の生活が目に飛び込んでくる。その度に、それを眺めながら、自分には何でもないそんな夢への憧れは、いっそう強まっただろう。
王女の悲しそうな顔を見つめながらそう考えていたカイルは、控え室での待機中にふと見つけた門らしきものが頭をよぎって、いけないことを思いついてしまった。そして、ビアンカ王女を喜ばせたいと本気で思った。
「僕と外に出たいんだよね。」王女のうかない顔をのぞきこんで、カイルはきいた。
「最初から無理だなんて、その夢・・・ずっと見てるだけでいいの?」
これまでは明るく、弾むように喋っていたというのに、その時の彼の声はドキッとしてしまうほど真剣で、ひしひしと胸に響いてくるものだった。それで、顔を上げて見つめ返してみれば、今度はひたむきなその眼差しに、ビアンカの胸はキュンとなった。
「ライカ様・・・?」
カイルはニコッとほほ笑んで、片目をつむってみせた。
「行こうよ。今から。」
「え・・・?」
カイルは、目がきょとんとなった彼女の腕をつかむと、ただ黙って付いて来ようとする侍女たちに向かって、少し二人きりにさせてくれるよう、この時は上手く演じてみせた。




