黄昏の別れ
ディオマルク王子の紹介によって、セルニコワ王国の王宮にて客人としての待遇をうけた一行は、そこで存分に疲れを癒し、路銀をじゅうぶん過ぎるほど与えられ、旅の支度まで整え直してもらうことができた。何しろこの一件で、それぞれの着衣と武器、あとはカイルの医療バッグのほかは、ほとんど何も無くなってしまったのだから。
旅立ちは、それから二日後の夕方だった。空が黄金色から青へと移ろい、涼しい風が吹き始める頃である。正門とは別のアーチの城門の下で、ディオマルク王子とファライア王女、それに侍女や近衛兵たち、そして、人柄は穏やかでも家来を堂々と従えているイスディル王子に見送られて、一行は馬車に乗り込んだ。
王家の馬車にしては派手な装飾もなく地味な外観でありながら、防水性に優れているなど快適に過ごせる工夫がなされた高性能の覆いと、振動を軽減するよう計算された車輪。その頑丈で立派な馬車が、彼らのために用意されていた。
セルニコワ王国から向かう南へは砂砂漠はほとんど見られず、礫砂漠における環境の悪さも問題ではなくした道がいくつも開通している。そのおかげで行商人などが効率よく楽に動けるようになり、周辺地域はめざましく発展した。一行は、その中でも大きな街道を行く。
馬車を引いてくれる一頭の灰色の馬は、いかにも健康そうな体つきと若々しい顔立ちをしており、都合によって売ることになった場合には、ずいぶん高値で引き取ってもらえそうだ。
しかしその馬は、なかなか進もうとしなかった。御者が席に着いていないからだ。いつもそれを務めてくれるのは、馬との付き合いが最も長く、扱いにも優れているギルだった。
そのギルは、まだディオマルク王子たちと話し込んでいるのである。
「本当にもう行ってしまうのか。式は三日後だというのに。」
ディオマルクが言った。
ギルはため息と共に声をひそめて答える。
「アルバドルの皇帝一族も招待したと聞いた。ファライア王女の結婚を機に、仲立ちしたのか。」
「ロベルト陛下は社交的な御方だ。我らは国と国とがつながり、ここに確かな平和が訪れることを強く望んでいる。そなたも、そうであろう。もう、エルファラム皇室を恨んではおるまい。なにしろ・・・。」
ディオマルクは、ほかの旅仲間たちが先に乗り込んだ馬車に、そっと目を向ける。
ギルは、ふっと笑みをこぼした。そして、ディオマルクにだけ聞き取れるような小声で言った。
「あいつは・・・ただのエミリオだ。だが、そうだな。確かに、あいつを知ると同時に、初め抱いていたエルファラムへの憎しみも、どこかへ行っちまった。そもそも、俺はアナリスの皇配となるだろう婚約者のアドルバート侯爵 ※ に、時期をみて、エルファラム帝国と平和条約を結ぶよう大仕事を一つ頼んで出てきたしな。」
ディオマルクは感心したように、にっこりとほほ笑んで返した。
「それにしても、ファライアの婚儀に、そなたも出席してくれるものと思うておったのにな。」
「わたくしも残念でなりませんわ。ギルベルト様にも見ていただけると思っていましたのに。」
「私もそれが残念です、王女。」
ギルは人差し指を口に当ててみせる。〝ギルベルト様〟は、ほかの者の前では禁句にしたはずだった。
「ところで、そなたに会ったことは伝えてよいのか。」
「いや・・・ああ、たくさんの仲間と楽しそうだったと、それだけ伝えてくれるか。そなたの口からでは冗談ととられるだろうが。ただ・・・ディオマルク、ちょっと耳を・・・。」
さりげなく動いて距離をつめたギルは、こうささやきかけた。
「エミリオのことは内緒だぞ。この先誰にもだ。」
「言われずとも、察しておるわ。そなたにも、そして彼にも相当な事情があるゆえ。しかしこの有り得ない状況、いつか納得のいく説明をしてもらいたいものだな。」
今はただ苦笑いで誤魔化したギルは、「頼むぞ。」とだけ返した。
ディオマルクは呆れ混じりなため息とともに承知した。
彼らのこそこそ話が終わったと分かると、やや離れて立っていたイスディル王子が進み出てきた。
「ギル殿、ほかに必要な物は・・・。まことにそれだけでよいのか?馬車もそのような簡素な・・・」
「殿下、じゅうぶんです。これだけ旅費を支給していただければ、捨ててきたものを全て買いそろえ直したとしても、まだ有り余る。馬車は立派すぎて恐れ多いくらいです。」
「そうか。道中気をつけて。」
「ええ。ありがとうございます。」
ギルは、先に馬車に乗り込んだ仲間たちを振り返った。
「待たせて悪かったな。行こうか。」
「ファライア王女、イスディル王子、お幸せに。」
シャナイアが手を振りながら、満面の笑みで叫んだ。
「お幸せにねー。」と、ミーアも元気いっぱいに真似をした。
そのあと、ほかの者たちもみな笑顔で声をそろえた。
「お幸せに。」
彼らの祝辞に応えるかのように、イスディル王子に肩を抱き寄せられたファライア王女も、心をこめて手を振り返している。
「ありがとう、皆さん。本当に・・・。どうかお気をつけて。」
ギルに向き直ったディオマルクは、手を差し出して言った。
「そなたも、彼女といつか。」
ギルははにかんだ笑みを浮かべ、しっかりとその手をとった。
「また・・・気が向いたら会いに来よう。」
「アルバドルの皇太子に似た男が訪ねてきたら、すぐに余の御殿の方へ案内するよう手配しておこう。気長に待たせてもらうぞ。」
そうして、ギルとディオマルクは固い握手をして別れた。
ギルが御者を務め、間もなく動き出した馬車。
それが黄昏の中をゆっくりと進んで行くのを、ディオマルクはいつまでも名残惜しげに見送っていた。
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※ アドルバート侯爵 = ロダン・クラウス・アドルバート




